第5話 殺傷地帯
大陸暦1026年、2月15日。
モルトケ辺境伯領の北端、嘆きの渓谷出口付近。
早朝の霧が晴れると共に、地平線を黒く染める影が現れた。
ガルマニア帝国軍、第三機甲師団。通称『黒騎士団』。
その数、三万。
対するモルトケ軍は、正規兵・義勇兵合わせて二万弱。
通常であれば、野戦での勝率は万に一つもない。
だが、モルトケ軍総司令官ハインリヒは、この地形を「処刑場」に選んでいた。
***
「……報告します。敵前衛、捜索も出さずに密集陣形で直進してきます」
前線観測所からの報告に、ハインリヒは双眼鏡を下ろし、皮肉げに口角を上げた。
「舐められたものだな。……こちらの布陣が『急造の木柵』に見えているらしい」
彼らの目前には、領民たちが突貫工事で作った土塁と木柵が二重三重に築かれている。
一見すれば、貧弱な野戦陣地だ。
だが、その配置は計算し尽くされていた。
正面に、アラン率いる「亡命騎士団」一千と、ガンツ率いる「重装歩兵」三千が盾として並ぶ。
そして、その両翼と高台には、アンジェリカが配備した「魔導ライフル隊」が、扇状に展開していた。
『凹字陣』、あるいは『袋のネズミ』の形だ。
「敵将は?」
「旗印を確認。……『猛牛』バルガス将軍です」
「バルガスか。猪突猛進が取り柄の男だ。……黒騎士の装甲を過信して、正面突破を選ぶだろう」
ハインリヒは、隣に控える伝令将校に短く命じた。
「全軍、第一種戦闘配置。……敵を『殺傷地帯』まで引きつけろ。一発たりとも無駄にするな」
***
一方、帝国軍本陣。
漆黒の全身鎧に身を包んだ将軍バルガスは、眼下の光景を鼻で笑っていた。
「見ろ、あの惨めな柵を! 王都に見捨てられた辺境のネズミどもが、必死に巣穴を守ろうとしているぞ!」
彼の自信には根拠があった。
黒騎士団の鎧は、帝国の最新技術による『対魔コーティング』が施されている。
生半可な魔法は拡散され、矢や剣も通さない。まさに動く要塞だ。
「将軍、敵の両翼に伏兵の気配があります。……何か、筒のようなものを持っていますが」
「放っておけ。どうせ旧式の魔杖か吹き矢だろう。我らの装甲には傷一つつけられんわ!」
バルガスは采配を振り下ろした。
「蹂躙せよ! 第一大隊、突撃! 敵の歩兵を踏み潰し、城への道を切り開け!」
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ――。
大地を揺るがす地響き。
一万の重装歩兵と騎兵が、一塊となって突進を開始する。
その圧力は、まさに黒い津波だった。
***
モルトケ軍、右翼陣地。
塹壕の中で、パン屋のトムは震える手で銃を握りしめていた。
怖い。
地面が揺れている。視界の先には、これまで物語の中でしか見たことのない「黒騎士」が、殺意の塊となって迫ってくる。
「落ち着け、トム」
隣にいたのは、アランの部下である正規騎士だ。彼はトムの肩を叩き、地面に刺された赤い旗を指差した。
「奴らが、あの『赤旗』を超えるまでは撃つな。……いいか、狙わなくていい。俺の合図で、正面の空間に弾をバラ撒け」
「は、はい……!」
敵との距離が縮まる。
1000メートル。
800メートル。
まだ遠い。だが、こちらの攻撃開始位置だ。
後方の高台に陣取っていたマクシミリアンが、魔導砲の砲身を撫でた。
「……距離よし、風向きよし。魔力充填率120%」
彼の目は、獲物を狙う狩人のそれだった。
アンジェリカが設計し、ドワーフの技術とマクシミリアンの魔力を融合させた長距離砲。
その初弾が、戦場の空気を切り裂く。
「てぇぇぇッ!!」
ズドンッ!!
腹に響く重低音。
放たれたのは火球ではない。魔力で加速された、直径20センチの鉄塊だ。
ヒュルルルル……ガゴォォォォンッ!!
着弾。
帝国軍の先頭集団の中央に、巨大な水柱ならぬ「土柱」が上がった。
直撃を受けた騎士たちは、鎧の防御力など関係なく、運動エネルギーそのものによってミンチとなり、四方へ飛び散った。
「な、なんだ!?」
「爆発魔法か!? いや、魔力の反応がないぞ!?」
帝国軍の足が止まる。
そこへ、マクシミリアンの砲兵隊、計二十門が一斉に火を噴いた。
「効力射! 撃ち続けろ! 敵の陣形を崩せ!」
次々と着弾する鉄塊。
密集していた帝国軍は、格好の的だった。
だが、バルガス将軍は怒号を上げた。
「怯むな! ただの投石だ! 距離を詰めれば撃てまい! 全軍、駆け足!!」
彼らは知らなかった。
距離を詰めれば詰めるほど、そこが本当の地獄になることを。
***
距離、300。
敵の先頭集団が、地面の「赤旗(有効射程ライン)」を超えた。
アンジェリカが設定した、十字砲火の交差点だ。
塹壕の中で、指揮官の笛が鳴り響く。
「第一列、起立ッ!」
ザッ!
土塁の陰から、数百人の領民兵が一斉に姿を現し、魔導銃を構えた。
「な、なんだあれは? 杖……?」
先頭を走る黒騎士が首を傾げた、その瞬間。
「一斉射撃ッ!!」
パパパパパパパンッ!!
乾いた破裂音が戦場を支配した。
左右両翼から放たれた千発の鉛弾が、見えない死の鞭となって帝国軍の横っ腹を叩いた。
キンッ! ギンッ! ブシュッ!
「ぐあっ!?」
「がはっ……よ、鎧が……!」
対魔法の鎧は、魔法的な干渉を無効化する。
だが、音速で飛来する鉛の塊に対し、それは単なる「少し硬い鉄板」でしかなかった。
鉛弾は鎧を貫通し、あるいは砕け散りながら運動エネルギーを体内に伝え、内臓を破壊する。
「第二列、前へ! 第一列、装填!」
アンジェリカが導入した輪番射撃。
弾幕が途切れない。
硝煙の向こうで、無敵を誇った黒騎士たちが、麦を刈り取るようにバタバタと倒れていく。
「馬鹿な……! 魔法障壁はどうした! なぜ防げない!?」
「み、見えません! 敵の攻撃が見えません!」
魔法の光も、矢の軌道も見えない。
ただ、轟音と共に仲間が肉塊に変わっていく。その未知の恐怖が、精鋭たちの心を折った。
「ひ、退けぇ! 罠だ!」
前衛が崩れ、背走を始めようとする。
その瞬間、正面の砦門がギギギと開いた。
そこから現れたのは、これまで沈黙を守っていたアラン率いる「亡命騎士団」と、ガンツの「重装歩兵団」だった。
彼らは無傷。そして、士気は最高潮だった。
「見ろ、兄弟たちよ! あの黒騎士団が、腰を抜かして逃げ惑っているぞ!」
アランが剣を抜き放ち、高らかに叫ぶ。
「今こそ汚名を雪ぐ時だ! 王国の騎士の意地を見せろ!」
「「「オオォォォッ!!」」」
逆襲の突撃。
混乱し、背を向けた敵ほど脆いものはない。
アランたちは、銃撃で穴だらけになった帝国軍の陣形に、鋭利な楔のように突き刺さった。
城壁の上。
戦場全体を見下ろす司令塔で、アンジェリカは弾薬の消費数を記録しながら、小さく息を吐いた。
「……物理法則は、魔法よりも残酷ですね」
隣に立つ父ハインリヒは、娘の横顔を見て、頼もしさと同時に僅かな畏怖を感じていた。
彼女は指揮を執っていない。ただ、勝てる仕組みを作っただけだ。
だが、その仕組みこそが、三万の精鋭を一方的に屠っている。
「……アンジェリカ。これは戦争の形が変わるな」
「はい、お父様。……これからは、剣の腕よりも、物資の量と兵站が勝敗を決める時代になります」
戦場では、勝敗は決していた。




