閑話2 母の暗躍と海に浮かぶ鉄の交易拠点
エルデラント王国の西の海を隔てた隣国、『連合国』。
その王城の応接室で、連合国国王は卓上に並べられた『恐るべき品々』を前に、驚愕と冷や汗を隠せずにいた。
「……以前、密約を交わした折に、其方が余に見せたあの『恐るべき切れ味のナイフ』。あれと同じ製法で作られたものだと言うのか?」
国王の震える声に対し、モルトケ家の外交を一手に見事に担う気丈な女性――ソフィアは、優雅に扇を広げて微笑んだ。
「ええ、お兄様……いえ、連合国国王陛下。あれは我がモルトケ公爵領の工場が稼働し始め、プレス機で打ち出された日用品の一部に過ぎませんわ」
そう、この連合国国王は、ソフィアの実の兄であった。
ソフィアは扇を置き、兄である国王へ向けて、漆黒のベルベットが張られた細長い木箱をうやうやしく差し出した。
「我がモルトケがエルデラント王都を奪還を果たした記念と、モルトケ家とその領民を受け入れてくださった連合国陛下への感謝を込めまして……こちらを献上させていただきますわ」
箱が開かれると、そこには銀色に鈍く光る三つの刃が収められていた。
封筒を切るためのペーパーナイフ、護身用の短剣、そして騎士が振るう長剣。これらすべてが、魔法を一切使わない純粋な『鉄(鋼)』でありながら、連合国の国宝級の魔法剣すら凌駕する異常な硬度と切れ味を誇っていた。
「……見事だ。だが、ソフィアよ。これは余への『贈り物』であると同時に、モルトケはいつでも連合国の騎士の首を刎ねる剣を量産できるという……『脅し』にも見えるのは気のせいか?」
国王の鋭い指摘に、ソフィアはふふっと小さく笑い声を漏らした。
「まさか。これは純粋な、妹からの敬意ですわ。……ですが陛下、我が国は剣だけでなく、このように狂いのないハサミや、割れない鉄の鍋なども大量に生産できるようになりました。連合国の民は、さぞかし我が領の製品を欲しがるでしょうね」
ソフィアの笑みは底知れず冷たく、そして美しかった。
国王は息を呑んだ。ただの平民が、騎士の剣を凌駕する刃物を日用品として持つ国。これらが自国の市場に流れ込めば、連合国の鍛冶産業など一瞬で吹き飛び、モルトケの工業製品なしでは生きていけない体質へと作り変えられてしまう。
「……連合国は、モルトケの製品を優先的に買えるのだろう?我が国でぜひ買い取らせてくれ」
「喜んで。ですが陛下、代金は金銀ではなく、連合国が産出する『石炭』と『硝石』でのお支払いをお願いいたしますわ」
自国にない資源を他国から吸い上げ、代わりに圧倒的な工業製品を売りつける。それは、極めて狡猾な『経済的従属』の罠であった。
「……よかろう。契約成立だ」
国王が渋々頷くと、ソフィアは満足げに目を伏せ、さらにとんでもない要求を突きつけた。
「そしてもう一つ。一時的に非戦闘員を退去させていたあの『監獄島』ですが……賃料を払い続けるのも手間ですので、我がモルトケが島そのものを『購入』させていただきたく存じます」
「な、なんだと!? いくらモルトケが豊かになったとはいえ、他国の島を一つ買い取るほどの資金など……」
驚く国王に対し、ソフィアは護衛の兵士たちに命じて、応接室に巨大な木箱をいくつも運び込ませた。
蓋が開かれると、そこには眩いばかりの金銀財宝が山のように積まれていた。
「先日、国を売った王弟や腐敗貴族どもを大裁判で処刑した際、彼らの領地から没収した裏金の一部ですわ。エルデラント国王の許可はいただいております。……これに加えて、先ほどの日用品の優先貿易権。これらで、あの不毛の岩礁を買い取るには十分すぎる対価かと存じますが?」
他国から奪った金で、自国の絶対防衛線を買い取る。
目の前に積まれた莫大な金と、優先貿易権という甘い毒に目が眩んだ国王に、もはや拒否権はなかった。
***
同刻。エルデラントと連合国の間に浮かぶ、絶海の孤島――監獄島。
かつては罪人を流すだけの岩礁であったその島は、ソフィアの買収により正式な『モルトケ公爵領』の一部となり、今や異様な威容を誇る『要塞島』へと変貌を遂げていた。
「そらァ! 第三沿岸砲の旋回テストだ! モタモタすんじゃねェ!」
ガレンの弟子である鍛冶職人たちの怒号が響く。
島の断崖絶壁には、分厚いコンクリートで作られた特火点がびっしりと立ち並び、海に向けられた巨大な大砲の筒が黒光りしている。
さらに、整備された港には、モルトケの資源を運ぶ大型の輸送船がひしめき合っていた。
そう、監獄島はもはやただの避難場所ではない。
モルトケが完全な主権を持つ、難攻不落の海軍基地として機能し始めていたのである。
母ソフィアの暗躍は、ただの商売ではない。
『技術』という鎖で連合国を完全に味方に縛り付け、さらに島の買収によって、背後である海側からの帝国の侵略を物理的・政治的に完全に封殺する、完璧な『抑止力』の構築であった。
内政、軍備、そして外交。
モルトケ公爵領はもはや辺境のいち貴族ではない。大陸の勢力図を塗り替える、巨大な近代国家として、静かに、だが確実にその牙を研ぎ澄ませていた。




