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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢、生存第一に剣から銃に持ち替える~  作者: 薄氷薄明
第5章

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第2話 帝国の誤算と冷徹なる外交使節




「……なんだと? ファルサ西部のキール要塞を包囲していた一万の我が軍が、たった数十分で壊滅(かいめつ)しただと?」


 ガルマニア帝国の本陣。


 薄暗い天幕の中で、新たに帝国軍総司令官に就任した若き知将グスタフは、血相を変えて飛び込んできた伝令の報告に、思わず手元の羽ペン(クイル)をへし折った。


「間違いないのか! 敵はファルサの残存兵ではないのだな!?」


「は、はい……! 黒い煙を吐く巨大な鉄の箱に乗って現れた、モルトケ辺境伯の旗を掲げる『エルデラント王国の正規軍』です! 見たこともない大砲と、一瞬で数百発の鉛玉をばら撒く兵器によって、前線指揮官もろとも部隊は消し飛びました!」


 伝令の悲痛な報告を聞き、グスタフはギリッと奥歯を噛み締めた。


「馬鹿な……。エルデラント王国は先日のクーデターと王都奪還の戦いで、国力が極限まで疲弊しているはずだ。自国の防衛を固めるならともかく、わざわざ国境を越え、かつて自分たちを裏切ったファルサ王国へ『遠征(えんせい)』してくるなど、軍事的にも政治的にもあり得ない!」


 グスタフの計算では、モルトケはファルサを見捨て、自領の復興に専念するはずだった。


 だが、エルデラント王国はグスタフの予想を遥かに超える速度で国家の機能を回復させ、あろうことか「ファルサを帝国の手に落ちる前に援軍を出す」という、極めて大胆かつ地政学的に正しい『先制防衛プリエンプティブ・ディフェンス』の決断を下したのだ。


「……辺境の狂犬は、己が大陸の覇権(はけん)争いに参戦するのではなく、大陸の覇権(はけん)を見据えた『国家の剣』として動いているというのか」


 実際のハインリヒ……もとい、辺境伯一族は、公爵を辞退するほど権力には興味はなく、生き延びる為に新たな武器を取っただけにすぎないのだがーー。


 グスタフの背筋に、冷たい汗が伝う。


 未知の兵器というだけでも脅威だというのに、それが優れた政治的決断と結びついた時、エルデラント王国は帝国にとって最も恐るべき獅子となる。


「……ファルサ侵攻部隊の進軍を一時停止させろ! 全軍、防衛陣形へ移行し、ただちに塹壕(ざんごう)を掘って身を隠せ。……あの悪魔の兵器を無効化する『新たな盾』が前線に届くまで、絶対に開けた場所で戦うな!」


 グスタフの苦渋に満ちた命令が、戦場に響き渡る。


 今回だけで、ファルサを蹂躙(じゅうりん)できるはずだった帝国の計画は、モルトケ合同遠征軍の電撃的な介入によって完全に粉砕され、戦局は急遽、泥沼の立て直しを余儀なくされたのである。



***



 一方、その頃。


 エルデラント王国の王都、王城の宰相執務室。

 通信用の魔導具(トランシーバー)から、前線のハインリヒが発した短くも力強い戦果報告がもたらされていた。


『――ファルサ西部のキール要塞を開放。帝国軍一万を撃破し、敵軍は一時撤退を開始した。これより本軍は、ファルサ王都へ入る』


「おお……! 見事だ。さすがは我が国の総司令官、ハインリヒ辺境伯であるな」


 報告を受けた白髪の宰相は、深く安堵の息を吐き、そして氷のように冷たく不敵な笑みを浮かべた。


「軍事は彼が完璧に果たしてくれた。……ならば次は、我々文官が『国益』を刈り取る番だ。おい」


「はっ、ここに」


 控えていた文官が歩み出る。宰相は冷徹な為政者の顔で命じた。


「すでに、軍の後を追わせてファルサ国境近くに待機させてある『首席外交官(アンバサダー)』の馬車へ、急ぎ連絡を取れ。直ちにファルサの王城へ向かわせるのだ。……我が国を裏切って帝国を通した代償、きっちりと外交の場で支払わせるぞ」


「御意」


 軍事による暴力的な解決の直後、休む間もなく外交という名の刃を突きつける。それが、旧体制の腐敗から生まれ変わった新生エルデラント王国の、容赦なき国家戦略であった。



***



 そして数時間後。戦火を免れたファルサ王国の王城・謁見の間。


 そこでは、エルデラント王国とファルサ王国による、緊急の外交会談(サミット)が開かれていた。


「おお……! よくぞ、よくぞ駆けつけてくれた、エルデラントの勇者たちよ! まさか帝国軍一万を瞬く間に退けるとは、貴国は我がファルサの救世主だ!」


 玉座から転がり出るようにして、ファルサの国王が涙ながらに感謝を述べる。


 だが、その歓喜の声に対するエルデラント側の態度は、氷のように冷ややかなものであった。


「もったいないお言葉にございます、ファルサ国王陛下。我がエルデラント王国は、貴国からの救援要請(SOS)を受け、国王陛下と貴族院の『正規の決議』に基づき、こうして救援に参じた次第です」


 一歩前に出て流麗な礼をとったのは、軍の到着とほぼ同時に王城へ滑り込んだ、エルデラント王国の首席外交官である。旧体制の腐敗貴族が一掃された後、宰相によって見出された、若くも極めて優秀な文官であった。


「我が国は、帝国に苦しめられる隣人を決して見捨てません。……たとえその隣人が、数ヶ月前に帝国軍の無害通航をあっさりと許可し、我がエルデラントに十万の帝国兵を流し込んだ『過去』があったとしても、です」


「うっ……! そ、それは……あの時は、致し方なく……!」


 外交官の口元には笑みが浮かんでいたが、その目は一切笑っていなかった。


 ファルサの王と重臣たちは、自らの裏切りをチクリと、しかし致命的に刺され、冷や汗を流して言葉に詰まった。


「過去の遺恨(いこん)は水に流しましょう。ですが、我が国も無償で軍を動かせるほど豊かではありません。……今後の我が軍の『駐留費用』と、戦後における『関税の優遇措置』について、いくつか条約を結ばせていただきたく存じます」


 外交官が分厚い羊皮紙を突きつける。


 それは、実質的にファルサ王国をエルデラントの経済的保護下(プロテクトラート)に置くという、容赦のない不平等条約であった。だが、帝国に国土を焼かれているファルサに、拒否権などあるはずもない。


 その冷徹な政治交渉の背後で、モルトケ公爵ハインリヒは、ただ腕を組んで黙々と立っていた。


 彼はあくまで『王国軍総司令官』であり、政治の場に出しゃばるような愚は犯さない。


「……外交のすり合わせは、そちらに一任する。俺は軍事的な報告だけを済ませよう」


 条約の調印が終わったのを見計らい、ハインリヒが重々しく口を開いた。


「今回、俺が率いてきたモルトケと近衛兵の合同遠征軍は、総勢一万二千。……だが、帝国に国土を焼かれ、極度に疲弊している現在のファルサの兵站(ロジスティクス)では、これだけの大軍の胃袋を満たすことは不可能だ」


「は、はい。恥ずかしながら、食糧庫はすでに底を尽きかけておりまして……」

 ファルサの文官が申し訳なさそうに(うつむ)く。

 ハインリヒは手元の作戦盤(ボード)に駒を置き、冷徹な兵站感覚で配置を指示した。


「ゆえに、遠征軍の三分の二にあたる『八千の兵』は、装甲列車(アーマード・トレイン)に乗せ、一時的にエルデラントの王都へと後退・待機させる。……ファルサの防衛線に残して駐留させるのは、精鋭『四千』のみだ」


「よ、四千!? し、しかし総司令官殿、それではまた帝国の大軍が押し寄せてきた時に……!」


「案ずるな。ただの四千ではない」


 悲鳴を上げるファルサ王に対し、ハインリヒは獰猛(どうもう)な笑みを浮かべた。


「我が軍の四千は、機関銃と大砲で武装し、モルトケの教官に鍛え上げられた近代歩兵だ。帝国の旧式軍隊なら、数万が相手でも一歩も退くような者はいない。……それに、王都に待機させた八千も、鉄道網を使えばいつでも半日で前線へ急行(ラッシュ)できる」


 無駄な大軍を置いて補給線を崩壊させるのではなく、必要最小限の精鋭で防衛線を構築し、鉄道という機動力(モビリティ)を使っていつでも増援を送る。


 ハインリヒの提示した、あまりにも合理的で近代的な『軍隊の運用法』に、また、ハインリヒの兵たちへの信頼に、ファルサの首脳陣はただ口を開けて驚嘆するしかなかった。



 政治は文官が詰め、軍事は辺境の狂犬が冷酷に支配する。


 エルデラント王国の圧倒的な国家としての『格の違い』を見せつけられ、隣国ファルサは完全にその膝を屈することとなったのである。




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