第7話 堕ちる天空と対空砲火の傘
ファルサ王都を目指し、東へと進軍を続けるモルトケ合同遠征軍。
先頭を行く三両の『戦車』は、その圧倒的な重量とパワーで泥濘を踏み砕き、動く鋼鉄の壁となって歩兵たちを守護していた。地上の帝国軍はすでに戦意を喪失し、彼らの姿を見るだけで蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
だが、その完璧な進撃の列に、突如として異様な緊張が走った。
「――て、敵襲ッ! 上空、三時の方向! 多数の影が急速接近!」
戦車の車長が、潜望鏡から空を見上げて絶叫する。
歩兵たちが一斉に空を見上げた瞬間、どんよりと曇ったファルサの空が、さらに一段、暗く沈んだ。
分厚い雲を引き裂き、空を覆い尽くすように現れたのは、数十頭の巨大な翼竜――帝国最強の航空戦力『飛竜騎士団』の大編隊であった。
「な……嘘だろ。あんな数が、一気に来るのかよ……!」
モルトケ軍の古参兵の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
かつて彼らは、王都を脱出する撤退戦において、たった一頭の飛竜と遭遇している。その一頭を撃ち落とすためだけに、彼らは持てる火力のすべてを注ぎ込み、死に物狂いの死闘を強いられたのだ。
あの悪夢のような巨大な猛獣が、数十頭も密集して空を埋め尽くしている。それはもはや軍隊というより、意思を持った『天災』そのものであった。
「グアァァァァァァッ!!」
空を震わせる無数の咆哮が、地上の兵士たちの本能的な恐怖を呼び覚ます。
いかに近代装備を持とうと、空という『絶対的な死角』から一方的に見下ろされる畏怖は拭えない。
***
(見つけたぞ、忌々しい鉄の亀どもめ!)
先頭を飛ぶ飛竜騎士団の隊長は、眼下の戦車を見下ろして嗜虐的な笑みを浮かべた。
一頭の飛竜ならば、ただの厄介な魔獣に過ぎない。しかし、騎士の統率によって数十頭が『編隊』を組んだ時、彼らは無敵の『戦略爆撃機』へと変貌するのだ。
グスタフ総司令官の分析は完璧だった。あの鉄の箱は、正面からの攻撃には無敵だが、上空から見れば乗組員が出入りするための『天井の装甲』が明らかに薄い。
「全騎、急降下! あの鉄の箱の頭上に、最大火力の『火球』を一斉に叩き込め! 歩兵もろとも、大地ごと焼き尽くす『絨毯爆撃』だ!」
隊長の号令と共に、数十頭の飛竜が一斉に翼を畳み、恐るべき速度でモルトケ軍めがけて急降下を開始した。
彼らは知っている。この世界のいかなる軍隊も、空からの高速攻撃には対処できないことを。魔法による範囲爆撃と、巨大な爪による一撃離脱。それを繰り返すだけで、地上の軍隊は一歩も動けぬまま消滅することを。
――だが、彼らは知らなかった。
モルトケ辺境伯軍が、空を飛ぶことの恐ろしさを誰よりも理解し、それに対する「準備」を完全に整えていたことを。
***
「……敵飛竜、急降下爆撃の態勢に入りました。距離、八百ヤード。高度、急低下中」
地上。参謀長アランの氷のように冷静な声が、通信機に響く。
その瞬間、戦車を護衛するように配置されていた、帆布の偽装網を被った数台の『奇妙な荷車』が、一斉にその正体を現した。
そこに座っていたのは、獰猛な笑みを浮かべ、巨大なクランクハンドルを握るマクシミリアンたち遊撃隊の面々であった。
「ヒャハハハハッ! 王都脱出の時は随分と世話になったなァ、トカゲ野郎ども! お前らが群れで飛んでくるのを、首を長くして待ってたぜェ!」
彼らが操作するのは、アンジェリカが開発した対空迎撃の切り札――四本の太い銃身を束ね、空を見上げるように設置された連装式の『対空機関砲』である。
戦車部隊は、飛竜をおびき寄せるための巨大な『撒き餌』に過ぎなかったのだ。
「全基、仰角・最大! 空の支配者気取りの馬鹿どもに、鉛の土砂降りをくれてやれッ! 撃てェェェェッ!!!」
マクシミリアンの怒号と共に、彼は発射ペダルを思い切り踏み込んだ。
ドンドンドンドンドンドンドンドンッ!!!
これまで戦場に響いていた小銃の乾いた音とは違う、腹の底を殴りつけるような重低音の連射音が炸裂した。
四連装の砲口から吐き出されるのは、指先ほどの小銃弾ではなく、飛竜の分厚い鱗を粉砕するために作られた巨大な『徹甲機関砲弾』だ。それが毎分数千発という暴風雨となって、急降下してくる飛竜の群れに向かって逆流していく。
「な、なんだ!? 下から、何が飛んで……!」
急降下爆撃の態勢に入っていた飛竜騎士の隊長が、眼下から凄まじい速度で迫る無数の『光の筋』に気づき、目を見開いた瞬間。
バキィィィンッ! グシャァァァッ!!
先頭を飛んでいた数頭の飛竜が、見えない巨大なハンマーで殴られたかのように空中でひしゃげた。
鋼鉄の鱗も、魔法の障壁も一切意味をなさない。高速度で飛来する大口径の徹甲弾は、飛竜の巨大な翼を根元から引き千切り、分厚い胴体に風穴を開け、乗っていた騎士ごと肉片に変えて弾け飛んだ。
「グギィィィヤァァァァァッ!?」
「ば、馬鹿なッ! 我々は空にいるのだぞ!? なぜ地上の攻撃が届く!?」
絶対安全圏であったはずの空が、一瞬にして「死の壁」へと変わる。
急降下という、自ら速度を上げて一直線に突っ込んでくる軌道は、下から待ち構える対空機関砲にとって最も狙いやすい『最高の的』であった。
マクシミリアンたちが操作する機関砲は、空中に巨大な『弾幕の傘』を広げ、そこに突っ込んでくる飛竜を次々とミンチに変えていく。
それは、ファンタジー世界において空の生態系の頂点に君臨していた魔獣が、近代工業の暴力によって一方的に屠殺される、歴史的な転換点であった。
「逃げろ! 上昇しろ! このままでは全滅する!」
「駄目だ、腹が減って力が出ねェ! 言うことを聞け、この駄竜がぁっ!」
生き残った騎士たちが爆撃を諦め、必死に手綱を引いて逃げようとする。だが、飢餓状態で無理やり叩き起こされた飛竜たちは、恐怖と混乱で完全に制御不能に陥り、ある者は空中で同士討ちを始め、ある者はそのまま機関砲の餌食となって墜落していく。
「ハッハー! どうした空の王様よォ! 自慢の魔法を落としてみろよ! おらぁっ、もっと堕ちろ! 全部堕ちろォォォッ!!」
狂喜乱舞するマクシミリアンの砲撃によって、最後の数頭が黒い煙と血しぶきを引いて墜落した時、ファルサの空から飛竜の影は完全に消え失せた。
大帝国が最後に切った最強のカードは、モルトケの対空砲火の前に、ただの一発も魔法を落とすことすらできず、完全なる殲滅を喫したのである。




