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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢、生存第一に剣から銃に持ち替える~  作者: 薄氷薄明
第6章

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第13話 報復の不在と解体される帝国




 ガルマニア帝国の王城地下で、狂王が討ち取られてから二週間後。


 エルデラント王国の王都に、帝国からの使者が駆け込んだ。もたらされたのは「クーデター軍とグスタフ将軍が皇帝を討ち取ったこと」、そして「世界を滅ぼす『猛毒の術式(ロストマジック)』は阻止された」という、戦局を決定づける報せであった。


 それからの日々、エルデラント王都の中枢はかつてないほどの激論に包まれた。


 まずはエルデラント貴族院での内部会議である。議題は「頭を失い、大地が枯れ果てた巨大な隣国をどう処理するか」。


 土地が死んだ帝国など、領土としての価値はない。だが、飢えた何百万もの難民を放置すれば、彼らは国境に押し寄せ、あるいは餓死者の山から恐るべき『疫病』が発生し、大陸全土を巻き込む大惨事となる。


 そこでモルトケ辺境伯ハインリヒが提示したのが、「土地が死んだ帝国領土については、その一部をモルトケ領として割譲させ、巨大な工場地帯インダストリアル・エリアにする」「難民については、ファルサ王国から食料は引き出す」という案であった。


 貴族院はこれを満場一致で可決した。モルトケの工業発展が自国の益に直結することは明白であり、モルトケ一族が王権に固執しない武門であるという厚い信頼もあったためだ。そして、モルトケ軍にファルサ王国が依存していたところで、一時撤退し押し寄せる難民がいる今ならば、交渉がうまく行く可能性は高かった。


 工場地帯については、アンジェリカの強い進言が関わっていた。彼女は以前から「工場を無数に建てれば、やがて吐き出される黒煙が大気を汚染する」と危惧しており、亡命してきた帝国の研究者たちもその見解に同意していた。ならば、すでに土が死に絶え、環境が破壊された帝国の不毛の地こそ、巨大な工場地帯としてこれ以上ない最適な場所であったのだ。



 国内での方針が固まると、次なる舞台は国家間の外交交渉へと移った。


 エルデラント国王、宰相、そしてハインリヒは、隣国ファルサの国王と首席外交官(アンバサダー)を王都へ招き、極秘の首脳会談を開いた。


 エルデラントは、貴族院で決定した「帝国の解体と、難民の労働力化」という処理案をファルサへ通達した。ファルサ側は大量の難民受け入れに伴う治安悪化などを負担に、難民を労働力にするどころではないと、難色を示した。


 ここでハインリヒが、外交カードを切る。


「……先日通達した通り、我がモルトケ軍は、非武装の他国籍民に対する勝手な武力行使はできないとして、すでに最前線から一時撤退させている。他国同士の問題だ。今後、我々は関与しない」


 その言葉に、ファルサ国王と外交官は顔面を蒼白(そうはく)にさせた。


 そもそもファルサは、帝国軍の侵攻という国家存亡の危機においてエルデラントへSOSを出し、その代償として「モルトケ軍の駐留」と「関税の大幅な優遇措置」という不平等条約をすでに結ばされていた。そして、国の防衛をモルトケの圧倒的な火力に完全に依存していたところで、モルトケ軍のファルサからの一時撤退だった。ファルサ軍単独で、何百万という飢えた難民の波を押し留めることは、到底不可能なのだ。



「……ただし、エルデラント王国の提案を全面的に了承するというのなら。一時撤退させていたモルトケ駐留軍を即座に国境へと戻し、我が軍の責任において、難民の民間人を徹底的に整理・管理すると約束しよう。陛下からはファルサ王国の返答次第で許可を頂いている」


 それは、ファルサの逃げ道を完全に塞ぐ、悪魔的な布石の回収であった。


 結局、ファルサはエルデラントの要求をすべて呑む形で合意に至ったのである。



***



 そして使者の訪問からさらに二週間後。


 国家間の根回しがすべて終わったエルデラントの大円卓会議室(グランド・カウンシル)。国王とハインリヒ、貴族たちが居並ぶその場に、ガルマニア帝国最高の知将グスタフが、数名の部下を伴って姿を現した。


 彼らの後ろには、後ろ手に縛られ、絶望に顔を歪ませた数名の『帝国貴族』たちが引き立てられていた。


「……ガルマニア帝国の全権代理として、(まか)り越しました。エルデラント国王陛下、そしてモルトケ辺境伯閣下。……長きにわたり、国境を不穏な状態に陥れたこと、深くお詫び申し上げます」


 グスタフは深く平伏すると、縛り上げた貴族たちを一瞥(いちべつ)した。


「貴国と我が国の誰と通じていたのか、全容は掴めておりません。ですが、その大元である皇帝は、猛毒の術式(ロストマジック)を止めるために私が自らの手で討ち取りました。……せめてもの誠意として、皇帝側に付いて侵略を推し進めたこの貴族たちを引き渡しに参りました」


「……」


「宣戦布告なき侵略行為。その罪の重さは理解しております。しかし……今の帝国には、賠償できるものは何一つ残されておりません。私の首一つ差し出したところで、賠償問題の解決にはならないことは承知の上で……どうか、お許しいただきたい」


 血を吐くようなグスタフの謝罪。


 それを受け、ハインリヒは静かに立ち上がり、エルデラントとファルサの総意として、冷徹なる『戦後処理』の決定事項を突きつけた。



「グスタフ。次期皇帝が不在であり、自力で民を養えない以上、ガルマニア帝国は本日をもって『実質的な解体』となる」


「解体……」


「帝国の民が生きる道は三つだ。一つ、農業従事者としてファルサの管轄下に入り、食糧生産の労働力となること。二つ、モルトケが帝国領内に建設する工場の労働力、あるいは軍の兵力としてエルデラントの管轄下に入ること。三つ、人員不足のエルデラント国内で己の能力を示し、新たな地位を得ることだ」


 ハインリヒの言葉に、グスタフは息を呑んだ。軍や重要施設で働く者には『魔法契約』による絶対の忠誠が課せられる。そして、残存する帝国政府はもはや国家の中枢ではなく、これら三つの道を民に割り振るただの「職業斡旋(あっせん)機関」へと成り下がることを意味していた。


「帝国へ配給する食糧は、ファルサ王国が生産し流通させる。ファルサも先の戦いで物資が底を突きかけていたが、お前たちの労働力があれば、生産量は以前をはるかに上回るだろう」


「……我々に、労働で(あがな)えと」


「工場の利権は当然モルトケのものだが、働いた者には相応の『給金』を支払う。働けない者の移住や細かな取り決めについては、帝国全土を視察した後に決定する。……当面は、我がモルトケ軍が食糧を運び、各地で炊き出しを行おう。全土に行き渡るか……間に合うかは分からんが、やらないよりはマシだろう」


 理路整然と語られる、あまりにも完璧な国家間の取り決め。


 それを聞いたグスタフの胸中には、激しい衝撃と、言い知れぬ複雑な感情が渦巻いていた。



 かつて帝国は他国を見下し、エルデラントを資源の土塊(つちくれ)として、ファルサを単なる食糧庫として蹂躙しようとした。


 だが、その見下していた国々は今、勝手に侵略してきて自滅した愚かな敵国の難民を見捨てることなく、「労働による対価」と「炊き出しによる当面の命の保証」という、信じがたいほどの慈悲を与えようとしているのだ。


 (……なんという器の広さだ。我々は、武力だけでなく、国としての在り方そのもので敗北していたのだな)


 多くの仲間を殺された恨みはあった。だが、もとはと言えばすべて帝国の(おご)りが招いたこと。全面的な隷属すら覚悟し、民も見捨てられると思っていたグスタフにとって、この生殺与奪の権を握られた上での慈悲は、五体投地してエルデラント国王に感謝するほかないものであった。


「……寛大なるご処置、エルデラント国王陛下、そしてファルサ王国の皆様方に、心より感謝申し上げます。帝国は、すべての条件に同意いたします」


 グスタフが深々と頭を下げたことで、長きにわたる泥沼の戦争は、完全に終結した。


 彼が引き渡した帝国貴族たちは連れて行かれ、エルデラントの法に基づき、王都占領に加担した罪で処刑されるだろう。


 会談を終え、食糧調達の手配が整うまでの間、グスタフと部下たちは王城の一室でしばしの休息を与えられた。


 用意された温かい茶を一口飲み、グスタフは深く、重い息を吐き出した。


 帝国の上層部は消滅し、これからの道のりは果てしなく険しい。未だ飢えに苦しむ民の姿を思えば、心から休まることなどない。


 それでも……狂王の暴走に怯え、死にゆく大地で終わりのない絶望を抱えていた日々に比べれば。

「……ようやく、終わったのだな」



 敗軍の将は、椅子の背もたれに深く体を預け、ほんの少しだけ肩の力を抜いたのだった。




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