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厨二病王子と氷炎令嬢

悪役令嬢に婚約破棄を突き付けたら、王子のほうが公開処刑されました

作者: 春奈さん
掲載日:2026/05/30

燦々と輝くシャンデリアの下、王立学園卒業記念舞踏会は華やかに行われていた。


三年間の切磋琢磨を終え、未来ある貴族子女たちが門出を祝う晴れの場。


そんな中に、涼やかだがハリのある声が響いた。


「我、ルヴェリア王国第一王子、レオニス・アルヴェインの名において告げる!」


黒マントを翻して、少年から青年に移り変わる時期の伸びやかな肉体を誇示し、燃えるような赤髪を大仰にかき上げた第一王子レオニスは、片目を隠す銀の装飾付き眼帯などという、正気を疑う装いで腕を広げていた。


「アレクシア・フォン・グランディール!」


びしり、と。


真正面に立つ公爵令嬢を指差した。


その鋭く呼ばれたその名を耳にし、レオニスの隣にいたミルフィーナ・エーベルハルト男爵令嬢がびくりと肩を震わせる。


ミルフィーナは怯えたようにレオニスのマントを掴み、縋るように身を寄せた。


「貴様は己の地位と影響力を利用し、ミルフィーナへ継続的な精神的圧迫、社交的排斥行為、並びに報復的商業介入を行った!」


一歩踏み込む。ミルフィーナは慌てて付いて歩いた。


「その冷酷非道なる振る舞い――もはや看過できぬ!」


どんっ、と足を踏み鳴らす。どうやら気分が乗ってきたようだ。


「以上によって!」


勢いよく腕を突き出す。


「俺は貴様を断罪する!!」


ばぁんっ!!


そんな効果音すら聞こえてきそうな勢いだった。


そして。


完全にテンションの上がったレオニスは、更に畳み掛ける。


「闇へ堕ちし氷雪の魔女よ!」


ぐるり、と黒マントを翻した。ミルフィーナはとっさに手を離す。


「貴様の罪業、王家に流れる蒼炎の血が滅びまで導こう!」


片手で眼帯を押さえる。


何故か無駄に格好いい。


いや、本人は本気で格好いいと思っている。


「震えるがいい!」


片腕を大きく広げる。


「今宵、貴様の運命は終焉を迎えるのだからな!!」


痛い。正直かなり痛い。直視が躊躇われるほど痛い。


ミルフィーナの小さいフォローがなければ成立しない動きというのが実に情けない。


だが。


その糾弾の内容は、客観的事実を突いた追及であり、論理的に的を射た非難であり、事実関係の正確な指摘であった。


ミルフィーナの孤立。 男爵家への圧力。 贔屓商会への妨害。 令嬢たちへの牽制。


レオニスは、ひとつずつ丁寧に暴いていた。


ミルフィーナは潤んだ瞳で怯えたように再度レオニスへ縋る。


ふわふわと波打つ砂糖菓子みたいな淡桃色の髪。 大きく丸い蜂蜜色の瞳。 白く柔らかな頬。


小柄な身体を包むクリーム色のドレスは、幾重にも重なったレースとリボンで彩られていて、まるで甘い菓子細工の妖精のようだった。


守ってあげたくなる。


そんな言葉が、そのまま形になったような少女。


男爵家の末娘として甘やかされて育ち、人を疑うことも、悪意へ耐性を持つこともないまま学園へ入った。


そこでレオニスたちと出会い、無邪気な明るさのまま自然と距離を縮めていく。


眼帯を格好いいと褒め、 側近たちへ屈託なく笑いかけ、 気付けばいつも輪の中心にいた。


――だからこそ、目を付けられた。


王子の婚約者。 社交界最悪の女。 アレクシア・フォン・グランディール公爵令嬢に。


表立って何かをされたことは一度もない。


だが気付けば周囲から人が消える。


親しくしていた令嬢は距離を置き、 贔屓だった店は突然態度を変え、 笑顔で話していた相手が、翌日には怯えたように目を逸らす。


じわじわと足場を削られる感覚。


逃げ道を塞がれていく恐怖。


ミルフィーナは、それを真正面から受け続けていた。


だから今も、本気で怯えている。


潤んだ瞳。 震える肩。 今にも泣き出しそうな表情。


ただ問題なのは。


その怯え方まで、あまりにも“庇護欲を誘う少女”として完成され過ぎていることだった。


ぴたりとレオニスへ寄り添う姿も、 甘えるような上目遣いも、 震える声も。


どうしても“作っている感”が滲む。全部があざとく見えてしまう。


本人にそんなつもりはないのに、結果として胡散臭い。


非常に損なタイプだった。


そして、そんな二人の背後に控えているのは、感情を読ませない冷たい瞳で眼鏡を押し上げる宰相の息子。祈るように目を伏せる教皇の息子。半笑いを貼り付けた大商人の息子。無表情で立つ騎士団長の息子。


さらにその一団には、アレクシアの義弟である公爵子息ユリウスの姿もあった。もっとも本人は、露骨に目を逸らしていたが。


一方。


覚えのある出来事を糾弾されているアレクシアだが微塵も怯まない。


レニオスの痛すぎる言動はもう見慣れたもので、そこを気にすることもなく、更には王子派の面々から集団で断罪を受けている構図だが、動揺ひとつ見せることなく、静かに扇を開き口元を隠した。


ゆるやかに扇を開く姿は、それだけで一枚の絵画のようだった。


弧を描いて広がる扇は、深い藍色の絹地へ銀糸で百合が刺繍された品で、彼女の纏う濃紺のドレスによく映えている。


そしてその濃紺のドレスに包まれた肢体は、若さゆえの瑞々しさを残しながらも、既に目を奪うほど完成されていた。


細く引き締まった腰、豊かな胸元。 滑らかな曲線を描く肢体。鋭い美貌にその曲線が加わることで、彼女の存在は近寄り難いほどの色香を纏っている。


男たちが密かに夢見て、女たちが悔しさ混じりに溜息をつく体型。


そして、その甘さを削いだ美貌。


艷やかな漆黒の髪。 宝石のような蒼い瞳は鋭く吊り上がり、相手を射抜くような冷たさを宿している。


気位の高さを隠そうともしない顔立ちは、近寄り難いほどに美しい。


顎を引き、凛と立つその姿には一切の隙がない。


触れれば切れる刃のような威圧感と、目を逸らせなくなるほどの色香が同居していた。


――睨まれただけで泣き出す令嬢がいる。


そんな噂すら妙に納得できるほど、彼女の視線は鋭かった。


いや実際。


アレクシアは、恐れられていた。


気に入らない相手には容赦がなく苛烈。 社交界では“氷炎の公爵令嬢”などと呼ばれていた。


実際、以前。


侯爵令嬢の一人が、アレクシアを陰で嘲笑したことがある。


『胸ばかり大きくて品がありませんわね』


それを聞いたアレクシアは、真正面から平手打ちした。


しかも笑顔で。


その結果、令嬢は泣き崩れ、両家を巻き込む騒動に発展した。


だが恐ろしいのは、その後だった。


数日後。


件の侯爵家が抱えていた交易路の不正が露見。 支援していた商会は次々撤退。 さらに婚約話まで白紙となり、社交界から半ば追放状態へ。


偶然ではない。


誰もが理解していた。


アレクシア・フォン・グランディールが潰したのだと。


本人は何もしていない。


ただ、笑って紅茶を飲んでいただけ。


なのに、相手は勝手に破滅していく。


だから皆、彼女を恐れていた。


苛烈で激情家なのに冷静。 頭の回転は早く、策謀が得意。


狡猾。


真正面から殴りつつ、更に裏では逃げ道を塞いでいる。


それがアレクシア・フォン・グランディールだった。


だからこそ。


今この場にいる誰もが、“彼女がやっていない”とは思っていない。


実際。


やっている。


教科書を隠したことはない。


そんな小物じみた真似は好まないからだ。


だが、ミルフィーナが茶会で孤立するよう令嬢たちへ圧力を掛けさせたことはある。


ミルフィーナの実家が贔屓にしていた商会へ競合を差し向け、流行品を市場から消させたこともある。


陰口が好きな令嬢へ、ミルフィーナの不利な噂を流させたこともある。


王子が挙げ連ねた事は、直接手を出したわけではないが、間違いなくアレクシアが行ったことだ。


だが。


「で? なにか問題でもございまして?」


冷ややかな視線で周囲を見渡し、扇で口元を隠したまま鼻で笑った。


『それが何か?』と。


そもそも彼女には、“ミルフィーナを虐めた”という認識自体が薄い。


高位貴族として当然の対応をした。


ただ、それだけの話だった。


「下位貴族の令嬢が弁えぬ振る舞いをなさって、高位貴族の令嬢である私が名誉の為にやり返す事の、どこに罪がございまして?」


本気で不思議そうに首を傾げる。


ミルフィーナはアレクシアの婚約者である王子へ無邪気に纏わりつき、当然のように触れ、甘える。


それだけではない。王子だけでなく、王子の側近たちへも人懐こく笑いかけ、距離感も近い。


袖を引き、 腕へ軽く触れ、 『すごいですねぇ』と無邪気に目を輝かせる。


本人に悪気などないのだろう。


だが、人目のある場でもまるで気にしないその振る舞いは、社交界の令嬢たちからすればあまりに不用心だった。


当然、陰では様々な言葉が囁かれる。


『まあ、随分と距離のお近い方ですこと』

『男爵家では、あれが普通なのかしら』

『無邪気、で済ませるには少々……』

『殿下もお優しいから、強く言えないのでしょうね』

『婚約者のいらっしゃる方へ、あそこまで気安く触れられるなんて凄いわ』

『わたくしには真似できません』


そして、アレクシアの耳へも、こんな声が届いていた。


『アレクシア様も、お心が広いのね』

『公爵令嬢ともなると、余裕が違うのかしら』


感心したように交わされるその言葉。


だがその裏に、“婚約者へあれだけ纏わりつかれても黙っている”という含みがあることくらい、アレクシアにも当然わかっていた。


別に王子を愛しているわけではない。厨二じみた言動には呆れていたし、鬱陶しいと思うことのほうが多い。

だがそれでも、幼い頃に決められた付き合いの長い“自分の婚約者”。愛用のハンカチ程度の執着はあった。


そしてミルフィーナの行動は、アレクシアにとっては猫に戯れつかれてドレスに毛が付いてイヤだわ程度の不快さだった。


だが、その状況を良しとしていると思われ、周囲から面白半分の視線が向けられるのを不快に思わないほど、アレクシアは寛容ではない。


「だったら言葉で話せばよいではないか。なぜすぐ策謀を巡らす?」


思わず、といったようにレオニスが言い返す。


先程までの『真紅の邪眼が──』だの『蒼焔の魔女よ──』だのという痛々しい口調は綺麗さっぱり消えていた。


それほどまでに、アレクシアの返答は予想外だったのだ。


だが、問われたアレクシアのほうは露骨に眉を顰める。


「わたくしも最初はそのつもりでしたわよ? でもその方、わたくしの顔を見ただけで泣きましたの」


続く声は心底嫌そうだった。


「意味がわかりませんわ。まだ何もしてはおりませんでしたのに」


しかも本人は怯えながらもレオニスへ縋り付き、上目遣いで助けを求める。


アレクシアからすれば、不気味だった。


「あのようにべたべたと男へ張り付いて、くねくねと甘えた声を出される。そんな気持ちの悪い方、直接関わるなんて無理ですわ。」


アレクシアは本気で嫌そうに眉を顰めた。


まるで、不快な虫でも見たかのような声音。


そのあまりにも容赦のない言い草に、会場中が静まり返る。


だが当の本人だけは、自分がどれほど酷いことを言っているのか理解していない。


そして最後には、呆れたように溜息を吐いた。


「ですから、周囲から消えていただくほうが早かっただけですわ」


さらり、と。


まるで当然の合理性でも語るように。


その瞬間。


「……っ」


レオニスの背後で震えていたミルフィーナが、小さく息を呑んだ。


怖い。


怖かった。


目の前の女は、ずっと怖かった。


笑顔のまま人を孤立させ、 何もしていない顔で逃げ道を塞ぎ、 周囲からじわじわと居場所を奪っていく。


しかも本人には悪意の自覚すらない。


だから余計に恐ろしかった。


けれど。


ここで黙れば終わる。


自分はまた潰される。


そう思った瞬間、ミルフィーナは震える足で一歩前へ出た。


「わ、わたしは……っ」


掠れた声。


それでも必死に顔を上げる。


「わたしは、ただ皆さんと仲良くしたかっただけなのに……っ」


潤んだ瞳から涙が零れる。


「急に誰も話してくれなくなって……お店も、茶会も、全部……っ、全部怖かったんですぅ……!」


震える声で訴えながら、それでもミルフィーナは逃げなかった。


逃げずに。


ついに。


「アレクシア様が、全部やったんじゃないですかぁ!!」


びし、と。


アレクシアを指差した。


瞬間。


空気が凍る。


アレクシアの目が、すう、と細められた。


「……あなた」


低い。


ぞっとするほど低い声。


先程までの冷笑すら消え失せていた。


ゆっくりと、扇が閉じられる。


ぱちん。


乾いた音が、妙に大きく響いた。


「下級貴族の娘ごときが、誰に向かって指を差しているのか、理解していらして?」


ミルフィーナの肩が跳ねる。


アレクシアは一歩、前へ出た。


ドレスの裾が静かに揺れる。


それだけなのに、まるで猛獣が距離を詰めたような圧迫感があった。


「無礼にも程がありますわね」


冷たい蒼眼が、真っ直ぐミルフィーナを射抜く。


「その指、燃やされたいのかしら?」


凍えるような声だった。


ミルフィーナの顔が一瞬で青ざめ、会場が凍った。


後方では、取り巻きたちの顔色が死んでいた。


宰相の息子は眉間を押さえ、教皇の息子はぎゅっと目を瞑り、 騎士団長の息子は露骨に視線を逸らし、 商人の息子は「だから嫌だったんだ」という顔をしている。アレクシアの義弟などは既にいなかった。


だが、


「――そういうところだ、アレクシア!」


鋭く響いた声が、二人の間へ割って入った。


レオニスだった。


付き合いの長い彼だけは、今のアレクシアの言動が、牽制しただけだと分かっていた。


アレクシアが本気で怒った時の危険性を、誰より理解しているのは長年の婚約者である彼自身だ。


だからこそ反射的にミルフィーナの前へ立った。


黒マントを翻し、庇うように両腕を広げる。


「お前のそういう所が駄目なのだ!」


びしり、とアレクシアを指差す。


「このように可憐で愛らしいミルフィーナへ、なぜそこまで冷淡な仕打ちができる!?」


自分のセリフにミルフィーナへ視線を向け、大丈夫だとでもいうかのように頷き、またアレクシアを睨み付けた。


「お前はいつも俺へ小言ばかりだった!」


緊迫した空気の中続けられたレオニスの言葉に、会場のあちこちで、「あ、それはそうだろうな」と言いたげな顔が浮かぶ。


「『邪眼はやめてくださいませ』『黒炎設定を公務へ持ち込まないでいただけます?』『そのマント、階段で踏まれて転びますわよ』と、顔を合わせるたびにクドクドとっ!」


頭を軽く振り、わざとらしく裏声まで使ってアレクシアを真似るレオニス。


その瞬間。


張り詰めていた会場の空気が、わずかに揺れた。


耐えきれなかったように数人の令嬢が肩を震わせ、慌てて扇で口元を隠す。


貴族子息たちの中にも、思わず吹き出しかけて咳払いで誤魔化す者がいた。


あまりにも似ていたからだ。


実際、アレクシアは本当にそういうことを言う。


しかもかなり真顔で。


騎士団長の息子などは露骨に視線を逸らし、商人の息子は半笑いを堪えきれず肩を震わせている。


宰相の息子は眼鏡を押し上げながら深々と溜息を吐き、教皇の息子に至っては祈るように額を押さえていた。


誰も否定できない。


レオニスの厨二病じみた振る舞いは、学園内でもかなり有名だった。


そしてアレクシアが、それを片っ端から現実へ引き戻していたのもまた事実である。


もっとも。


当のアレクシア本人だけは、一切笑わなかった。


冷え切った蒼い瞳でレオニスを見据えたまま、アレクシアは扇の奥で眉を寄せる。


仄かに弛んだ空気に気付きもしないレオニスは、更に続ける。


「対してミルフィーナは違う。『わぁ、今日の眼帯も格好いいですねぇ!』『その技名、すごく強そうですぅ!』『レオニス殿下って凄いんですねぇ!』全部、笑顔で肯定してくれるっ!」


今度はミルフィーナの真似なのだろう。


顎の下へ手を添え、身体をくねくねと揺らしながら、わざとらしい裏声で再現してみせる。


――追撃だった。


耐えきれず、ついに何人かの令嬢が吹き出す。


慌てて扇で隠しているが、肩が震えている時点で隠し切れていない。


貴族子息たちも顔を背け、露骨に笑いを堪えていた。


というより、あまりにも再現度が高かった。


ミルフィーナは本当にこういう喋り方をする。


無自覚に身体を寄せ、 無邪気に褒め、 距離感がおかしい。


それが可愛いと思う者もいる。


だが同時に、“あざとい”と感じていた者も決して少なくなかったのだ。


商人の息子など、ついに耐えきれず俯いて肩を震わせ始めている。


騎士団長の息子は完全に明後日の方向を向き、 宰相の息子は「やめろ」という顔で眉間を押さえ、 教皇の息子は祈りを捧げる速度が若干早まっていた。


そして。


真似をされたミルフィーナ本人は、顔を真っ赤にして固まっていた。


恥ずかしい。


しかも似ている。


否定しきれない。


「ふぇ……ぁ……」


涙目でおろおろと視線を彷徨わせ、最終的には再びレオニスのマントを掴んで半分隠れるように縮こまった。


一方。


アレクシアだけは笑わない。


ただ静かに、本当に静かにレオニスを見ていた。


その目は、先程までより明らかに冷えている。


だが、その視線を真正面から受けても、レオニスは揺らがない。


レオニスは別に巫山戯ているわけではなかった。


わざと空気を和ませようとしているわけでも、 誰かを笑い者にしたいわけでもない。


レオニスにとっては、“その方が伝わりやすい”と思っただけだ。


声色も、 仕草も、 そのまま再現したほうがわかりやすい。


そして何より、そのほうが格好いい。


本気でそう思っている。


長年の付き合いのアレクシアも、それが悪意から来る茶化しではないと理解していた。


理解しているからこそ、余計に腹が立つ。


天然で品がないのだ、この男は。


そんなアレクシアの冷えた視線にも気付かぬまま、気分が乗ってきたレオニスは真っ直ぐ彼女を見据え更に続けた。


「ミルフィーナはいつも笑顔で俺を認め、肯定してくれた! だが、お前は違う!」


レオニスは高らかにマントを翻す。


その拍子にマントを握りしめていたミルフィーナが払われた事にも気付かず続ける。


「冷酷! 傲慢! 高圧的! まさしく氷雪の魔女!」


テンションが戻ってきたレオニスはもう止まらない。


「そのような冷淡な令嬢を、次期王妃になどしておけるものか!」


どんっ、と足を踏み鳴らす。


「よってここに宣言する!」


無駄に格好いい角度で腕を突き付け、


「アレクシア・フォン・グランディール! 貴様との婚約を破棄する!!」


会場がどよめいた。


その後ろでは、


「うわぁ、言った……」


という顔で側近たちが揃って頭を抱えていた。


−−と、その時。


「あぁ?」


アレクシアの口から、令嬢にあるまじき低い声が漏れた。


その瞬間。


会場の空気が変わる。


先程ミルフィーナへ向けていた怒気など比にならない。


濃密で、 鋭利で、 肌を刺すような激怒。


目に見えるほどの怒りが、その美貌から溢れ出していた。


側近たちの顔色が変わる。


騎士団長の息子が反射的に一歩出かけ、 宰相の息子は「終わった」という顔で目を覆い、 商人の息子は半笑いすら消して息を呑んだ。


誰もが知っている。


アレクシアが本当にキレた時は、静かなのだ。


そして次の瞬間。


アレクシアの姿が掻き消えた。


――そう錯覚するほど速かった。


ヒールの音すら聞こえない。


気付いた時には、彼女はレオニスの眼前へ立っていた。


「な――」


言葉を最後まで発する暇もない。


ぱぁんッ!!


乾いた音が、舞踏会場へ炸裂した。


レオニスの顔が勢いよく横へ弾かれる。


そのまま体勢を崩し、床へ倒れ込んだ。


会場中が凍り付く。


王子が。


未来の国王が。


真正面から殴られた。


しかもグーではない。


平手。


男が倒れ込むほどの力で遠慮なく。


完璧な角度で。


倒れたまま、レオニスは呆然とアレクシアを見上げる。


そんな彼を見下ろすアレクシアは――笑っていた。


それはそれは、美しく。


だが同時に、背筋が凍るほど恐ろしい笑顔だった。


蒼い瞳だけが、一切笑っていない。


「なぁにを勘違いしていらっしゃるのかしらぁ?」


至近距離まで顔を寄せ、圧迫するかのように続ける。


「あなたがわたくしから離れることできるなど、できる訳がないでしょう??」


アレクシアは再度逆頬を平手打ちし


「目を冷ましなさいっ」


叫ぶように告げた。


レオニスの目が見開かれる。その瞳には戸惑いがあった。


また殴られたからではない。


誇り高いアレクシアの瞳が、間近で見ないと気付かない程度だが仄かに潤んでいたからだ。


アレクシアはレオニスの瞳の戸惑いを正確につかみ取り、思わず眉根を寄せたが、瞬時に姿勢を正して優雅に微笑み、言葉を重ねた。


「貴方、わたくしのことが大好きではありませんの。わたくし以外の誰を、好きになれると思い込んでいらっしゃるの」


会場が静まり返る。


だがアレクシアは止まらない。


「わたくしへ見てほしいがために、毎回毎回無駄に派手な衣装を用意して」


「邪眼だの黒炎だの馬鹿みたいな設定を増やして」


「孔雀の求愛かと思いましたわ」


「ア、アレクシア!」


真っ赤になったレオニスが叫ぶ。


だがアレクシアは一蹴する。


「お黙りなさいっ」


ぴしゃり、と。


完全に怒られている子供だった。


「少しどこぞの令嬢を構えば、わたくしが嫉妬するとでも思いましたの?」


アレクシアは目を細め、ちらりとミルフィーナを見たあと、再度レオニスを見た。


レオニスはこれ以上ないほど赤面していた。図星だったのだ。


側近たちが一斉に目を逸らす。だからやめておけばよかったんだと、一同の心が一致した。


アレクシアは冷笑する。


「くだらない」


その声音には、怒りだけではない何かが混ざっていた。


呆れ。


苛立ち。


そして。


ほんの僅かな、安堵。


レオニスが考えていることなど、手に取るようにわかっているつもりだった。


面倒くさい。正直な感想がそれだった。


それでも、ミルフィーナへ向けるレオニスの笑顔を見るたびに、ありえないはずの可能性をどこかで小さく思い、仄かに心をざわつかせていたのも事実だった。


「……はぁ」


怒気を吐き切ったように、アレクシアは小さく息を吐いた。


そして、ゆっくりとミルフィーナへ視線を向ける。


先程までとは違う。


氷のような激情は消え、今度はどこか冷めたような眼差しだった。


「あなた、ミルフィーナさん?」


びくり、とミルフィーナの肩が震える。


アレクシアは扇を閉じたまま、静かに続けた。


「巻き込んで申し訳なかった、とは流石にお伝えしたほうが良さそうですわね」


会場がざわつく。


まさか謝罪の言葉が出るとは思わなかったのだ。


だが。


「もっとも、貴方は貴族としては少々不用意すぎましたけれど」


やはりアレクシアだった。


「婚約者のいる男性へあの距離感で触れ続ければ、反感くらい買いますわ」


「ひ……」


「無邪気で済まされるのは、子供までです」


冷たい。


だが先程よりは理性的だ。


周囲も、どこか安堵しかける。


――が。


アレクシアは、ふと笑った。


それは酷く美しい笑みだった。


「でもね」


その瞬間。


側近たちの顔色が変わる。


ああ駄目だ、と。


誰もが察した。


「そこのあなた、よくお聞きなさい」


アレクシアはミルフィーナを真っ直ぐ見据える。


「わたくしが本気で排除を望むなら、周囲から人を遠ざける程度では終わりませんわ」


ミルフィーナの顔が青ざめていく。


「あなたの周囲へ“わたくしの人間”を送り込みます」


静かな声音。


なのに、背筋が寒い。


「慰めるふりをして近付き」


「味方の顔をして信用を得て」


「少しずつ考えを誘導する」


アレクシアは微笑む。


ぞっとするほど美しく。


「あなた自身が、自分から孤立を選ぶようになるまで」


「あなた自身が、“消えたい”と思うようになるまで」


「ずっと」


会場から、誰かが息を呑む音がした。


ミルフィーナは完全に怯えきっている。


だがアレクシアは止まらない。


「商会も同じですわ」


さらり、と。


「流行品を消す程度で済ませるわけがないでしょう?」


その声音には、妙な現実味があった。


なぜなら。


この女なら、本当にやるからだ。


「取引先を削り」


「融資先を閉じ」


「気付いた時には、男爵家そのものが首を回らなくなっている」


「わたくしが本気で潰すというのは、そういうことです」


静寂。


誰も声を出せない。


そしてアレクシアは最後に、小さく肩を竦めた。


「……ですから今回の件、わたくしとしては随分と手加減しておりましたのよ」


にっこりと。


それこそ、思わず跪いて拝みたくなるほど完璧な笑顔で、アレクシアは言い切った。


だが。


その言葉を向けられたミルフィーナは、今にも崩れ落ちそうなほど顔を青褪めさせていた。


大きな瞳には涙が滲み、小刻みに肩が震えている。


どうやら、手加減していたという説明は、安心材料にはならなかったらしい。


アレクシアは僅かに眉を寄せた。


正直、何故そこまで怯えられるのか理解は及ばない。


だが、このままでは流石に気の毒かしら、とも思った。


「……誰か」


静かな声で侍女を呼ぶ。


「ミルフィーナさんを休憩室へ。少し落ち着かせて差し上げなさい」


「は、はい……!」


壁際に控えていた侍女たちは、声がかかると慌ててミルフィーナへ駆け寄った。


ミルフィーナは半ば腰が抜けたようになりながら、支えられるようにして会場から運ばれていく。


その背を見送りながら、アレクシアは小さく首を傾げた。


「意外に、繊細な方ですこと……」


静寂が落ちる。


誰も何も言えない。


言える空気ではない。


そしてアレクシアは、ふと思い出したようにレオニスへ視線を向けた。


「――ところで」


嫌な間だった。


側近たちの顔が引き攣る。


アレクシアはゆるやかに首を傾げる。


「殿下は、何故このようなことを?」


責め立てる声音ではない。


純粋な疑問のような口調だった。


だが、だからこそ怖い。


レオニスは一瞬言葉に詰まり、それでも視線を逸らさず答えた。


「……君が、あまりに横暴だからだ」


「横暴?」


「ミルフィーナだけじゃない。他の令嬢たちに対しても、君は配慮に欠けるところがある」


レオニスは珍しく真面目な顔をしていた。


「君は頭が良すぎるんだ。相手が傷付く前提で話を組み立てる」


「……」


「だから、一度ちゃんと止めたかった」


会場が静まる。


厨二病だ何だと言われていても、彼は王子なのだ。


他者を見ていないわけではない。


「もう少し、周囲へ柔らかくなってほしかった」


その言葉に、アレクシアは僅かに目を細めた。


だが。


「それで、公衆の面前で断罪を?」


「……衝撃的な方が効果があると思ったんだ」


側近たちが死んだ目になった。


ああ。


やっぱりそこへ着地するのか、と。


アレクシアはしばらく無言だった。


そして。


「殿下」


「……なんだ」


「本当に馬鹿ですのね、貴方。まあ良いですわ。私が配慮に欠けると仰るなら、ミルフィーナさんへの配慮はどうなさったのです?」


アレクシアの静かな問いに、レオニスは言葉を詰まらせた。


「……彼女には悪いことをしたと思っている」


珍しく殊勝な声音だった。


「だが、君がやり過ぎなければ、ここまでの騒ぎにはならなかった」


「やり過ぎ?」


アレクシアの眉がぴくりと動く。


「追い詰め過ぎだ」


レオニスは真っ直ぐアレクシアを見返した。


「彼女は、本当に怯えていた」


その言葉に。


アレクシアは心底不思議そうな顔をした。


「あの程度で?」


側近たちが天を仰いだ。


出た。


その空気が流れる。


レオニスも思わず額を押さえた。


「……ほんっとうに、そういうところだぞ君は!」


会場のあちこちからも、何とも言えない疲労感の滲んだ視線が向けられていた。


だが当のアレクシアは、自分が何をそこまで言われているのか、本気で理解できていない顔をしている。


数秒。


静かな沈黙が落ちた。


そしてアレクシアは、ふと思い出したように瞬きをする。


「……あら」


何か別件を思い出した程度の軽さだった。


「そういえばレオニス殿下、わたくしと婚約破棄をなさりたいのでしたっけ?」


「……っ」


レオニスの肩が跳ねる。


アレクシアは小首を傾げた。


「王家とグランディール公爵家の契約を破棄し、政治的繋がりを断ち、王国派閥図を大きく塗り替えるほどに?」


にこり。


「随分と思い切った決断ですこと」


その笑顔のまま、じわじわ詰める。


「当然、お父様への説明もお済みですわよね?」


「そ、それは……」


「陛下へは?」


「…………」


「公爵家との共同事業、国境防衛、財政支援、その辺りの調整はどなたが?」


レオニスの額から、すぅ、と血の気が引いていく。


周囲も察した。


――何も考えていない。


勢いで言った。


完全に。


もっとも、レオニスは決して愚かではない。


むしろ頭の回転は速く、計画を立てさせれば驚くほど緻密に組み上げる。


だが突発的な感情へ引っ張られると、途端に詰めが甘くなるのだ。


そして今まさに、その悪癖が出ていた。


「……あ、いや、その」


先程までの勢いはどこへやら、レオニスが露骨に視線を彷徨わせ始める。


「俺はただ……」


「ただ?」


「……少しくらい、嫌がってくれるかと……」


消え入りそうな声だった。


会場が凍る。


側近たちが一斉に天を仰いだ。


やっぱりか。


知ってた。


でも口にするな。


そんな空気が漂う。


アレクシアは数秒、無言でレオニスを見つめた。


それから。


はぁ……、と深く息を吐く。


「やっぱり馬鹿ですのね、貴方」


呆れ切った声音。


だがその奥に、完全な拒絶はない。


「本当に、放っておくとすぐ妙な方向へ走るのですから」


レオニスが顔を真っ赤にする。


側近たちは「うわぁ……」という顔になった。


そしてアレクシアは、改めて全員を見渡す。


「さて」


その一言だけで、空気が引き締まる。


優しい声だった。だから怖い。


「止めなかった貴方たちも同罪です」


視線が流れる。


宰相の息子が静かに目を閉じ、 商人の息子が乾いた笑みを浮かべ、 騎士団長の息子は諦めたように背筋を伸ばした。


全員、“逃げられない”と理解している。


アレクシアは、そんな彼らへにっこりと微笑む。


「まさか、このまま終わらせるつもりではありませんわよね?」


「……」


「公衆の面前で一公爵令嬢を断罪し、事実上の罪人のように扱ったのですもの」


静かな声音。


だが、一言ごとに重い。


全員、“終わった”顔をしている。


「お父様方への説明、大変でしょうね」


にっこり。


「特にあなた、そしてあなたも」


ぴたり、と視線が止まる。


義弟だった。


人垣の後ろまで逃げおおせていたが、アレクシアの目からは逃げられなかった。ぎくり、と肩が震える。


そしてその隣では、顔を青褪めさせながら祈り続けている教皇の息子は、今にも過呼吸を起こしそうなほどだった。


「先程から、随分こそこそ逃げようとしていらっしゃるけれど」


「い、いえ義姉これは」


「帰宅後」


遮る。


「お話があります」


義弟の顔から完全に血の気が引いた。


「あなたも、祈る前に言い訳を考えておきなさい」


言われた教皇の息子は、顔色を死者のように青褪めさせたが、祈る速度だけはどんどん速くなっていた。


そして最後に。


アレクシアはレオニスへ歩み寄る。


「貴方もですわよ、レオニス様」


「……はい」


完全にしょんぼりしていた。


「では次に」


そこで一度、会場を見渡す。


怯えたように空気が揺れた。


「この場へ集った皆様への謝罪も必要ではなくて?」


その瞬間。


側近たちの顔が死んだ。


本日は、栄えある王立学園卒業記念舞踏会。


三年間の切磋琢磨を終え、 子供から大人へ変わる節目を祝う、極めて重要な社交の場である。


未来の貴族たちの門出。


将来の派閥、 縁談、 商談、 人脈。


あらゆる意味を持つ晴れ舞台だ。


そこへ王子自らが感情的な断罪劇を持ち込み、公爵令嬢へ婚約破棄を突き付けた。


しかも勢い任せ。


政治的根回しなし。


事前通達なし。


当然、影響が軽いわけがない。


だからこそ。


「レオニス殿下」


アレクシアは柔らかく微笑む。


「ご説明、どうぞ?」


逃がさない笑顔だった。


レオニスの喉がひくりと鳴る。


完全に勢いを失った王子は、しばらく固まっていたが、やがて観念したように肩を落とした。


「……此度は」


声が小さい。


「俺の軽率な行動により、皆へ混乱を招いた」


言わされている感が凄い。


だがアレクシアの視線が怖すぎて逆らえない。


「不快な思いをさせたことを、謝罪する……」


ぺこり、とぎこちなく頭を下げる。


会場がざわついた。


王子が頭を下げた。


しかも婚約者へ。


続いて。


「……我々も」


宰相の息子が静かに前へ出る。


その瞬間、他の側近たちも覚悟を決めたように並んだ。


「殿下を止められず、場を混乱させた責任があります」


教皇の息子が祈るように目を伏せる。


「皆様へお詫び申し上げます」


商人の息子は深々と頭を下げ、 騎士団長の息子も無言で続いた。


完全に公開処刑だった。


そして。


アレクシアは満足げに頷く。


「よろしい」


まるで教師だった。


誰も口には出さない。


出さないが、会場中が同じことを思っていた。


――これ、本当に婚約破棄騒動だったのか?



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