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昔、月でうさぎが餅をついているのを見たんだよ

作者: 紅衣北人

 実話をもとにしたエッセイです。というか実話です。

 まだ私が小さな子供のの頃のことだ。母の実家に泊まった時、その日は満月だということを聞いて外に出た。当然だが、月を見る為である。


 当時はまだ幼稚園児だったように記憶しているが、月にはうさぎがいて餅をついているという話を聞いて知ってはいた。なぜ月にうさぎがいるのか? なぜ餅をついているのか? 良く本を読む子だったので、仏教説話的なお話を知っており、とにかく月にはうさぎがいて、餅をついているというのだという話は知っていた。


 ……しかし、それが単なるおとぎ話であり、フィクションであるということもまた知っていた。それぐらいの知性は、幼児とはいえ持っていたからだ。


 ともかくその日、私は満月を見る為に外に出たのだが、少々混乱というか、興奮というか、とにかくびっくりすることになってしまった。


 なんと白く光り輝くきれいな満月の中に、『赤い色をしたうさぎが2羽、これまた赤い色をした臼と杵を用いて、交互に餅をついていた』のだ。しかも……、アニメーションのように動いていたのを記憶している。


 中央に置かれた赤い臼。その左右にそれぞれが杵を持ったうさぎが2羽いた。杵は棒状で両端が太く、中央が細くなっているもので、現在、調べてみるとそれは手杵てぎねあるいは兎杵うさぎきねとも呼ばれるものらしい。


 そのうさぎたちは、ゆっくりと跳ねるようにして交互に杵を振り下ろし、餅をついていた。


 私は、『うさぎが本当に餅をついているっ! ……でも、本当に本当なんだろうか?』と、興奮しつつも、『ありえない』と思う気持ちが有ったので、家の前から離れ、距離を取ってもう一度、月を見てみた。


 やはり満月の光の中で、赤いうさぎたちが餅をついていた。


 私はさらに場所を変えてみた。


 見間違いではなく、やっぱり白く光り輝く満月の中で、赤いうさぎたちがゆっくりと飛び跳ねながら餅をついているのが見えた。


 私は観念した。見えてしまったものは仕方がない。満月の晩、うさぎは月で餅をつくのだ。それが現実なのだ。間違いない。そう確信した。


 しかし、心のどこかでは、『やっぱりそれは現実ではありえない』と思っていたのだろう。家に戻っても両親や祖父母に対して、『月でうさぎが餅をついているのを見たよ』ということは言わなかった。これは言わないほうが良い話だということを理解していたからだと思う。


 その後、小学生になり、図書室で色々な本を借りて読むようになって、月の表面の模様、つまりは月の海の形が、まるでうさぎが餅をついているかのような形をしているから、うさぎが餅をついているのだという話が生まれたということを、何かの本で読んだ時だ。


 私は違和感でいっぱいになった。


 その本に書かれた図には、とうてい私が昔に見たうさぎたちとは似ても似つかぬ形だったからだ。まず第一にうさぎの数が違う。私が見たのは2羽だったが、図に載っているうさぎは1羽だった。


 さらに言うなら、その図の月の海の形は、あえてそう見ればうさぎに見えるかもしれないというレベルでしかうさぎに似ていなかった。他の国では蟹に見えるとか、女の人の横顔に見えるとか言われていると解説されていたが、まだ蟹に見えると言われたほうが納得出来た。


 ……数年前に私が見たあれは何だったのか?


 子供心に、私は当時の自分が、ある種の神秘体験をしたのだということを、ようやくにして理解した。


 それからだ。私の心の中に月への想いが一定の割合で占めるようになったのは。


 満月に限らず、月を見上げる日が続いた。


 うさぎは居なかった。ただそこには月の海が暗い模様を描いているだけだった。躍動感あふれるあの月のうさぎたちに出会うことは2度となかった。


 夢だったのかもしれない。そう思ったこともある。しかしあまりにもリアルな記憶は、それが夢だったということを常に否定する。


 だとしたら、普通の人には見えない、いや、小さな子供にしか見えない何かが、たまたまその時の私には見えたのだろうという結論に至るのに、そんなに時間はかからなかった。


 きっと精霊や妖精の類を見たのだろう。


 私はそう思うことにした。


 幼児から少年に、そして今では青年を経て完全な大人になった自分には、もう二度と見ることも会うこともできない存在。そんな貴重な存在を、たった一度とはいえ見ることが出来た。


 それは私の人生にとり、大きな財産となった。


 この世には、目には見えない存在が確かにいるし、時にそれらの存在は、私たちの目の前に姿を現すこともある。きまぐれに。


 きっと死後の魂とやらも存在しているのだろう。


 しかし、もう一度、彼らに、2羽のうさぎたちに会いたいものだという気持ちがある。


 もしかして月に行けば会えるのだろうか?


 アポロ11号が月旅行を成し遂げた時、いつかは月旅行に行けるかもしれないと夢想したが、現実の私が月に行くことは、もはや無理だろう。


 だから、せめて小説の中だけでも月へ行く話を書いてみたい。

 というわけで、長編小説、『妖精的日常生活 お兄ちゃんはフェアリーガール』という作品を書いています。そちらもよろしく♪


http://ncode.syosetu.com/n9188ck/


 ……そうですよ。エッセイの内容は事実ですけど、小説の宣伝でもあったのですよ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 上を向いて歩こう、という唄もありましたが…本質を見誤ると、見える筈の物事も見えなくなるかも。 むかし、活動写真の流行り始め。人々は銀幕の裏に何か隠れているのだろうと殺到しました。 テレビジ…
2015/04/07 22:25 退会済み
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