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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢、生存第一に剣から銃に持ち替える~  作者: 薄氷薄明
第5章

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第8話 戦の玄人と冷徹なる解放軍




 ファルサ王都のさらに東、帝国軍が敷いた『第二防衛線』の本陣。


 天幕の中に、死のような重苦しい静寂が落ちていた。

「……一頭も、帰ってこなかったと?」


 帝国軍総司令官グスタフの声は、ひび割れ、ひどく掠れていた。


 報告に上がった竜騎士団(ドラグーン)の通信兵は、絶望に顔を歪めながら、震える声で首を縦に振った。


「はい。……上空からの急降下爆撃(ダイブ)を仕掛けた直後、地上から立ち上った無数の光の筋によって、数十頭の飛竜が、空中で、まるで羽虫のように……ミンチにされて、撃ち落とされました。一矢報いることすら、できず……全滅、です」


「ああ……あああ……!」


 幕僚の一人が、その場に崩れ落ちて頭を抱えた。


 大帝国が誇る、無敵の航空戦力。自国の負傷兵やファルサの農民の死肉を喰らわせてまで空に放った、文字通り帝国の『最後の切り札』が、相手に傷一つ負わせることもなく、瞬きする間に屠殺(とさつ)されたのだ。


「……終わった」


 グスタフは、ポツリと、すべてを諦めたように呟いた。


「我々は、モルトケという規格外(バグ)の存在を前に、すべてを間違えたのだ。


 銃弾を防ぐために地に潜れば、戦車(タンク)という鉄の塊で上から踏み潰される。ならばと空から攻めれば、空そのものを撃ち落とされる。


 ……盾も、剣も、地の利も、空の支配すらも。我々の知るすべての戦術が、奴らの前では『古い時代の児戯』に過ぎなかった」


 グスタフの脳裏に、圧倒的な暴力と合理性で進軍してくるモルトケの軍勢が浮かぶ。


 勝てない。どれだけ兵を集めようと、どれだけ高度な魔法を使おうと、あの工業的な殺戮機械(キリング・マシン)の前には、ただ肉片を増やすだけだ。



「……全軍に告ぐ。作戦目標を、完全なる『撤退』に変更する」


 グスタフはゆっくりと立ち上がり、血を吐くような決断を下した。


「ファルサ王国への侵攻は失敗した。この第二防衛線も完全に放棄し、全軍、ただちに帝国との国境まで撤退(リトリート)せよ! ……我々が運べない食糧や物資は捨て置け!」


「グ、グスタフ総司令官! それは……帝国軍の『敗北』を認めるということですぞ!? 皇帝陛下が何と仰るか……!」


 血気盛んな老将が食ってかかるが、グスタフは氷のように冷たい視線でそれを射抜いた。


「敗北だと? これは『生存競争』だ! ここで意地を張って全滅すれば、帝国を守る軍隊そのものが消滅するのだぞ! ……皇帝陛下への責任は、本国に帰還した後、私がこの首で支払う。今は一人でも多くの兵を連れて、この地獄から生きて帰るのだ!!」


 有能な知将ゆえの、完璧で、そしてあまりにも惨めな敗走命令。


 モルトケ軍がファルサの王都へ到達する前に、数万の帝国残存兵たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。



***



 その翌日。ファルサ王都の石畳を、重々しいキャタピラの駆動音が響き渡っていた。


 先頭を行く三両の『戦車』に守られながら、ハインリヒ率いるモルトケ合同遠征軍四千が、威風堂々と王都の大通りを進軍していく。


「おおおっ……! 助かったぞ! 帝国の悪魔どもが逃げていった!」


「万歳! エルデラントの勇者たち! 万歳!!」


 沿道に詰めかけたファルサの民衆たちは、涙を流して花吹雪を撒き、歓喜の声を上げて彼らを迎えた。かつて自分たちを見捨てた隣国が、見たこともない圧倒的な力で帝国を追い払ってくれたのだ。彼らにとって、モルトケ軍はまさに『解放軍(リベレーター)』であった。


 だが、戦車に随伴する装甲車の上からその歓声を聞くハインリヒたちの顔に、驕りや喜びの色は一切なかった。


「……敵将グスタフ。見事な撤退だ。陣地も物資も未練なく焼き払い、殿を置いて整然と逃げおおせたか」


 参謀長(さんぼうちょう)アランが、東の空に上がる黒煙を見つめながら淡々と語る。


「追撃しますか、お父様? 装甲列車の速度なら、逃げる帝国軍の背中に大砲を撃ち込めますが」


「いや、無用だ、アンジェリカ」


 ハインリヒは即座に首を横に振った。


「我々の目的は敵の殲滅ではなく、ファルサという『緩衝地帯(バッファ・ゾーン)』の防衛と、補給線の確保だ。ここで敵を深追いして兵站(ロジスティクス)を延ばしきれば、それこそ有能なグスタフの罠に嵌まる。……戦争の素人ほど、勝っている時に無茶な追撃をして自滅するものだ」


「その通りです。我々はここでしっかりと足を止め、ファルサ王都の鉄道網と補給拠点を完全に我が軍の支配下に置くのが最優先ですね」


 狂喜するファルサの民衆の熱狂とは裏腹に、モルトケの軍人たちはどこまでも冷徹に、計算し尽くされた『軍事行動』としてのみ、この勝利を咀嚼(そしゃく)していた。



「ハインリヒ公爵閣下ぁぁッ!」


 王城の門前で、ファルサの国王が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、這いつくばるようにして出迎えてきた。その後ろには、すでにファルサの文官たちを顎で使っているエルデラントの『首席外交官(アンバサダー)』が、涼しい顔で控えている。


「よくぞ、よくぞ帝国を追い払ってくださった! この御恩は、ファルサ王国は永遠に忘れませんぞ!」


「……頭を上げられよ、ファルサ国王陛下。我が軍は、同盟国の危機を救ったに過ぎない」


 ハインリヒは冷たい声でそう告げると、ファルサ国王を見下ろし、獰猛(どうもう)な笑みを浮かべた。


「我が軍の駐留(ちゅうりゅう)によって、帝国は退いた。先の条約の通り、このファルサ王都には、我が軍の精鋭四千と装甲列車を配置させてもらう。この国の防衛は、我々が完全に肩代わりしてやろう」



 エルデラント王国を名実ともに強国へと押し上げたモルトケの鉄と火薬は、この日、大陸の勢力図を決定的に塗り替えたのである。




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