一週間前行動
何事も早いほうが良いには違いない。
学校ならば、例えば夏休みの宿題は、
夏休みの始めのほうに終わらせたほうが後が楽であるし、
体育の徒競走など、速いほうがいい成績とされる。
本を読むのが早ければ、同じ時間でより多くの本を読める。
料理が早ければ、味にも良い影響があるだろうし、
家事が早ければ、自由な時間が手に入る。
ここに、早さを尊ぶ、早坂家という家があった。
早坂家は古くから伝わる由緒正しき家で、
家訓として、疾きは良きかな、と掲げていた。
早坂家の一人息子、高校生の早坂翔も、家訓に従って、
早さを第一とする生活を送っていた。
毎日、早寝早起き。朝は目覚まし時計が鳴る前に起きるのが当たり前。
それだけではなく、何事も一週間前行動を基準に生活していた。
翔の一週間前行動とはこうだ。
学校の授業は、自分で既に先の内容を予習していて、
いつも一人だけ一週間先の内容を独自に勉強している。
先生に当てられた時だけ、授業の内容に合わせた解答をしていた。
学校の先生も、翔のことはもう諦めて自由に任せていた。
授業中に勉強はしているわけだし、今の授業の内容は理解しているのだから、
おとなしく勉強している翔の授業態度を咎めることはできなかった。
他の授業も、翔は自分から先生に先の授業内容を聞きに行き、
独学で一週間分の授業内容を進めていた。
さすがに体育ではいつも一番というわけにはいかなかったが、
一週間先の授業内容に沿ったトレーニングはしていたので、
先生からの評価は悪くなかった。
授業内容は独学することができても、試験はそうはいかない。
試験の日を自分の希望でずらすには、よほどの理由が必要になる。
だから翔はいつも、定期試験の一週間前に、独自の模擬試験を行っていた。
内容は教科書や参考書から引用したものなので、一度は解いた問題だが、
繰り返し勉強することで、学習効果は高いと感じていた。
また先生からも勉強熱心であると褒められた。
翔の一週間前行動は、食事にも及んでいた。
翔が通う高校は給食がない。
だから翔の家は、一週間先まで献立を作り、
母親と祖母が献立通りの弁当を作ってくれたものだった。
朝食と夕食も同様に、一週間先まで献立が決められていた。
翔の一週間前行動は効果のあるものだが、予測が難しいこともある。
例えば体調不良など、事前に察知するには限度がある。
だから翔は、少しでも体に異常を感じたら、すぐに医者にかかった。
ある時、風邪を引く一週間前に病院に行き、かかりつけ医に驚かれた。
実際には早めに健康に気を付けることで、体調を崩すことはなく、
一週間前行動の効果はわかりにくかったが、
とにかく翔は何かと医者にかかりに行くものだった。
高校生と言えば、毎日、家と学校を往復するだけではない。
例えば修学旅行がそうだ。修学旅行は学年でまとまって旅行に行く。
それを一週間前に予習することなど不可能なはずだった。
しかし、翔の一週間前行動は、不可能を可能にした。
翔は修学旅行のしおりから修学旅行の行動を計画を予想し、
なんと一週間前に一人で修学旅行先に旅行に出かけた。
さすがに学校があるので泊まり込むことはできなかったが、
修学旅行の一週間前にざっと行き先を見ておいたので、
実際の修学旅行本番では、ガイドよりも詳しくなっていて、
これまたクラスメイトたちから驚かれたものだった。
翔の一週間前行動は、実は生まれる前から既に始まっていた。
翔の名は、翔が産まれる一週間前に、父親が名付けたという。
それから赤ん坊の時も、翔は家で早さを優先する教育を施された。
だから翔の一週間前行動は、もはや生来のものと言っても良い。
しかしそこに、誤算が起こった。
どうしても予測して行動できないことが現れたのだ。
恋である。
ある時、翔は、学校で一人の女子生徒に恋に落ちた。
理由はない。言うならば、一目ぼれというやつだろうか。
しかし相手はクラスメイトだったので、存在は知っていた。
翔が恋に落ちた相手は、暖器晩美という女子生徒だ。
なんだか翔には、名前を聞いただけでムズムズしてくる女子生徒だった。
名前に違わず、遅美は何もかもがのんびりマイペースな女の子。
勉強は各教科まんべんなく何とか平均、体育は苦手。
食べるのは遅いし、しゃべるペースもゆっくり。
でも遅美本人は全く気にしていないし、
周囲の人たちもそれを個性として受け止めていた。
それが気になったのは、早さを尊ぶ翔くらいだったのだろう。
ある日、翔が委員会活動を早めに終えて帰宅していた時。
先に学校を出たはずの遅美の姿を見つけた。
遅美は、飢えた野良猫やスズメたちに餌をやっていた。
げっそりとやせ細り、今にも死にそうな野良猫を見ていられなかったのだろう。
本来は野良の動物に餌をやるのは褒められるとは限らないが、
それでも遅美は野良猫やスズメたちに餌をあげていた。
餌は遅美の弁当だろうか。
中身はたっぷり残っていて、きっと野良猫やスズメたちの餌にするため、
自分は昼食をほとんど摂らなかったのだろう。
「ほーら、みんなで分けてお食べー。」
くぅぅ、とお腹を鳴らせながら、遅美は野良猫やスズメに餌をあげている。
その姿を見て、翔は心が踊った。胸が高鳴った。
これが恋であると、初めて知った。
それから、翔の恋の生活が始まった。
朝、遅刻ギリギリに登校してくる遅美を、ハラハラしながら待った。
授業中、何かと間があると、遅美のほうを見てしまう。
昼食時、見ているとやはり遅美は弁当にほとんど手をつけていない。
「遅美はすぐぽっちゃりさんになるからね。ダイエットも良いと思うよ。」
何も知らない周囲の女子生徒たちは、
弁当を食べない遅美にそんなことを言っていた。
それが翔には我慢ならなかった。
ある日、いつものように弁当を食べない遅美のところに行った。
机の前に立ちはだかる翔に、女子生徒たちは不審の眼差し。
「早坂くん、あたしらに何か用事?」
翔はそうツンケンする女子生徒たちを放って置いて、
遅美に向かって握った手を突き出した。
「ほら!」
翔と遅美は、クラスメイトではあるが、普段話をするような仲ではない。
それが突然やって来たものだから、遅美はのんびりと首を傾げた。
「これ、なぁに?」
「ん!」
翔が汗ばんだ手を開くと、そこには飴玉が手のひらに乗っていた。
空腹を抑えるために、翔が常備しているものだ。
今日も野良猫とスズメたちのために弁当を食べない遅美を見ていられなくて、
とうとう手を出してしまったのだ。
だけど好意的に接するのがなんとなく気恥ずかしくて、
こんな風につっけんどんになってしまった。
けれども、ゆっくりと飴玉を見る遅美は、翔の意図を汲んでくれたようだ。
「・・・ありがとう。これ貰うね。」
遅美は、翔の手汗まみれの飴玉を受け取ると、口に入れた。
それで遅美の腹の音はいくらか収まったようだった。
「何?あいつ。」
「遅美、気を付けたほうが良いよ。
あいつ、クラスでも偏屈で通ってるから。」
「何かの前触れかも。」
ギリギリ、女子生徒たちには、翔の恋心は見抜かれずに済んだ。
これが翔の遅美に対する恋心の決定打になった。
翔は恋をした。相手は暖器遅美。クラスメイトだ。
「こんな場合どうしたら良いんだ?」
これは翔にとって初恋だった。
だから、何をしたら良いかわからない。
何をしたら良いかわからなければ、一週間前行動ができない。
それが翔の心を焦らせた。
何事も一週間前行動してきた翔に、一週間前行動ができない問題が発生した。
それはもう、心の中では大騒ぎの出来事。
恋心に浮かれる翔を、一週間前行動が重しとなって押さえつける。
ともかくも翔は図書館で恋愛関係の本を読みふけった。
恋は最初が肝心!
恋敵に注意せよ!
恋は大事に育むもの。
恋に焦りは禁物。
・・・矛盾だらけだった。
恋愛のススメ的な本を数冊、速読のように読んだが、
内容はどれも矛盾することばかり。
ある本は恋は早さが大事と言えば、別の本は焦りは禁物と言う。
ただ、どの本にも共通することがある。
それは、告白、である。
恋は自分だけは自己満足として終わってしまう。
相手に恋心を伝えて、受け入れてもらってこその恋である。
そのためには、恋する相手に告白、愛を伝えなければならない。
どんなカップルも、翔の親だって、きっと告白したことだろう。
いっそ父親に、どのようにして母親を口説き落としたか聞こうとした。
しかし出来なかった。
そんなことを親に聞くなんて、多感な年頃の高校生である翔には不可能。
よって自力でなんとかするしかない。
その時、翔は重大な事に気がついた。
一週間前行動である。
翔は何事も早さを尊び、一週間前行動で過ごしている。
そして翔は今、恋をした。
告白をして、遅美に恋心を伝えねばならない。
ということは、だ。
一週間前行動だから、告白は一週間前にしなければならない。
つまり告白を考えた日から一週間前に行動する必要がある。
そのことに翔は気が付いてしまった。
一週間前行動が逆に、一週間後の告白を決定してしまった。
翔は今にもすぐに告白しようという状態。
時間を遡ることは出来ないから、先の予定しか立てられない。つまり。
翔は頭を抱えた。
「なんてこった!
一週間前行動を守るには、今から一週間先に告白をする必要がある。
告白まであと一週間しかないんだ!」
事前の予定が本番の行動を決定してしまうという、矛盾した状況。
しかし一週間前行動を翔は手放すことが出来なかった。
こうして翔の、恋の一週間が始まった。
一日目。
翔は消極的な行動からスタートした。
今まで翔は遅美と必要以外の会話をしたことがない。
だから話しかけるのはまだ早い。
翔は無言で遅美の近くに居続けることにした。
友達と話す遅美の視界にさりげなく入ったり、
消しゴムを落としたのを拾ってあげたり。
あわよくば、それが好走して遅美のほうから告白してくれるかも。
しかし世の中、そう簡単にはいかない。
消極的すぎた翔の行動は、遅美にほとんど気付かれることもなかった。
二日目。
翔はもっと積極的に動くことにした。
朝、いつものように遅刻ギリギリに登校してきた遅美に手を振った。
「おはよう。暖器さん、今日も遅刻ギリギリだね。」
すると遅美は汗を拭き拭き、笑顔で返した。
「あの子たちに朝ごはんあげてたから・・・ってこれは内緒だったっけ。」
遅美は言葉を濁したが、翔には遅美が朝何をしていたのか、
なんとなく分かった気がした。
それが尚更愛おしく感じて、汗を拭いてあげようとした、
・・・ところで邪魔が入った。
どこの学校にもいる女子生徒たちの群れ、女子連合である。
女子生徒たちは目を吊り上げて、翔に言った。
「ちょっと男子!女子の身体に勝手に触らないでくれる?」
「わ、わたしは構わないけど・・・」
「遅美は黙ってて。」
思春期の女は棘の塊、触れずとも勝手に割れる最悪の割れ物。
翔の良かれと思った行動は、女子生徒のタブーに触れてしまった。
おかげで翔はしばらくクラスの女子生徒たちにマークされてしまった。
それに加わっていないのは、当の遅美本人くらいのものだった。
三日目。
学校では女子たちが目を光らせている。
しかたがなく、翔は放課後まで待って、遅美に接触した。
もちろん、居場所はわかっている。例の野良猫たちの縄張りだ。
そこに行くと、やはり今日も遅美は自分の弁当を、
野良猫やスズメたちに分け与えていた。
そこに翔はさりげなく・・・でもなく、突然割って入って声をかけた。
「や、やあ!暖器さん!こんなところで何してるの?」
突然現れた異物に驚いたのは遅美だけではない。
餌にありついていた野良猫たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ、
餌を啄んでいたスズメたちは一斉に飛び去ってしまった。
遅美はそれを眺めて、翔に眉を潜めた。
「早坂くん、突然現れないでよ。
あの子たちは怖がりだから、逃げちゃったじゃない。」
「ご、ごめん。そんなつもりはなかったんだ。」
「うん。そうだろうね。だからもういいよ。」
しばらくすると、恐る恐る野良猫たちやスズメたちが戻ってきた。
遅美が警戒しない翔は安全な相手とみなされたようだ。
再び餌をあげ始めた遅美に、翔は話しかけた。
「暖器さん、いつもここで動物に餌をあげてるよね。」
「あ、知ってたんだ。」
「それは、まあ・・・」
「あのね、ずっと前に、ここで子猫が餓死寸前だったの。
餌付けして居着いたら困るからって、誰も見向きもしてなかった。
わたし、それが放っておけなくて、餌をあげちゃったの。
それからは、この通り。ここは野良猫やスズメの餌場になっちゃった。
だからわたしが責任を持って、毎日餌をあげてるんだ。」
「そうか。偉いな、遅美さんは。」
翔は心底そう思った。
翔の座右の銘は、疾きは良きかな。
だがこれは家の受け売りでしかないし、
何より自分のことしか考えていないのだ。
遅美は自分以外のことを考えて行動している。
最初から考えている先が違うのだ。
翔の一週間前行動は、褒められることはあれど、誰もしあわせにはしない。
自己満足でしか無かったのだ。
こんな自分に、遅美に告白する資格はあるのだろうか?
二人っきりの今なら、告白も可能だろう。
しかし翔は遅美の邪魔をしないように、そっとその場を後にした。
四日目。
翔は考えた。一週間前行動は是か非か。
しかし生まれてから続けていたものを、すぐに捨てることはできない。
だから、自分の悪いところを包み隠さず、素直に告白しようと思った。
放課後、翔はいつもの場所に向かった。
そこではやはり、遅美が野良猫たちとスズメたちに餌をあげていた。
今度は驚かさないように、遠くから小さく声をかけた。
「暖器さん、早坂だけど、近付いていいかな?」
「あっ、早坂くん、また来たんだ。
もう大丈夫。ゆっくり近付けば、この子たちはもう逃げないよ。」
言われた通りにゆっくり近付くと、遅美の言う通り、
野良猫たちやスズメたちは一瞥をくれるだけで、もう逃げはしなかった。
「本当だ。僕もこの子たちに認められたってことかな。」
「そうだと思うよ。早坂くん、根はやさしい人だって、わかるもの。」
「そんなことを言われたのは初めてだよ。」
「そうなんだ。いつも忙しそうにしてるものね。」
「ところで暖器さん、いや、遅美さん。僕、聞いて欲しいことが・・・」
「ちょっと待って。最後の子が餌を食べ終わる所だから。」
遅美は弁当の片付けをすると、制服のスカートの埃を払って立ち上がった。
夕日に照らされた遅美の影が、翔のほうまで伸びていた。
あのね、と遅美は言う。それは独り言のようだった。
「わたし、こんなだから、いつものんびりで、時間も全然ないんだ。
できるのは、この子たちに餌をあげることくらい。
今はそれしか考えられないの。ごめんね。」
「えっ、それって・・・」
唖然とする翔に、遅美はのんびり、ふっと笑った。
「わかるよ。わたしも女だもん。でも、ごめんね。」
全てお見通しだった。
翔の恋心は、遅美に筒抜けだった。
のんびりしていても、女は男の行動に敏感だった。
こうして翔は、告白する前に振られてしまった。
あれから、翔は悶々とした時を過ごした。
布団の中から夜光塗料の塗られた時計を見ると、
もう五日目になっていた。
告白まで残る時間はあと三日。
しかしそれももう無意味に感じられる。
今日、正確には昨日、翔は遅美に振られてしまった。
「疾さを尊ぶって、告白する前に振られるのは早すぎだよ・・・」
布団にくるまって泣きたかった。
でも、翔は泣くにはまだ早い気がした。
「何事も早いほうがいい。
しかし諦めるのも早いほうが良いのか?」
違うと思った。
確かに翔は遅美に振られたが、嫌われたわけではない。
遅美に付き合っている、あるいは好きな男がいるわけでもないようだ。
それならば、どこかに落としどころがあるのではないか。
そう考えると、まだ諦める気にはならなかった。
こうして眠れぬ夜を過ごした翔は、珍しく遅刻ギリギリの登校になった。
すると学校の校門で、遅美と鉢合わせることになった。
「あっ、暖器さん・・・」
「あれ、おはよう。翔くんがこんな時間に登校なんて珍しいね。」
「あ、うん。ちょっとね。」
咄嗟だったので、翔は遅美の変化に気が付かなかった。
それから二人は話す暇もなく、駆け足で教室に行った。
ギリギリセーフであった。
椅子に腰を下ろし、汗を拭いているところで、ようやく翔は気が付いた。
「・・・待てよ、さっき暖器さんはなんて呼んでた?」
考える前に朝のホームルームが始まってしまった。
だから翔は、良い兆候に気が付くのが遅れた。
授業中、翔は今朝感じた違和感に気がつけず、まだ考え続けていた。
「もう授業終わってるよ、翔くん。」
「ああ、気が付かなかった。暖器さん、ありがとう。」
そう挨拶してやっと気が付いた。
遅美が翔を下の名前で呼んでいる?
確か今朝もそうだった気がする。
振られはしたが、好意は持ってもらえたのだ。
現に他の女子生徒たちは、遅美と翔の方を見てヒソヒソ言っている。
数人の女子生徒たちは、遅美に確認に行ったほどだ。
しかし何を言われようと遅美は。
「うん?わたしは何とも無いよ?」
と、平然と返すのだった。
これは夢か幻か。
本当に遅美が翔に好意を持ってくれてるのか、
それを確かめるために、放課後に例の場所に向かった。
そこでは相変わらず遅美が野良猫たちやスズメたちに餌をあげている。
驚かせないよう、ゆっくりと近付きながら、翔は言った。
「・・・遅美さん、今日もここにいたんだね。」
すると遅美は、一瞬身を堅くしたが、それこそほんの一瞬。
すぐに力を抜いて、いつものようにのんびりと返した。
「今日も来たんだ、翔くん。」
「うん。遅美さんに逢いにきたんだ。」
「そうなんだ。うれしいな。」
二人ともそれっきり、何も話さない。
野良猫たちが弁当にがっついている。スズメたちが地面を啄んでいる。
それだけ。でもそれで翔と遅美には十分だった。
六日目。
運命の告白まであと一日。
しかし翔にはある種の確信があった。
だから朝の挨拶も自然にできた。
「おはよう、遅美さん。」
「うん。おはよう、翔くん。」
これでいい。
今までが早足すぎたのだ。
もっとゆっくり、歩調を合わせてあげれば良い。
翔には遅美との付き合い方がわかってきていた。
これなら、明日の告白は、悪いものにはならないはず。
だから油断していた。
平和な日常が続くと思っていた。
放課後、翔がいつものところに向かうと、異物がいた。
「だからぁ~、姉ちゃんさぁ。そこどいてくんない?」
「俺ら、ここでタバコ吸いたいだけだからぁ~。」
見るからに碌でもない連中が、遅美に詰め寄っていた。
着崩した制服は既に制服の体を成してはいないが、
うちの学校の生徒もいるだろうか。
見るからにガラの悪い数人の男たちが、
タバコに火を点けながら遅美を取り囲んでいた。
遅美は恐れ慄きながらも、果敢に抵抗していた。
「ここは喫煙所じゃありません!
タバコが吸いたいなら、他所に行ってください。」
しかし男たちに遅美の言葉は届かない。
異物たちのせいで、野良猫やスズメたちもやってこない。
ここだ!ここで自分が助けなければ!
翔は考える前に動いていた。
「遅美に手を出すな!」
肩をちょっと小突いただけだった。
しかしそれの反撃は、一発で翔を打倒してしまうものだった。
「あ?お前、誰?この女のこれ?」
「彼女に良いカッコ見せようなんて、思わないほうがいいぜ。
こっちはボクシングに空手の有段者もいるんだからなぁ。」
翔は地面に倒れてその声を聞いていた。
さっきの正拳突き一撃で鼻血が止まらない。
翔は立ち上がる機会すら与えられず、
男たちに蹴られ踏まれのもみくちゃにされた。
「もう止めて!」
遅美の泣き声に、やっと男たちの暴力が止まった。
「ちっ、しかたねーな。」
「もうこんな時間だし、タバコは車で吸いますか。」
「俺、車にタバコの匂いつけたくねーんだよなぁ。
女が嫌がるからさぁ。」
男たちはもう翔と遅美には目もくれず、引き上げていった。
遅美は泣きながら、地面に倒れている翔に駆け寄った。
「翔くん!大丈夫!?」
「・・・ああ、・・・うう。」
大丈夫ではないのは見て分かることだった。
鼻の骨が折れていないのは、男たちのせめてもの情けだろう。
遅美は翔の側に寄り添い、泣きながら言った。
「翔くん、わたしのために無茶しないで。
わたし、翔くんのことが・・・」
「それ以上言うな!!」
翔が、出るはずのない大声で遅美を制した。
「翔くん、なんで?」
翔には、遅美が何を言おうとしたのかわかった。
わかったからこそ止めた。
なぜなら、それは翔の予定通りだったから。
「違うんだ・・・遅美さん。」
「違うって何が?」
「僕は遅美さんが暴漢に襲われるのを助けたんじゃない。
状況を利用しようとしたんだ。」
「利用って・・・」
「暴漢に襲われてる遅美さんを助ければ、
例えタバコ代わりのおもちゃにされても、
遅美さんはきっと僕を好きになってくれる。
そう考えて、この状況が僕に有利だと思って利用したんだ。」
「そんな・・・。でも実際に助けてくれたのは事実だし・・・」
「それが計算されたものでも?
笑ってくれていいよ。
僕は明日、遅美に告白するつもりだったんだ。
いや、今でもそのつもりだ。
手応えもある。でも決定打が足りない。
そこに今日の出来事が起こって、僕は早まったんだ。
人を呼ぶとか、もっと穏便に解決する方法はあったにも関わらずにね。」
翔は遅美が暴漢に襲われているのを見て、喜んだ。
これはチャンスだと考えたから。
そのための代償として、多少の怪我は覚悟していた。
これは全て翔の想定内。自作自演みたいなもの。
だから翔は救急車も呼ばずに、自らの足で立ち上がった。
「翔くん、救急車は・・・」
「いらない。これは僕のしでかしたこと。
転んだことにでもするさ。」
意地になった翔は説得できない。
だからせめて、遅美は翔に寄り添った。
「わたしが翔くんを家まで送る。」
「よしてくれ、女に送られるなんて、男の恥だ。」
「翔くんにはその男の恥をかいてもらう。
これはわたしの意地。」
意地になった遅美もまた、翔には説得できそうもなかった。
そうして翔は遅美に付き添われて、家まで帰った。
道中、二人は一言も言葉を交わさず、
しかしお互いの身体は決して離さなかった。
七日目。
翔が遅美に告白する日。
翔は学校をサボった。
ボロボロの姿を学校のみんなに見せられたくなかったし、
何より早く行動するのは翔の意地だったから。
翔は学校にはいかず、朝からあの場所でずっと待っていた。
時は過ぎ、放課後の時間がやって来た。
いつもなら真っ先にここに来てるはずなのに、
あの人は今日に限って中々姿を現さない。
きっとここに翔がいるのがわかっているから来ないのだ。
できるだけゆっくりとここにくるために。
待つ。待つ。待つ。
遅美はやっと来た。自分のペースで。ゆっくりと。
翔は手を振った。
「やあ、遅い到着だね。」
遅美は挑戦的な笑みで答えた。
「今日はね。あなたのペースに合わせないために。」
「そうだね。遅美には遅美のペースがある。」
「そして翔には翔のペースがある。」
「どちらかに合わせるんじゃない。」
「どちらも同じ早さでいられるなら。
わたしはあなたを。」
「僕は君を。」
翔と遅美が歩み寄っていく。
その歩調は、どちらから合わせるでもなく、丁度同じに重なっていた。
終わり。
物ごとは何事も早い方が良いのか?
自分なりに考えて、この話を書きました。
早いには早いなりに良いことがある。
しかし、自分のペースを崩してまで早まってはいけない。
決められた期限だって、時には破っても構わない。
そんな結論になりました。
それでいいのでしょうか?私にも自信はありません。
お読み頂きありがとうございました。




