第3話
「・・・はぁ」
本日何度目かのため息が耳に届いてアレクシア付きの侍女ユーリアは仕事の手を止めた。初めての舞踏会から戻ってから、アレクシアは物思いにふけり、時折ため息をつくことを繰り返していた。アレクシアが幼い頃から彼女に仕えているユーリアはそんなアレクシアのことを心配していたのだが、本人が何か話
すまで何も聞かないことにしていた。しかし、いつまで経ってもアレクシアは何も話そうとしない。痺れを切らしたユーリアはついにアレクシアに問いかけた。
「アレクシア様。一体どうなさったのですか?ここの所、ため息ばかりおつきになって」
ユーリアの問いかけにアレクシアは困ったような顔をして、こう言った。
「自分でもよく解らないの。ただ、あの方の微笑みが頭から離れなくて、あの方に逢いたいって思うの」
アレクシアの答えにユーリアは息を呑んだ。それは恋する乙女の思考ではないか。一体、どこの誰がアレクシアの心を掴んだというのだ。ユーリアは焦る気持ちを押さえ込んで、なるべく冷静に、優しい声でアレクシアに問う。
「アレクシア様、その、あの方ってどなたですの?」
ユーリアにそう聞かれてアレクシアの頬がポッと赤く染まる。
「・・・ブライトクロイツ侯爵」
アレクシアから出た名前にユーリアは仰天した。侯爵のことはユーリアも知っている。親子ほど年齢差のある相手に恋をしたというのか。それに侯爵は『微笑みの魔術師』と呼ばれ、女性関係はどちらかというと派手だ。そんな彼にアレクシアが相手にされるとは思えなかった。
「アレクシア様、差し出がましいことですが、侯爵様は・・・」
ユーリアが言おうとしていることはアレクシアにはすぐに分かった。
「そうね。お父様と同じくらいの歳で、女性に苦労していなくて、後添えを貰う気も無い。そんなことは知っているのよ。でもね、ユーリア。私はもっと彼を知りたいと思うし、もっと逢いたいと思うの。頭では解っていても心がそれを望んでいるの。どうしてかしらね?」
どうしても何も人はそれを恋と呼ぶのではないだろうか。アレクシアは初めての恋に戸惑い、それが恋であることにも気づいていない様子だった。今ならば、間に合うかもしれない。ユーリアはそう思った。
「さぁ?どうしてでしょうね?きっと微笑みの魔術に掛かってしまっただけですわ。時が経てば、落ち着くと思いますわ」
ユーリアはそう言ってその場を誤魔化した。
「そうかしらね?・・・そうだといいわね」
アレクシアは遠くを見つめ、フッと笑った。
アレクシアがブライトクロイツ侯爵に恋をしたかもしれないという報告はすぐにエドアルドの元に寄せられた。丁度、エドアルドの元を訪れていたテオバルトはそれを聞いて頭を抱えた。
「やっぱり微笑みの魔術にかかってたかぁ。どうすんの?陛下」
テオバルトの問いにエドアルドも困惑した様子で答える。
「どうすると言われてもな。アレクシアが侯爵に恋をしてると決まったわけじゃないだろう?それに、侯爵がアレクシアを相手にするとも思えん」
「そうなんだけどさぁ。まぁ、微笑みの魔術って言っても容姿の良い異性から微笑み掛けられれば、誰だってときめくわけで、彼の場合はそれがずば抜けてて少々持続力が高いってだけの話だから、逢わなければいずれが冷めると思うんだけど、それも難しいからなぁ。彼って侯爵だから王宮主催の宴には必ず呼ばれちゃうでしょ?アレクシアもこれからはどんどんそういう場に出てくわけだし、顔を逢わせないって無理なんだよ。それに彼、今ギルベルトの所に出入りしてるから、頻繁に王宮に来てるんだよね・・・」
テオバルトがそう言うとエドアルドはふうっとため息をついた。
「あいつのお目付け役だったか?」
エドアルドに問いかけにテオバルトは軽く頷いた。
「ギルベルトが貞操の危機だ!とか言って騒ぐから、侯爵が彼のお目付け役になってるんだよ。彼、侯爵には頭が上がらないらしいから」
テオバルトは一度言葉を切り、うんざりしたようにため息をついた。
「ギルベルトも馬鹿だよね。貞操の危機なんてあるわけ無いのに。彼はギルベルトの傍に居たいんだよ?それしか出来ないんだから。傍に居られなくなるようなことするわけないじゃん。それなのにギルベルトが過剰に反応して騒ぐから彼がからかうんだよ。・・・彼は人に意地悪をしたい趣向の持ち主だから」
「嫌な趣向だな」
エドアルドが心底癒そうにそう言うとテオバルトはクスっと笑った。
「まぁ、だからこそあの仕事に向いてるんだろうけどね」
「そうかもな」
エドアルドがそう言った後、テオバルトがハッとして声をあげる。
「話が逸れちゃった!アレクシアのことだよ!どうすんの?!」
「・・・様子見という感じだな。ただの憧れであった場合、口を挿むのもどうかと思うし」
エドアルドの返答にテオバルトはどこか不服そうな顔をした。
「あんまり長いこと様子見しといて、アレクシアが本気になっちゃったらそれこそ厄介だよ?解ってるでしょ?あの子はこうと決めたら突き進むし、自分が言ったことは必ず実行する。侯爵の妻になりたいなんて言い出したら、僕らの言うことなんか聞かないよ?」
アレクシアと一番仲の良いテオバルトの言葉は妙な説得力があった。エドアルドはまさか、そんなはずはと言い切れない妹の性格を思うとため息をつきたくなった。
「そうなる前に手は打つさ」
そう答えたものの、エドアルドは少しだけ不安だった。
「・・・ばったり逢ったりしてなきゃいいけど」
テオバルトが呟いた言葉にエドアルドは胸のうちに抱えた不安がまた少し、大きく成ったのを感じた。
「おや?アレクシア殿下ではありませんか?」
「まぁ、ブライトクロイツ侯爵?」
テオバルトの不安は的中し、アレクシアとブライトクロイツ侯爵はばっちりばったり逢っていた。