第40話 払暁の掃討戦と愚者たちの捕縛
エルデラント王都の空が、白み始めていた。
長きにわたる夜が明け、朝日に照らされた市街地には、硝煙の匂いと、生ぬるい血の臭いが濃密に立ち込めている。
「……総大将。王都内に残存していた帝国兵の残敵掃討、すべて完了しやした。逃げ遅れた奴らは全員武装解除し、捕虜として広場に集めてあります」
煤だらけのガンツが、王城のバルコニーに立つハインリヒに敬礼を捧げる。
無慈悲な市街戦を制し、ついにモルトケ軍の殲滅作戦は完全なる終わりを迎えたのである。
「ご苦労だった、ガンツ。……だが、俺たちの仕事は『外敵』を追い出しただけだ。国を内側から腐らせた『寄生虫』どもをすべて引きずり出さねば、この国に明日は来ない」
ハインリヒの冷徹な言葉と同時に、王城の別の区画では、アラン率いる憲兵隊が静かに、そして苛烈に動いていた。
***
「……放せ! 私は国王の弟たる大公だぞ! 辺境の分際で、この私を罪人扱いする気か!」
王城の離れにある豪奢な執務室。
踏み込んできたアランたちに対し、高級なガウンを着た初老の男――王弟が、血走った目で喚き散らしていた。
地下牢に叩き込まれた王太子は、病気を偽装して王座にふんぞり返っていただけの傀儡に過ぎない。帝国の密使と繋がり、実の兄である国王を幽閉するよう唆した真の黒幕は、この王弟であった。
「罪人扱いではありません。貴方様は紛れもない国家反逆者です」
アランは氷のような視線で銃口を向けた。
「ふざけるな! あのまま帝国と徹底抗戦すれば、エルデラントは火の海になっていたのだ! 勝てない戦いなど無意味だ! 強国には尻尾を振り、属国としてでも王家の血と貴族の地位を存続させる……それこそが、国家が唯一生き残るための合理的な道であろうが!」
王弟の口から吐き出されたのは、極端な敗北主義であった。
戦わずして国を売り、自分たちの身の安全だけを保証してもらおうという、為政者として最も醜悪な詭弁。
「……なるほど。王都の路地裏で餓死していった数万の民の死体を見ても、貴方様は『合理的な判断だった』と言い張るおつもりか。その寝言は、後の裁判でたっぷりと聞いて差し上げます。連行しろ」
アランの顎の合図で、兵士たちが王弟を乱暴に縛り上げる。
さらにアランは、名簿の『次の標的』へと視線を移した。
「次は男爵邸だ。王太子に取り入り、婚約破棄を唆したあの『小動物のような令嬢』……。すでに男爵家そのものが、帝国の諜報員として我が国の軍事機密を横流ししていた証拠の書簡は押さえてある。逃亡される前に、一族もろとも拘束しろ」
数十分後、王城の裏口から馬車で逃げ出そうとしていた男爵令嬢は、モルトケの兵士たちに取り囲まれていた。
「い、いやっ! 乱暴しないで! 私、何も知らないわ! ただ王太子殿下に騙されていただけで……!」
得意の涙目と可憐な仕草で同情を誘おうとする令嬢だったが、辺境の泥と血を啜ってきたモルトケの兵士たちに、そのような小芝居が通用するはずもなかった。
冷酷に手錠を掛けられ、彼女は一族もろとも、王太子の待つ冷たい地下牢獄へと叩き込まれていった。
***
「おーい、生きてるか! 助けに来たぜ!」
一方、王城の地下深くにある窓のない巨大な備蓄庫。
分厚い南京錠をマクシミリアンが銃床で叩き壊して扉を開けると、そこには、何十人もの人々が身を寄せ合って震えていた。
「ああ……貴方様は、モルトケ辺境伯の……!」
真っ先に進み出てきたのは、白髪の老紳士――エルデラント王国の宰相であった。
その後ろには、帝国への徹底抗戦を主張して王弟に疎まれた王宮の文官たちや、国王に忠誠を誓い、王太子への協力を拒んだメイドや従者たちが、ボロボロの姿で幽閉されていたのだ。
「ひでェ有様だな。だが、もう帝国兵はいねェ。……宰相の爺さん、アンタらの力が必要だ。まずはメシを食え。その後、すぐに王都の行政機能と兵站を立て直してくれ。餓死寸前の民に配給を急がねェと、国が死ぬ」
「おおお……! 国王陛下は、エルデラントは救われたのですね……!」
宰相やメイドたちは、マクシミリアンの泥だらけの手を握り締め、大粒の涙を流して崩れ落ちた。
***
正午。王城の中庭には、武装を解除された『エルデラント王国軍』の兵士たちが、数千人規模で集められていた。
彼らは国を裏切ったわけではない。ただ、上層部(王弟や裏切り貴族)によって指揮官を挿げ替えられ、戦う前に帝国軍に降伏させられてしまった、悲運な兵士たちであった。
指揮官を失い、自責の念と処罰への恐怖で俯く彼らの前に、ハインリヒが進み出た。
「顔を上げろ、王国軍の兵士たちよ! 貴様らは国を売ったわけではない! 王と民を守れなかった己の無力を恥じているのなら、誇りを失ったわけでもない!」
ハインリヒの野太い声が、中庭に響く。
「ならば、今ここでもう一度、その手で誇りを取り戻せ! 貴様らを『国王陛下直属の近衛兵』として再編する! 再び剣を取り、療養中の国王陛下を、裏切り者の残党から死抜いてお守りしろ!」
「「「――っ!! は、ははぁっ!!」」」
戦う目的と名誉を再び与えられた王国軍の兵士たちは、涙を流しながら一斉に剣を掲げた。
これで、王都の治安維持と国王の護衛問題は、彼らの誇りとともに完全に解決したのである。
その光景を見届けたハインリヒは、傍らに控えていた祖父母と、祖父母と行動を共にしていた諜報員の精鋭、そして領民で構成された義勇兵たちに向き直った。
「父上、母上。そして、モルトケのために血を流してくれた義勇兵の皆。……本当に感謝する」
ハインリヒは深く頭を下げた。
「だが、まだ戦いは終わっていない。大裁判を行い、この国の膿を完全に出し切るまで、我々はここ(王都)を動けん。……だが、領地を空っぽにしておくわけにもいかない。どうか皆は、モルトケ領へ帰還してくれ」
「分かっているさ。逃げたグスタフ将軍が、帝国本国でどう動くかも分からんからね」
祖父が、鋭い眼光で北(帝国の方角)を睨む。
戦争は局地戦だけでは終わらない。軍を維持するための巨大な軍事工場を稼働させ続けなければ、次に帝国が本気で攻めてきた時、弾薬の尽きたモルトケは必ず敗北する。
「裁判の準備は任せるよ。私たちは一足先に領地へ戻り、アンジェリカの作った『鉄の要塞』の建設を進めながら、いついかなる時でも帝国を迎え撃てるよう、絶対の防衛線を維持しておこう」
「頼みます」
祖父母と義勇兵たちは、ハインリヒたち正規軍に王都の事後処理を任せ、休む間もなく故郷たる辺境への帰路についた。
すべての準備は整った。
王城の地下牢には、国を売った王弟、王太子、スパイの男爵家、そして強欲な貴族たちが繋がれている。
次なる舞台は戦場ではない。エルデラント王国の未来を決める、峻烈なる『大裁判』の法廷であった。




