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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢、生存第一に剣から銃に持ち替える~  作者: 薄氷薄明
第6章

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第17話 海を渡る黒魔炭と胃袋を掴む兵站




 モルトケ辺境伯領の南端に位置する、巨大な交易港(こうえきこう)


 かつては近海の漁船が細々と出入りする程度の寂れた港だったが、今は見る影もない。空を突くような巨大な起重機クレーンが何十基も立ち並び、内燃機関(エンジン)の重低音が地鳴りのように響き渡る、大陸最大の物流拠点へと変貌を遂げていた。


「第二船団への積み込み、急げ! 連合王国(れんごうおうこく)からの船が着く前に、こちらの黒魔炭(こくまたん)と鉄鋼部品をすべて船倉に押し込め!」


 潮風と排気ガスが混じり合う│埠頭ふとうで、モルトケ近衛隊長ガンツの野太い声が飛ぶ。


 その指示に従い、上半身裸で汗だくになりながら巨大な木箱を運んでいるのは、かつてのガルマニア帝国兵たちであった。彼らは今、モルトケの管理下で港湾労働者(こうわんろうどうしゃ)として日々の給金と食糧を得ていた。


「おい、落とすなよ! この箱の中身は、俺たちが死に物狂いで掘り出した黒魔炭なんだからな!」


「分かってるよ! ……しかし、信じられねえな。俺たち帝国人が『ただの燃えるゴミ』として見捨てていた石ッころが、こうして海を渡って飛ぶように売れていくなんてよ」


 元帝国兵たちは、額の汗を拭いながら、黒煙を上げて出航を待つ巨大な『黒鉄の艦隊(くろがねのかんたい)』を見上げた。


 ソフィア・フォン・モルトケの辣腕(らつわん)な外交によって締結された、連合王国との大規模な貿易協定。


 死にゆく大地となった帝国領内には、農作物は育たないが、黒魔炭だけは無尽蔵に眠っている。帝国の難民たちはそれを掘り出し、モルトケの鉄道が港へ運び、そして艦隊が海を越えて連合王国へと輸出する。


 すべてを失った敗戦国の民が掘り出した石が、今や大陸と海を繋ぐ巨大な歯車(はぐるま)の『燃料』となって、世界を力強く回していたのだ。


「……休憩だ! 今日の炊き出し(配給)が来たぞ!」


 労働者たちが一斉に歓声を上げて広場へと群がる。


 今日の配給の列には、帝国最高の知将であったグスタフの姿もあった。彼は自らも労働監督として泥にまみれながら働く日がある。そんな彼は、かつての部下たちと共に列に並んでいた。


 受け取った木盆には、ふかふかの黒パンと、湯気を立てる具沢山のスープが乗っている。


「……将軍。今日のスープは、また一段と香りが違いますね」


 部下の一人が、スプーンでスープをすくいながら目を丸くした。


 これまでの配給は、ファルサ王国から運ばれてくる麦と豆を中心としたものだった。だが、今日のスープには、見たこともない肉厚な白い身の魚や、芳醇(ほうじゅん)な出汁の香りが漂っている。


「ああ。これは……海の向こうの連合王国から輸入された、『海産物』の塩漬けだろう」


 グスタフは一口味わい、その滋味(じみ)深い旨さに深く息を吐き出した。グスタフはモルトケ食を大変気に入っていた。


「我々が掘った黒魔炭が連合王国へ輸出され、その対価として、連合王国から最新の工作機械や、こうした豊かな海産物がモルトケへ輸入される。……それが、我々の胃袋に入る配給の質を底上げしているのだ」


 もはや、ただ飢えを(しの)ぐための泥水のようなスープではない。


 労働の対価として、明確に「豊かさ」が還元され始めている。帝国時代には一部の特権貴族しか口にできなかったような海の幸が、ツルハシを振るう末端の労働者たちの血肉となっているのだ。


「……勝てないわけだ」


 グスタフは、自嘲(じちょう)するように、だがどこか()き物が落ちたような穏やかな顔で呟いた。


 魔法の火力で一時の戦場を制したところで、この底なしの兵站(ロジスティクス)と物流のネットワークには絶対に勝てない。モルトケは、武力だけでなく「胃袋」という人間のもっとも根源的な部分を、圧倒的な豊かさで支配してみせたのだから。



***



 同じ頃。港を一望できる高台の視察塔から、アンジェリカとソフィアが、活気に満ちた埠頭の様子を見下ろしていた。


「素晴らしいわ、お母様。連合王国との貿易ルートが確立したことで、物資の循環が劇的に良くなった。帝国の難民たちも、これでただの『お荷物』ではなく、世界経済を牽引(けんいん)する立派な『生産者』よ」


 アンジェリカが風に髪を揺らしながら言うと、ソフィアは優雅に微笑んで頷いた。


「ええ。連合国王陛下も、モルトケが提供する『黒魔炭』と『蒸気機関(スチームエンジン)』の技術には大変な興味を示されていたわ。……これで、モルトケ領、ファルサ王国、解体された帝国、そして海の向こうの連合王国が、目に見えない『鉄の鎖』で一つに繋がったことになるわね」


「ええ。誰もが自分の役割を持ち、誰もがこの鎖から外れられない。一番強固で、一番平和な支配の形よ」


 武力による恐怖政治ではなく、物流と利益による相互依存。


 それこそが、アンジェリカが前世の知識を総動員して目指した「砕けない盾」の究極系であった。


「……さあ、まだまだ休んでる暇はないわよ! 次は帝国領内の工場地帯へ続く、大規模な鉄道網(てつどうもう)の敷設工事が待ってるんだから!」


 アンジェリカは力強く背伸びをすると、眼下に広がる黒い海と、力強く煙を吐き出す艦隊に向かって、挑戦的な笑みを浮かべた。




これにて完結とします。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!


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