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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢、生存第一に剣から銃に持ち替える~  作者: 薄氷薄明
第5章

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第5話 知将の戦慄と時代を砕く足音




 ファルサ王国、東部戦線の帝国軍本陣。


 天幕の中で戦況図を睨みつけていた帝国軍総司令官グスタフは、血まみれになって転がり込んできた前線からの伝令の報告を聞き、持っていた指揮棒を無意識のうちに床へ落としていた。


「……もう一度、言え。最前線の塹壕(ざんごう)陣地が、どうなったと?」


「と、突破されました……! 風と土の『複合防盾コンポジット・シールド』は愚か、数日かけて掘り進めた塹壕そのものが、モルトケ軍の新型兵器によって完全に蹂躙(じゅうりん)されました!!」


 伝令の兵士は、恐怖でガタガタと震えながら、見たままの地獄を口走った。


「大砲や機関銃の弾丸をすべて弾き返す、分厚い鋼鉄の装甲! 馬もいないのに自ら泥濘(でいねい)を踏み越えてくる、巨大な『鉄の塊』です! 奴らは魔法の盾ごと我々の陣地を踏み潰し、その真上から機関銃を掃射してきました!」


 その報告に、本陣に控えていた帝国の幕僚たちが一斉にざわめき、悲鳴のような声が上がる。


 だが、グスタフの頭の中は異常なほど冷え切っていた。冷え切り、そして、底知れぬ恐怖に支配されかけていた。


(……馬鹿な。銃弾は直線にしか飛ばない。だからこそ、大地に潜り、物理的な防壁を何重にも構築すれば、あの悪魔の兵器は無力化できるはずだった。……それが、私の導き出した唯一の『解答』だったというのに)



 グスタフは、優秀な将軍である。


 だからこそ、伝令の(つたな)い言葉からでも、モルトケが投入してきた新型兵器――『戦車(タンク)』という概念の異常性を、誰よりも正確に理解してしまった。


(盾で防がれるなら、その盾を破壊できる大砲を、分厚い装甲で覆って敵陣の鼻先まで運ぶ。……悪路に阻まれるなら、自らの足で泥を砕き、塹壕を乗り越える『動く鉄の城』を作る……。なんという、なんという狂った技術力だ!)


 グスタフの背筋を、氷のような悪寒が駆け上がる。


 魔法という奇跡に頼りきっていた帝国では、絶対に到達できない極限の物理法則と工業力。それを、辺境のいち貴族が、たった数ヶ月で戦場に投入してきたのだ。


「……閣下! さらに恐るべきは、その鉄の箱の背後から、無数のモルトケ歩兵が随伴してきたことです! 奴らは鉄の箱を『動く盾』にして安全に接近し、塹壕の中に手榴弾を投げ込んで白兵戦を仕掛けてきました! 第一、第二防衛線はすでに壊滅(かいめつ)状態です!」


 伝令の言葉に、グスタフはとうとう血が(にじ)むほど唇を噛み締めた。


 ただ新しい兵器を作っただけではない。それを歩兵と連携させ、『機動防盾(きどうぼうじゅん)』として運用する戦術までもが、すでに完成している。


(……勝てない)


 グスタフの心に、将軍として決して抱いてはならない致命的な二文字がよぎった。



(剣の技量も、魔法の威力も、兵の数も、もはや一切関係ない。……我々は、人間と戦っているのではない。剣と魔法という古い時代を塗り替える、『新しい時代』そのものと戦わされているのだ……!)


「グスタフ総司令官! いかがなさいますか! このままでは、前線の三万がすり潰されます! 後方の魔導大隊をすべて前線に投入し、徹底抗戦を……!」


 血気盛んな幕僚が叫ぶが、グスタフは鋭い声でそれを一喝した。


「馬鹿者! そんなことをすれば、無駄な死体の山をさらに高く積み上げるだけだ! ……全軍に伝達! 陣地を放棄し、直ちにファルサ王都のさらに東、『第二防衛線』まで全軍撤退(フル・リトリート)せよ!」


「て、撤退ですか!? しかし、それではファルサの穀倉地帯の半分をモルトケに明け渡すことになります!」


「構わん! 兵が生きていれば軍は立て直せるが、あの『鉄の怪物』の前に兵を留まらせれば、帝国軍は今度こそ完全に消滅する!」


 優秀な将軍ゆえの、血を吐くような苦渋の決断であった。


 十万の犠牲を払い、死に物狂いで学習して築き上げた塹壕陣地を、自ら放棄する。それは、帝国軍の完全なる『戦術的敗北』を意味していた。


 慌ただしく撤退の準備が進む天幕の中で、グスタフは一人、皇帝へ宛てた親書(しんしょ)を書き殴っていた。


『――モルトケの兵器は、もはや我々の想像を絶する次元に到達しております。通常の魔法騎士や歩兵の陣形では、何十万の兵を並べようとも一方的な屠殺(とさつ)に終わるでしょう。


 皇帝陛下。大帝国が生き残るためには、もはや旧来の軍隊を捨てる覚悟が必要です。……帝国軍に眠る『禁忌の術式(ロスト・マジック)』の封印解除、および、上空からあの鉄の箱を破壊するための『飛竜騎士団(ドラグーン)』の全機投入の許可を、伏してお願い申し上げます――』


 書き終えた羊皮紙を封筒に押し込みながら、グスタフは天幕の隙間から、遠く西の空を覆う黒煙を見つめた。


 地響きは、ここまで(かす)かに伝わってきている。


「……辺境の狂犬、ハインリヒ・フォン・モルトケ。貴様らは一体、どこまでこの世界を壊せば気が済むのだ……!」


 知将グスタフの悲痛な呟きは、絶望的な大敗走の喧騒(けんそう)の中に、虚しく吸い込まれていった。




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