その1
月代
第一章 月の下で
一 捨てられた夜
誰かが、戸を閉めた気がした。
お蝶は目を開けた。
いつもの天井がない。梁も、障子も、枕元に置いたはずのものもなかった。枝が幾重にも重なり、その間から白い光が落ちていた。
頬の下が冷たい。
「……旦那、様」
呼んでから、ここにいるはずがないと思った。
どうして、いないのだったか。
考えようとすると、人の声がいくつも重なった。怒っている。自分に向けられている。それだけは分かるのに、何を言われていたのか、順序がつかめない。
怖い。
その感覚だけが、言葉より先に胸を塞いだ。
起きなければならない。こんなところで寝ていてはいけない。
お蝶は地面に手をつこうとした。
手が、来なかった。
自分の身体なのに、思った場所へ動いてくれない。袖の先を見つめ、もう一度力を込める。肩のあたりに痛みが走り、短い息が漏れただけだった。
「……あれ」
脚も、同じだった。
そこにあることは分かる。冷たさも、重みもある。それなのに、膝を曲げようとしても、身体を起こそうとしても、地面に横たわったままだった。
思い出したくないものが、意識の端へ浮かんだ。
取り囲む顔。逃げ場のない場所。自分の声が、もう自分でも聞き取れなくなったこと。
「ごめんなさい」
誰もいないのに、口から出た。
「ごめんなさい。わたし……」
何を謝れば、終わるのだろう。
悪いことをした。それは何度も聞かされた。弥太郎を苦しめた。迷惑をかけた。だから謝らなければならない。
けれど、ここまでされるほどのことを、自分は。
そこまで考えて、息が詰まった。
言ってはいけない気がした。そんなことを考えたと知られれば、また人が来る気がした。
お蝶は目を閉じた。
帰りたい。
その思いと一緒に、低い声が戻ってきた。
『話す事など無い。行きたい所へ、行ってしまえ』
弥太郎の声だった。
どんな顔をしていたのか、思い出そうとすると輪郭がぼやけた。言葉だけが、何度も同じところを通った。
行きたいところなど、なかった。
弥太郎のいる家へ帰りたかった。けれど、その弥太郎が、行ってしまえと言った。
「……どこへ、行けば」
声は落ち葉の上で消えた。
人の足音はしなかった。葉擦れに混じって、小さな生き物の動く音がした。そのたび、お蝶は息を止めた。近づいてほしくなかった。けれど、遠くで何かが鳴くと、誰か来てくれないかと思った。
寒さが増した。
どのくらい、ここにいるのだろう。夜はいくつ過ぎたのだろう。
喉が渇いていた。腹も空いていた。空腹など感じている自分が、ひどく浅ましく思えた。それでも、身体は食べ物を欲しがった。
目を開けると、唇の近くに白いものがあった。
濡れた葉の間に、月の光を集めたような、小さな丸いものがある。
さっきまで、あっただろうか。
確かめるだけの記憶もなかった。
二 飢え
白いものを、しばらく見ていた。
食べられるものかもしれない。
そんなはずはない、と考えるより早く、唾を飲もうとした。口の中は乾ききっていて、喉がひりついただけだった。
米の飯が浮かんだ。
湯気の立つ椀。箸を取る弥太郎。向かいの顔を見てから、自分も手を合わせる。
いつの朝だったか。
お蝶は白いものへ顔を寄せた。首を動かすだけで痛かった。唇が落ち葉に触れ、土の匂いが鼻へ入った。
「……ん……」
一度は届かなかった。
頬を地面に擦りつけるようにして、もう一度近づいた。白いものが唇に触れた。冷たかった。固かった。
石だ。
口に入ってから、そう思った。
吐き出せばよかった。けれど、ようやく得たものを手放すのが怖かった。飴でも、木の実でもない。分かっているはずなのに、何かを食べれば、もう少しだけ保つ気がした。
飲み下した。
喉を通った感触が、妙にはっきり残った。
何も起きなかった。
お蝶は目を閉じた。
次の瞬間、胸の奥で熱が弾けた。
「……っ、あ……!」
息が途切れた。
熱い。腹だけではない。背中へ、肩へ、動かないはずの手足へ、熱が一斉に広がっていく。痺れが追いかけてきた。身体の内側へ、身の置き所のない重さが満ちた。
吐き出したい。
もう飲み込んでしまったのに、喉が何度も動いた。
「いや……やだ、何……」
肩が震えた。歯が合わず、呼吸が浅くなった。
また、何か間違えた。
どうして食べたのだろう。石だと分かったのに。どうして自分は、いつも、後になってから。
思考が続かなかった。
肌の上を、ひやりとした感覚が覆っていった。寒さとは違う。何かが身体に沿い、隙間なく貼りついていく。
叫んだつもりだった。
自分の声が、薄い布を通したように聞こえた。
光が目の端に浮かぶ。片方の視界に、輪が重なっていた。目を閉じても、消えてくれなかった。
「お願い……もう……」
何をやめてほしいのかも分からず、お蝶は泣いた。
どれほど経ったのか。
熱の波がようやく引いたとき、指先が、落ち葉を引っかいた。
かさ、と小さな音がした。
お蝶は呼吸を止めた。
今の音を、もう一度聞きたかった。
三 動く身体
指を曲げる。
黒い指先が、ゆっくり曲がった。
お蝶はそれを見つめた。
「……わたしの、手?」
手袋のようだった。けれど、身につけた覚えがない。手首から先へ、袖とも肌とも違う濃い色が続いている。
もう一度、指を開く。
開いた。
胸の奥に、息とも声ともつかないものが込み上げた。
お蝶は両手を地面につこうとした。途端に身体が持ち上がり、思っていたより高いところまで顔が動いた。
「ひっ」
驚いて力を抜くと、肘が折れた。落ち葉へ倒れ込み、肩に響く痛みに顔をしかめる。
痛みは、まだある。
動けるようになったからといって、何もかもなくなったわけではなかった。
お蝶は荒い息を整え、今度はゆっくりと肘をついた。身体を横に向け、木の根にもたれかかる。
それだけで、しばらく動けなくなった。
見下ろした身体は、知らない衣に包まれていた。
濃紺と黒。胸には銀色の蝶。腹を支える幅広い帯に、幾筋もの紐が渡っている。脚の先まで覆われ、足には見たこともない形の履物が沿っていた。
胸元をつまんだ。
布はわずかに伸びたが、引き離せなかった。
「脱げ、ない……?」
襟元を探っても、着物のような重なりがない。袖口も見つからない。
顔に触れると、鼻から顎まで薄いものに覆われていた。額には幅広い覆いがあり、片目まで塞いでいる。
慌てて手をかけたが、うまく外せなかった。
息はできた。口も動く。それを何度も確かめて、ようやく手を下ろした。
指に青い髪が絡んでいた。
知らない女の髪だと思った。
引くと、自分の頭に響いた。
「……どうして」
答える者はいなかった。
枝が揺れ、木漏れ月が脚へ差した。履物の内側に、淡い温かさを感じた。
お蝶は足先を見た。
動かそうとすると、動いた。
膝も曲がった。
怖かった。今度また動かなくなれば、どうすればいいのだろう。
木の幹に両手をつき、少しずつ腰を上げた。
途中で膝が震えた。
その震えに、不意に別の景色が重なった。
板の間。冷たい桶。濡れた袖。
『分かったから、ゆっくり立て』
今より高いところから、少年の声がした。
「……ヤタ、兄」
その呼び方が、口からこぼれた。
胸が痛くなった。
ずっと昔、そう呼んでいた。手を借りれば立てた。隣に座れば、温かいものが食べられた。
けれど今、伸ばした先にあるのは木の幹だった。
お蝶はそこへ額を寄せ、立ち上がった。
誰も褒めてくれなかった。
それでも、立っていた。
四 森の暮らし
歩けることと、山を下りられることは違った。
最初の数歩で、お蝶はそれを思い知った。
思うより遠くへ足が出る。止まろうとすれば上体だけが先へ傾く。木の根に躓き、枝につかまり、何度もその場へしゃがみ込んだ。
「ちょっと……待って。そんなに、早くなくていいの」
自分の脚に言い聞かせた。
暗い茂みへ入ると、動きが鈍くなった。出てきたばかりの場所まで戻り、木々の切れ目で休むと、少しずつ力が戻った。
同じことが、二度続いた。
お蝶は枝の向こうを見上げた。
「……お月様?」
片目の奥に浮かぶ輪にも、小さな月に似た形があった。ほかにも細い線や印が重なっている。目を擦っても、顔を背けてもついてきた。
何を示しているのかは分からなかった。
ただ、明るいところへ出たときと、奥へ入ったときでは、その様子も違う気がした。
お蝶は急ぐのをやめた。
木陰へ一歩入る。立ち止まる。膝の重さを確かめる。光の下へ戻り、待つ。
馬鹿らしく思えるほど小さな動作を、繰り返した。
水の音を見つけたのは、その後だった。
細い流れのそばへ座り、両手を差し入れた。水は手袋の上を滑り落ちた。すくう形を作るのに何度も失敗し、ようやく口へ運んだところで、顔の覆いに遮られた。
「これじゃ……」
唇の下へ指を添えると、その部分だけはずらすことができた。
お蝶は急いで水を飲んだ。咳き込み、少し待って、また飲んだ。飲めるというだけで涙が出そうだった。
覆いを戻すと、自然に顔へ沿った。
水面を覗く気にはなれなかった。
青い髪が落ちてくる。それを肩の向こうへ払い、空いている方の目だけで、流れを見ていた。
*
朝になっても、衣は消えなかった。
陽が差せば何かが終わるような気がしていた。けれど変わったのは、身体が少しずつ重くなることだった。
立ち上がるのが難しい。
夜のうちに見つけた、木の根の張り出した場所へ戻った。雨風をいくらか避けられそうだった。
落ち葉を寄せ、座るところを作る。
肩から下がった布を敷こうとして、手を止めた。夜、その布が月光を受けていたときの感覚が気になった。今も、背中の方にわずかな温かさが残っている。
汚してはいけないものかもしれない。
結局、膝の上に掛けた。
喉が潤うと、また腹が減った。
辺りに落ちていた木の実のうち、食べた覚えのあるものを拾い、手の上へ並べた。固い皮を剥く作業に、思いのほか手間取った。
昔は、もっと早くできた。
誰かに、手が遅いと笑われた記憶があった。
怒った声ではない。
『急いで指を切るより、よほどいいよ』
女の声だった。
蜜姐さん。
名前と一緒に、狭い部屋の匂いが戻ってきた。畳。白粉。廊下を行き交う足音。小間使いだった自分の膝の前に置かれた、繕い物。
お蝶は木の実を握ったまま、ぼんやりしていた。
あのときも、こうして教えてもらった。
いっぺんにやろうとしないこと。慌てて駄目にしないこと。
「……一つずつ」
声に出して、皮を剥いた。
昼の間は、休み休みにしか動けなかった。何もしていないのに、置いてきたものばかりが気にかかった。家のこと。店のこと。弥太郎の食事のこと。
もう自分に任されていないかもしれないことまで、順々に思い浮かんだ。
五 小さな呪石
次の夜、小川へ向かう途中で、片目の奥の印が動いた。
お蝶は立ち止まった。
顔を右へ向ける。印が寄る。
左へ向ける。離れる。
何かが、ある。
怖くなって一度は背を向けた。けれど、目を閉じても印は残った。
「何なの。何が、あるの」
返事はなかった。
すぐ逃げられるようにと考えて、逃げ道もよく分からないことに気づいた。泣きたくなりながら、足元を確かめて進んだ。
倒れた木の根元に、小さな欠片があった。
土を払い、掌に載せる。
あの夜、口に入れたものを思い出した。
同じとは言えない。色も形も違う。それでも、胸の蝶がかすかに温かくなり、掌のものへ意識が引かれた。
呪石。
その言葉は知っていた。
誰から聞いたのか。何か、恐ろしいものではなかったか。
思い出そうとすると、別の男の声が浮かびかけた。柔らかい声音だった。肝心の言葉をつかむ前に、記憶は途切れた。
お蝶は欠片を地面へ置いた。
また、あの熱が来るかもしれない。
戻ろうとして、足元が揺れた。とっさに幹へ手をつく。脇腹の奥が痛み、息が止まった。
月は雲の向こうにいた。
ここで動けなくなったら。
今度は、誰かが来てくれるだろうか。
お蝶はしゃがみ、小さな石を拾い直した。
「……少しだけ。動ければ、いいから」
誰に頼んだのか、自分でも分からなかった。
手を口元へ運んだ。薄い覆い越しに石を触れさせると、抵抗がゆるんだ。喉の奥へ、あの冷たさが届いた。
お蝶はすぐに身構えた。
それでも、間に合わなかった。
胸から腹へ、不快な熱が広がった。寒気がするのに熱い。身体の内側を押し広げられるようで、背中を丸めずにはいられなかった。
「う……っ、やっぱり……」
両手をつく。浅い呼吸を繰り返す。涙が覆いの縁へ溜まった。
食べなければよかった。
けれど動けなくなるのは嫌だった。
その二つが頭の中を行き来する間、お蝶は木の根を見つめ続けた。
*
呼吸が落ち着いてから、身体を起こした。
違和感があった。
お蝶は脇腹へ手を当てた。
さっきまで、息を深く吸うたびに痛んでいた場所だった。
おそるおそる、息を吸う。
痛みは残っていた。けれど、先ほどのように途中で止めなくてもよかった。
「……あれ」
もう一度、試す。
肩を動かす。肘を曲げる。覆いの下にある身体は見えない。それでも、身体をひねったときの鋭い痛みが、鈍い重さに変わっている。
ただ動かしてもらっているだけではないのだろうか。
翌夜も、その次に目を覚ましたときも、痛みは以前ほど強くならなかった。
小川へ歩けた。腰を下ろして、水を飲めた。
すべてが治ったわけではない。光のない場所では脚が重くなるし、強く力を入れれば痛いところもある。
それでも、お蝶は胸元を押さえた。
「治して……くれたの?」
銀の蝶は答えなかった。
石を飲む前の自分と、後の自分を比べる。確かめられることは、それしかなかった。
もし、少しずつでも治るのなら。
また、歩いて帰れるかもしれない。
*
森の中で、もう一つ、小さな石を見つけた。
今度はすぐ口へ運ばなかった。
掌の上で転がし、消えてしまった先の欠片を思った。
あの気持ちの悪さを、また味わうのだ。
そう思うと、指がこわばった。
蜜の顔が浮かんだ。
身請けの決まった日の、照れたような笑い方。その後、幸せに暮らしていると聞いて、自分までうれしくなったこと。
頑張った人は、幸せになれる。
お蝶は、それを疑わなかった。
けれど、自分の何が足りなかったのだろう。
もっと早く相談していれば。子ができていれば。あの日、別のことを言っていれば。
考えるたびに、自分の落ち度ばかり増えていった。どこへ戻って、何をやり直せばよいのかも、もう分からなかった。
お蝶は泣きながら、小さな石を握った。
今は飲めなかった。
それを責める声まで、自分の中から聞こえてくるのがつらかった。
六 帰るために
森で過ごすうちに、夜の支度ができるようになった。
暗くなる前に水を飲む。手元の食べ物を確かめる。月が差す場所と、休めそうな場所を見ておく。
何もかも初めての衣だったが、手足の動かし方には少しずつ慣れた。
高く跳ぼうとして、木の枝へぶつかりかけたこともあった。慌てて幹へしがみつき、しばらく下りられなくなった。
力があるからといって、上手に動けるわけではなかった。
「普通に……普通に歩いてくれれば、いいの」
誰に聞かせるでもなく繰り返すうちに、一歩の幅が揃ってきた。
月の出ている間に走り回ると、あとがつらい。昼でも、少しなら立っていられる。肩の布に残る温かさを意識すると、重かった脚が動くこともあった。
仕組みは分からない。
ただ、力を使い切ってはいけないことは分かった。
昼間、休んでいるときには、戻ってきた記憶を一つずつ並べた。
寺で暮らしていたこと。
ヤタ兄と、離れ離れになったこと。
遊郭で蝶を眺めていたら、お蝶と呼ばれるようになったこと。
迎えに来た弥太郎が、記憶の中の少年よりずっと大人になっていたこと。
再会した日の顔は、少しずつ思い出せるようになった。
最初、声が出なかった。ヤタ兄、と呼んでよいのか迷った。弥太郎もすぐには何も言わず、こちらを見ていた。
その目を見たときの安堵まで、戻ってきた。
「……会いたい」
膝に額をつけて、声にした。
会って何を話すのかと考えれば、たちまち怖くなった。
行きたいところへ行けと言われた。また同じように顔を背けられるかもしれない。姿まで変わってしまった自分を、誰だと言うかもしれない。
それでも、生きていると伝えたかった。
うまく話せなかったことを、今度こそ話したかった。何から話せばいいのかは、まだ分からなかったけれど。
*
祝言の日のことも、断片的に戻った。
慣れない支度。人の声。隣にいる弥太郎の気配。
顔を上げられずにいると、小声で尋ねられた。
『疲れたか』
お蝶は首を振った。
うれしかった。本当に、うれしかった。
これからは、この人のために働ける。大切にしてもらった分を、毎日、少しずつ返していける。
そう思っていた。
あのときの弥太郎が、何を考えていたのか。
お蝶には、今も分からなかった。
*
森を出ると決めた夜、掌の小さな石をもう一度見た。
まだ、怖かった。
お蝶は木の幹にもたれ、足元を確かめてから、石を口へ運んだ。
覚えていた通りの不快感が来た。
覚えていたからといって、耐えやすくはならなかった。肩を震わせ、途中で何度も後悔した。誰かに背中をさすってほしいと思い、その誰かの顔を浮かべて、また泣いた。
波が引くまで、動かなかった。
やがて手を開いたとき、小さな石はなくなっていた。
胸元の蝶を押さえる。
何を引き換えにしているのか、まだ知らない。自分の身に何が起こったのかも、説明できない。
けれど、昨日より深く息が吸えた。
立ち上がり、肩の布を月へ向けた。
夜露を含んだ風が、青い髪を揺らした。片目の奥にある輪が淡く光り、手足の内側へ、ゆっくり温かさが戻ってくる。
お蝶は水の流れる方角を見た。
そこから先は、まだ歩いていない。
町に戻ることは怖かった。人の声を聞くことも、顔を見られることも。自分を囲んでいた者たちに、もう一度会ってしまうかもしれない。
足が止まった。
木の幹へ手を戻し、しばらく、その場にいた。
無理に踏み出そうとすると、膝が震えた。
『ゆっくり立て』
少年の声を、思い出した。
お蝶は呼吸を整えた。
「……旦那様」
夜の森へ、小さく呼びかけた。
「わたし、そちらへ……」
続きは声にならなかった。
今度は顔を背けずに話を聞いてもらえるだろうか。帰ってきたことを、怒るだろうか。
分からなかった。
木から手を離す。
一歩だけ進み、足元を見る。
立っていられた。
お蝶はもう一歩、月の差す場所へ足を運んだ。
山の向こうの町で何が起きたのかを、彼女はまだ知らなかった。
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