第16話 鉄の手足と砕けぬ盾の復活
モルトケ領の大工業地帯。その一角にある特別開発室では、今日も喧々諤々の議論が交わされていた。
「違うわ! これじゃあ関節の可動域が足りないのよ。膝の歯車の噛み合わせをもっと滑らかにしないと、走るどころか歩くことすらできないわ!」
「しかしアンジェリカ様! これ以上装甲を削れば、自重を支えきれずに金属が破断してしまいます! やはり我々の常識では、魔力なしで人間の複雑な動きを再現するなど……!」
「なら、内部の緩衝材に別の素材を使うしかないわ。ガレン、鉄の配合は変えられる?」
「お嬢様、無茶言わねえでくだせえ! 俺の鍛冶の腕をもってしても、これ以上軽くして強度を保つなんて、それこそ魔法でも使わなきゃ無理ってモンですぜ!」
アンジェリカ、元・帝国の研究者たち、そして鍛冶屋のガレンが、巨大な黒板に描かれた『図面』を前に頭を抱えていた。
彼らが寝食を忘れて開発しているもの。それは、先の過酷な戦争で手足を失った傷痍軍人たちのための、実用的な『義肢』であった。
棒のような義足ではない。現代知識の物理法則と、職人の技術を注ぎ込んだ「動く手足」である。だが、あと一歩のところで実用化の壁にぶち当たっていた。
「……なるほど。金属の強度と、関節の柔軟性が両立しないというわけか」
ふいに、部屋の入り口から落ち着いた声が響いた。
見れば、連合王国への外交任務から帰還したばかりの長男、マクシミリアンが立っていた。旅の外套を脱ぐ暇すらなかったのか、少し砂埃をかぶっている。
「お兄様! お帰りなさい!」
「ああ、ただいま戻ったよ。父上への報告を終えて顔を見に来てみれば……相変わらず面白そうなことをしているね、アンジェリカ」
「そうなの! 設計図は完璧なのに、筋肉の代わりになる『強靭で伸縮性のある素材』がどうしても足りなくて……」
アンジェリカが図面を指差すと、魔導部隊にして「素材確保班」の班長でもあるマクシミリアンは、ふっと頼もしい笑みを浮かべた。
「それなら、適任の魔獣がいる。……東の山に棲む『剛力魔猿』だ。奴らの『大腱』を特殊な薬品で鞣せば、鉄の強さとゴムの柔軟性を併せ持つ最高の人工筋肉になるはずだ」
「本当!? さすがはお兄様! じゃあ、急いで狩ってきてちょうだい!」
「おっと、到着早々人使いが荒いな。だが……よし」
マクシミリアンはくるりと振り返ると、部屋の隅でせっせと図面の計算をしていた元・帝国の研究員の一人の襟首を、ひょいっと掴み上げた。
「ひえっ!? な、なんですか!?」
「君、帝国人には珍しく、戦闘用の魔法が使えるエリートだったね? 帝国は魔法至上主義のくせに、全員が魔法を使えるわけじゃないから、君みたいな人材は貴重なんだ。……よし、私の素材狩りに付き合いたまえ」
「ええええッ!? わ、私は研究職でして、実戦なんて久しく――」
「行くぞ!」
有無を言わさぬモルトケ次期当主の笑顔に引きずられ、帝国の魔法使いは「助けてアンジェリカ様ぁぁ!」と情けない悲鳴を上げながら、魔獣の山へと拉致されていった。
***
数日後。
ボロボロになった魔法使いと、涼しい顔のマクシミリアンが大量の『剛力魔猿の大腱』を持ち帰ると、開発は劇的なスピードで進んだ。
ガレンが唸り声を上げて鉄のパーツを打ち据え、研究者たちが魔法使いの特権だった精密な魔力回路を義肢の神経接合部に組み込み、アンジェリカが全体の物理バランスを調整する。
「よし……! ついに完成よ!」
アンジェリカの声が響き渡った時、机の上には鈍い光を放つ『魔導義肢』が並んでいた。
そして、特別開発室に三人の兵士が呼ばれた。彼らは先の激戦――塹壕戦や、帝国軍の砲撃によって、腕や脚を失ったモルトケの誇り高き古参兵たちであった。
「さあ、まずはサイズ調整からよ。痛かったら言ってね」
アンジェリカたちが、緊張で息を呑む兵士たちの切断部に、丁寧に義肢を装着していく。
レンチで装具の締め付けを調整し、研究者たちが魔力を通して神経の接続を確認する。
「……よし。まずは、右腕を失ったあなた。ゆっくりと、自分の手を開くイメージを持ってみて」
アンジェリカに促され、片腕の兵士が恐る恐る、失われたはずの右腕に意識を集中させた。
カチッ、と小さな歯車の音が鳴る。
次の瞬間。鉄と剛力魔猿の腱で構成された冷たい金属の指が、兵士の意志に呼応し、滑らかに『パー』の形に開いたのだ。
「う、動く……! 俺の、指が……!」
兵士は震える左手で、鉄の右手をそっと握りしめた。その目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「立てるわよ。さあ」
アンジェリカが微笑みかけると、今度は脚を失った二人の兵士が、戦友の肩を借りながらゆっくりと立ち上がった。
鉄の足が床をしっかりと踏みしめ、彼らの体重を完璧に支える。松葉杖なしで、彼らは再び「自分の足」で大地に立ったのだ。
「おお……おおおお……ッ!!」
兵士たちが歓喜の声を上げて泣き崩れる中、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
飛び込んできたのは、モルトケ近衛隊長のガンツ、副指揮官の客将アラン、そして部隊長や戦友たちであった。
「お前ら……! 本当に、自分の足で立ってやがるのか……!」
筋骨隆々のガンツが、顔をくしゃくしゃにして男泣きに泣き、部下たちを力いっぱい抱きしめた。
冷静なアランも、目元を熱くしながら深く頷いている。
「ああ、素晴らしい。これなら剣も振れるし、銃の引き金だって引けるだろう。……何より、彼らがまた自分の足で故郷を歩けることが、一番の喜びだ」
仲間たちが手を取り合って喜びを爆発させる光景。
その輪の後ろから、静かに歩み寄ってきたのは、ハインリヒ・フォン・モルトケであった。
普段は冷徹な「辺境の狂犬」として恐れられる男が、この時ばかりは、義肢を取り戻した部下たちと、油まみれになって笑うアンジェリカやマクシミリアンたちを見て、わずかに、しかし確かな優しさを滲ませた笑みを浮かべていた。
「……よくやった、アンジェリカ。そしてマクシミリアン、ガレン、研究者たちも」
「父様……!」
「お前たちが作り上げたこの『手足』は、単なる道具ではない。一度砕け散ったモルトケの兵士たちの心を繋ぎ合わせる、希望の形だ。……俺たちの盾は、何度砕かれても、こうしてより強固になって蘇るのだな」
ハインリヒの重々しくも温かい称賛の言葉に、アンジェリカは胸が熱くなるのを感じた。
かつては魔法の常識に囚われていた元敵国の研究者たちも、ガレンと肩を組んで「僕たちとアンジェリカ様の計算が完璧だったからです!」「いや俺の腕だ!」と、涙ぐみながら言い合っている。
戦争の傷跡は、そう簡単には消えない。
だが、モルトケの工場で生み出された『鉄の腕』は、確かに新しい未来を切り開くための、力強い一歩となっていた。




