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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢、生存第一に剣から銃に持ち替える~  作者: 薄氷薄明
第5章

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第6話 飢餓の大空と飛竜騎士団の猛獣たち




 ガルマニア帝国、帝都。


 豪奢ごうしゃな造りでありながら、どこか寒々しい冷気に包まれた王城の玉座(ぎょくざ)の間で、皇帝は前線のグスタフから届いた親書(しんしょ)を読み終え、深く、重い溜息(ためいき)を吐き出した。


「……グスタフが、『勝てない』と報告してくるとはな」


 その言葉に、並み居る老将たちは静まり返った。


 モルトケ辺境伯が投入してきた、大砲の直撃を弾き返し、悪路を無限軌道(キャタピラ)で踏み越える鉄の箱――『戦車(タンク)』。


 平原での陣地防衛を完全に無力化するその兵器に対し、グスタフはとうとう、大帝国が誇る最強の航空戦力『飛竜騎士団(ドラグーン)』の全機投入を要請してきたのである。


「皇帝陛下! なりませぬ!」


 兵站(ロジスティクス)を預かる内務卿(ないむきょう)が、血相を変えて前に進み出た。


「現在、我が帝国は十万の兵を失った傷跡と極端な食糧不足により、国内で餓死者が続出しております! ……飛竜は巨大な肉食獣です。一頭を空へ飛ばすだけで、一日に牛を丸ごと三頭は喰らいます! 全機を前線へ送れば、我が国の備蓄肉など数日で底を尽き、暴動が起きますぞ!」


 そう、これこそが、帝国がエルデラントへの初戦から飛竜を投入できなかった『最大の理由』であった。


 飛竜による空からの攻撃は圧倒的だが、その燃費(コスト)は最悪である。十万の兵を失い、喉から手が出るほど『麦』を欲してファルサへ侵攻した飢餓状態の大帝国にとって、飛竜を動かすことは文字通り「自らの肉を削ぐ」に等しい自殺行為なのだ。


 だからこそ帝国は、飛竜を帝都の地下深くに繋ぎ止め、極端な餌の制限を課して無理やり休眠状態にさせていたのである。


「……分かっている」



 皇帝は、玉座の肘掛けを強く叩いた。


「だが、その鉄の怪物を放置すれば、ファルサの麦を奪う前に、我が軍の残存兵力はすべて平原の泥にすり潰される! ……背に腹は代えられん。飛竜騎士団(ドラグーン)を出撃させよ」


「し、しかし! 飛竜に与える肉はどこから……!」


「……前線の野戦病院にいる、回復の見込みのない重傷兵たちと、あとは、道中で殺したファルサの農民どもの死体もだ」


 その冷酷すぎる決断に、内務卿は顔面を蒼白して絶句した。


 もはや名誉ある大帝国ではない。なりふり構わず、人間の死肉を喰らわせてまで魔獣を空へ放たねばならないほど、帝国はモルトケの近代兵器によって『国家の限界』へと追い詰められていたのである。



***



 数日後。ファルサ王国の東部、『第二防衛線』へと撤退を完了したグスタフの本陣。


 どんよりと曇った空から、突如として鼓膜(こまく)(つんざ)くような巨大な羽音が鳴り響き、数十もの巨大な影が舞い降りてきた。


「グアァァァァァァッ!!」


 血走った爬虫類の目をぎらつかせ、腐肉の臭いを撒き散らしながら着地したのは、全身を強固な鱗で覆われた巨大な『飛竜』の群れであった。


 飢餓状態から目覚めさせられ、人肉を喰らって凶暴化した飛竜たちは、手綱を握る騎士の命令すら無視して周囲の兵士を喰い殺そうと暴れ回っている。



「……よくぞ来てくれた、飛竜騎士団(ドラグーン)の諸君」


 泥だらけの軍服を着たグスタフが天幕から現れ、部隊長に向けて冷徹に口を開いた。


「モルトケの兵器は、分厚い正面装甲(アーマー)と、地を這う魔法を無力化する突進力を持っている。……だが、どれほど強固な鉄の箱であろうと、上空からの死角には必ず弱点があるはずだ。……貴官らの『空からの炎』で、あの鉄の怪物を溶かしてくれ」


 飢えた猛獣の群れが、モルトケを喰い殺すため、ついに戦場の空へと放たれた。



***



 一方、その頃。


 ファルサ西部の平原を制圧し、前線を押し上げていたモルトケ合同遠征軍の野戦本陣(キャンプ)


 ハインリヒは、作戦会議用の天幕で、参謀長(さんぼうちょう)アランが広げた地図を険しい顔で睨みつけていた。


「……敵の将軍グスタフは、完全に塹壕を放棄し、ファルサ王都の東まで軍を退かせたか」


「はい。見事なまでの撤退戦(リトリート)です。我が軍の『戦車』の威力を見るや否や、無駄な抵抗を捨て、被害を最小限に抑えて素早く距離を取りました」


 アランの報告に、ハインリヒは腕を組んだ。


「無能な指揮官ならば、意地になって突撃を繰り返し、勝手に自滅してくれただろうが……敵将は底知れぬほど有能だ。奴がただ逃げただけとは思えん。必ず、我々の『絶対的な優位』を覆すための一手を打ってくる」



 そのハインリヒの直感に答えるように、図面を覗き込んでいたアンジェリカが、静かに、しかし緊張を(はら)んだ声で口を開いた。


「お父様。もし敵将が我が軍の『戦車』の構造を分析し、最も合理的な対策を打ってくるとしたら……攻撃は『空』から来ます」


「空、だと?」


 ハインリヒの問いに、アンジェリカは戦車の設計図を指差した。


「戦車は、大砲の直撃を弾き返すために、正面と側面に極端に分厚い装甲を配置しています。しかし、その重量を支えてエンジンで動かすために……乗組員が出入りする『天井(トップ)』の装甲だけは、どうしても薄く作らざるを得ないのです」


 それは、近代戦車が抱える構造上の致命的な『弱点(ウィーク・ポイント)』であった。


 平面の撃ち合いでは無敵の要塞も、上空から爆発物を落とされれば、薄い天井をぶち抜かれて内部の乗組員ごと黒焦げになってしまう。


「……なるほど。帝国軍には、空を飛ぶ厄介な『猛獣』がいたな」


 ハインリヒの眼光が、剣呑(けんのん)な光を帯びる。


 その言葉を重く受け止めるように、アランが幕僚たちに向けて冷徹な声で解説を加えた。


「皆、よく聞いておけ。戦争において、敵に『制空権(エア・スプレマシー)』を握られるということが、どれほど致命的かを。

 空を支配されるということは、単に上から攻撃されるだけではない。我々の軍の配置、伏兵の動き、後方の物資輸送の列……そのすべてが、はるか上空から『丸裸』にされるということだ。

 どんなに強固な塹壕(ざんごう)を掘ろうと、どんなに分厚い胸壁(きょうへき)を築こうと、上空から見下ろす敵には一切の意味をなさない。陸軍がどれほど強大であろうと、空を奪われれば、軍隊は一方的に狩られるだけの『的』に成り下がるのだ」



 アランの語る近代戦の冷酷な真理に、作戦会議室の空気が一気に凍りついた。


 空を飛べない歩兵たちにとって、頭上から一方的に炎や岩を落とされる恐怖は計り知れない。


「だからこそ、我々も『空を落とす準備』をしなければならん」


 ハインリヒが、重々しく告げる。


「アンジェリカ。後方の工場で作らせていた『アレ』は届いているか?」


「はい。戦車と歩兵を頭上の脅威から護衛するための、連射可能な上空迎撃兵器……『高射機関砲(アンチ・エアクラフト)』の配備は、すでに各部隊へ完了しております」


 空を支配するファンタジー最強の飛竜騎士団か、それとも空の絶対的優位を撃ち落とす近代の対空砲火か。



 互いに限界まで知恵を絞り、兵站(ロジスティクス)を削り合う絶望の戦場で、次なる死闘の幕が静かに上がろうとしていた。




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