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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢、生存第一に剣から銃に持ち替える~  作者: 薄氷薄明
第5章

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第3話 泥濘の塹壕戦と帝国の学習




 キール要塞での劇的な初戦から、数日が経過した。


 ファルサ西部の平原は、これまでの剣と魔法の戦争ではあり得なかった『異様な光景』へと変貌を遂げていた。


「……前線のファルサの民たち、生き残りの非戦闘員およそ二万人の後方退避、完了しました」


 モルトケ軍が構築した堅牢なコンクリートの特火点(トーチカ)の中。


 参謀長(さんぼうちょう)アランが、戦場を見渡すハインリヒに向けて静かに報告した。


「兵員の三分の二をエルデラント王都へ後退させた、あの『帰りの装甲列車(アーマード・トレイン)』の空き車両と、ファルサ側の馬車を総動員し、彼らをファルサ王都の安全圏まで送り届けています。……現在、この平原に民間人は一人も残っていません」


「ご苦労だった、アラン。……巻き添えを気にしていては、大砲は撃てんからな。これで憂いなく、敵を粉砕できる」


 ハインリヒは双眼鏡(オペラグラス)を下ろし、冷徹な眼差しで数百ヤード先の敵陣を睨みつけた。


 彼らが避難を急がせた理由は、帝国の残虐性だけではない。この平原が今、地獄のような泥沼の戦場と化しているからだ。


「チッ! モグラみてェに潜りやがって。これじゃあ弾が当たらねェ!」


 防衛線の一角で、遊撃隊長(ゆうげきたいちょう)マクシミリアンが重機関銃(ガトリング・ガン)から手を放し、忌々(いまいま)しげに舌打ちをした。


 見渡す限りの平原には、帝国軍によって無数の深い『溝』が掘り巡らされていた。


 それは、帝国軍総司令官グスタフの命を受けた土魔法使いたちが、夜を徹して大地を掘り返して構築した巨大な『塹壕(ざんごう)』の網目(ネットワーク)であった。


 ズガガガガガッ!! とマクシミリアンが威嚇の連射を放つが、銃弾は塹壕の前に高く盛られた土の胸壁(きょうへき)にボコボコと穴を空けるだけで、その奥で身を(かが)めている帝国兵には一発も当たらない。


「敵の将軍、グスタフと言ったか。……二度の敗北で、我々の兵器の『弱点』を完璧に見抜いたようだな」


 ハインリヒが、感心したような、それでいて底冷えするような声で呟いた。


「我々の銃や機関銃は、圧倒的な速度と威力を持つが……弾道はあくまで『直線』だ。ゆえに、地面より下に潜り込まれれば、水平に撃ち出す銃弾は物理的に届かない」


「ええ。それに加えて、あの『盾』です」


 アランが、塹壕の一部を指差す。


 そこでは、帝国軍の兵士が塹壕から上半身を出し、こちらに向けて巨大な投石器(カタパルト)の準備をしていた。


 すかさずモルトケの狙撃手(スナイパー)たちがその頭を吹き飛ばそうとライフルの引き金を引くが、帝国兵の周囲の空間が陽炎(かげろう)のように歪み、放たれた弾丸は『見えない壁』に弾かれてあらぬ方向へと逸れてしまった。


「土魔法で作った分厚い岩の盾の表面に、風魔法による強烈な『上昇気流(アップドラフト)』をまとわせた『複合防盾コンポジット・シールド』……。鉛玉の物理的な威力を風で削ぎ、岩で受け止める。単純ですが、極めて理にかなった対弾道魔法です」


 アランの分析に、幹部たちの顔が引き締まる。


 帝国軍は十万の犠牲を払い、銃という『見えない矢』の存在を理解した。だからこそ彼らは、開けた平原での突撃という旧時代の戦術(セオリー)を完全に捨て去り、大地に潜って盾を構え、じわじわと距離を詰めてくる『泥沼の消耗戦(しょうもうせん)』へと切り替えてきたのだ。


「……撃てば勝てるという、簡単な戦いではなくなったということだ。前線の各歩兵部隊に伝達! 無駄弾を撃つな! 敵が塹壕から完全に頭を出した時のみ、一斉射撃(ボレー・ファイア)で仕留めろ!」


 ガンツの野太い号令が、前線に響き渡る。


 モルトケ軍の四千、そして王国近衛兵たちもまた、ファルサの泥土の中に構築した自軍の塹壕に身を潜め、じりじりと睨み合う。


 時折、帝国軍の塹壕から放たれる投石や炎の魔法が飛んでくるが、これもモルトケ軍が構築したコンクリートの特火点と土嚢(どのう)によって防がれる。


 両軍ともに致命打を与えられないまま、戦線は完全に膠着状態(デッドロック)へと陥っていた。



***



「直線的な攻撃が通じないのなら、上から落とせばいい。……後方の装甲列車から、榴弾砲(りゅうだんほう)による曲射砲撃(きょくしゃほうげき)を開始しろ」


 ハインリヒの命により、後方から巨大な砲弾が空高く打ち上げられ、放物線を描いて帝国軍の塹壕へと降り注ぐ。



 ズドォォォンッ! という爆発と共に、塹壕の一部が崩れ去り、帝国兵の悲鳴が上がる。


 だが、大帝国もただやられているだけではなかった。


 砲撃が始まると同時に、敵の土魔法使いたちが即座に塹壕の上に『分厚い土の屋根』を作り出し、さらなる被害を最小限に食い止め始めたのである。


「……厄介だな。魔法という柔軟な技術がある分、敵の陣地構築(エンジニアリング)の速度は、我々の土木作業よりも遥かに早い。砲撃で削っても、すぐに修復されてしまう」


「おまけに、大砲の弾には限りがあります。このまま遠距離から撃ち合いを続ければ、いずれ我々の兵站が圧迫されますね」


 ハインリヒとアランが、渋い顔で作戦盤(ボード)を見つめる。


 そこに、安全な後方から前線の視察に訪れていたアンジェリカが、泥にまみれた兵士たちを見つめながら、静かに口を開いた。


「お父様。敵が大地に潜り、強固な盾で身を守るのなら……我々はそれを『乗り越えて』、上から踏み潰すしかありません」


「踏み潰す、だと?」


「はい。機関銃の弾を弾き返すほどの分厚い装甲(アーマー)(まと)い、どんな悪路や塹壕であろうと乗り越えて進むことができる、自走式の『動く鉄の城』。……我がモルトケの工場で開発を進めていたあれを、実戦投入する時が来たようです」


 アンジェリカの瞳の奥に、近代技術者としての冷徹な光が宿る。


「装甲列車の設計を応用し、線路がなくても大地を無限軌道(キャタピラ)で蹂躙する新型陸上兵器。……コードネーム『戦車(タンク)』の第一陣を、領地からこちらへ輸送させます」


 帝国軍の有能な学習によって生み出された、泥沼の塹壕戦。


 それを力業で粉砕するため、モルトケ辺境伯軍はさらなる『絶望の兵器』の封印を解き放とうとしていた。




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