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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢、生存第一に剣から銃に持ち替える~  作者: 薄氷薄明
第1章

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第7話 焦土の誓い




 翌朝。


 モルトケ領都(りょうと)の中央広場には、三万人の全領民が集められていた。


 彼らの表情には、昨日の勝利の余韻はなく、不安と困惑の色が浮かんでいた。


「おい、聞いたか? この街を捨てるって……」


「嘘だろ? 俺たちが勝ったじゃないか。なんで逃げなきゃいけないんだ」


「先祖代々の畑を燃やせだなんて、そんなことできるわけが……」


 ざわめきが波紋のように広がる。


 無理もない。彼らにとって土地は命そのものだ。それを捨てろというのは、死ねと言うに等しい。


 不満が爆発しそうになったその時、城のバルコニーにハインリヒが姿を現した。


 彼は正装の軍服に身を包み、腰には愛用の剣をいている。


 その姿は、歴戦の英雄そのものであった。


「――静粛に!!」


 腹の底に響く一喝(いっかつ)


 広場が一瞬で静まり返る。


 ハインリヒは、集まった民の一人一人の目を見るように、鋭い視線を巡らせた。


 その眼光だけで、三万人の視線を釘付けにする。これが「カリスマ」だ。


「昨日の勝利、見事であった! ……貴様らは証明した。農具を捨て、銃を取れば、最強の黒騎士団すら倒せることを!」


 ハインリヒの声が、朗々と響き渡る。


「だが、戦いは終わっていない! ……東から、帝国の本隊十万が迫っている。王都は落ちるだろう。次は、この地が戦場になる!」


 十万。その数字に、再び広場が凍りつく。


 昨日の三倍以上。しかも、今度は準備の時間がない。


「ここで籠城(ろうじょう)すれば、我々は全滅する。……だが、南へ行けば勝機がある! 海を越え、力を蓄え、必ずこの国を取り戻すことができる!」


 ハインリヒは言葉を切った。


 そして、広場を見下ろし、低い声で告げた。


「私は決断した。……この街を焼く」


「なっ……!」


「敵に、我々の家を使わせるな。畑の実りを食わせるな。井戸の一滴も飲ませるな! ……奴らがここに来た時、見るのは灰と絶望だけだ!」


 領民たちが息を呑む。


 自分たちの手で、故郷を灰にする。その覚悟の重さ。


「悔しいか? 悲しいか? ……私も同じだ! ここは私が生まれ、育ち、守ってきた土地だ!」


 ハインリヒは胸を叩いた。


「だが! 私は、土地よりも、城よりも、貴様らの命が惜しい!」


 その叫びは、領民たちの魂を震わせた。


「よく聞け! モルトケ辺境伯領とは、この場所のことではない! 私と、我が家族と、そして貴様ら領民がいる場所……そこが『モルトケ』だ!」


 ハインリヒは拳を突き上げた。


「我々が生きている限り、モルトケは滅びん! 街など何度でも作れる! だが、貴様らの代わりはいない!」


 領民たちの目から涙が溢れた。


 この人は、領地(財産)よりも、自分たち(人)を選んでくれた。


 騎士たちもまた、主君の覚悟に震え、剣の柄を握りしめていた。この御方のためなら、命を賭けられると。


「ついて来いッ! ……泥にまみれ、故郷を失う旅になるかもしれん。だが約束しよう! 私が先頭に立つ! 私が貴様らの未来を切り拓く!」


 ハインリヒは、獰猛どうもうな笑みを浮かべた。


「帝国に目に物見せてやろうではないか! 何もかも奪われた我々が、奴らの喉元に牙を突き立てるその日まで! ……共に歩めるかッ!!」


「「「オオォォォォォッ!!」」」


「「「ハインリヒ様万歳!! モルトケ万歳!!」」」


 地鳴りのような歓声が上がった。


 迷いは消えた。


 彼らはもう、ただの農民ではない。運命を共にする「軍団」だった。



***



 演説が終わると同時に、アンジェリカの指揮による「大撤退」が始まった。


 それは、逃走ではなく、極めて整然とした「行軍」だった。


「第一班、食料庫の中身を全て馬車へ! 腐りやすいものはその場で燻製くんせいにしなさい!」


「第二班、工場の金型と図面を最優先で梱包! 機械は爆破準備!」


「老人と子供は優先的に荷台へ! 歩ける者は武器を持って側面を警護!」


 アンジェリカは城門の前で、矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。


 彼女の頭の中には、三万人分の食料計算と、移動速度、休憩ポイントの全てが入っている。


「アンジェリカ様、工場のはどうしますか? 壊すには惜しい出来ですが……」


 職人長のガレンが、泣きそうな顔で尋ねてくる。


 彼らが十日間、不眠不休で作り上げた鉄の心臓部だ。


 アンジェリカは少し目を伏せ、そしてガレンの肩に手を置いた。


「……壊してください、ガレンさん。帝国の手に渡れば、彼らはこの技術を解析し、私たちに牙を剥きます」


「くっ……! 分かりやした! ……自分の手で作ったもんは、自分の手で始末をつけます!」


 ドォォォォンッ!!


 城下町のあちこちで、爆発音が響き始める。


 工場が、橋が、倉庫が崩れ落ちていく。


 そして、火が放たれた。


 メラメラと燃え上がる炎。


 思い出の詰まった家々が、黒い煙となって空へ昇っていく。


 領民たちは涙を流しながらも、決して足を止めなかった。


 振り返れば、歩けなくなることを知っているからだ。


「……行こう。必ず、取り戻しに帰ってくる」


 最後尾。


 父ハインリヒ、兄マクシミリアン、母ソフィア、そしてアンジェリカは、燃え落ちる城を背にして馬を進めた。


 隊列の先頭には、アラン率いる騎兵団。


 最後尾には、マクシミリアン率いる遊撃隊。


 その中央を、家財道具を積んだ馬車と、銃を背負った三万の領民が進む。


 それは、王国史上類を見ない、大脱出の始まりだった。



***



 それから三日後。


 帝国軍の別動隊(1万)が、モルトケ領に到着した。


 彼らは、北の先遣隊が全滅した報を受け、警戒しながら進軍してきたのだが――。


「な、なんだこれは……」


 指揮官が言葉を失った。


 そこには、何もなかった。


 城も、街も、畑も。


 見渡す限りの焦土。井戸は埋められ、家畜一匹残っていない。


「食料がない……。水もない……。これでは、駐屯することもできん!」


「閣下! あそこに看板が!」


 焼け残った城門の前に、一本の看板が突き立てられていた。


 そこには、達筆な文字でこう書かれていた。


『ようこそ、何もない土地へ。 ――モルトケ辺境伯』


「お、おのれぇぇぇッ!! コケにしおってぇぇ!!」


 指揮官の絶叫が、虚しく風に消えていった…。



***



 一方その頃。


 南へ向かうアンジェリカたちの隊列は、既に国境の峠を越えようとしていた。


「お嬢様、王都方面の空が……赤いです」


 護衛騎士のブルーノが指差す先。


 遠く南東の空が、不気味に赤く染まっていた。


 王都が燃えているのだ。


「……始まりましたね」


 アンジェリカは、王都の地下に潜った祖父母に祈りを捧げ、前を向いた。


「急ぎましょう。……王都が落ちれば、次は街道が封鎖されます。その前に海へ抜けます」


 目指すは南の港町ベルゲン。



 


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