第39話 落日の総大将と反逆者たちの地下牢
王城の中心、玉座の間。
凄まじい爆音と振動が城全体を揺らす中、帝国軍総司令官ジークス大将は、自らの敗北を完全に悟っていた。
「閣下! 正門が突破され、市街地は完全に敵の制圧下に置かれました! さらに西塔の地下牢が破られ、王太子殿下も敵の拘束を受けたと……!」
「……もはや、これまでか」
血相を変えて飛び込んできた伝令に対し、ジークスは静かに目を閉じた。
そこに、煤と血に塗れたグスタフ将軍が、数名の精鋭を連れて玉座の間に踏み込んできた。
「ジークス大将! ここは私が殿を務めます! 閣下は直ちに秘密の抜け道から、本国へ……!」
「いや、グスタフよ。総大将である私が逃げれば、帝国の威信は地に墜ちる。それに、私が囮にならねば、十万近い大軍を失った我が軍の誰も本国へは帰還できまい」
ジークスは腰から、王家の至宝とも呼べる美しい魔導剣を抜き放ち、有能な若き将軍を見据えた。
「お前は生き延びろ、グスタフ。そして皇帝陛下に伝えよ。モルトケの『未知の兵器』は、これまでの戦術をすべて過去の遺物にする悪魔の力だとな。……あの兵器に対する防護策を編み出さぬ限り、帝国に未来はない」
「……っ! 閣下……!!」
グスタフは血が滲むほど唇を噛み締め、深く、ただ一度だけ敬礼をした。
(許してください、閣下……! この命、必ずや帝国の逆襲のために使ってみせます!)
彼は悲鳴を上げそうになる己の心を殺し、踵を返すと、自らの直属の精鋭部隊のみを率いて、王都の暗闇へと姿を消していった。
その直後である。
玉座の間の巨大な樫の扉が吹き飛び、ハインリヒ率いるモルトケの精鋭部隊数十名が雪崩れ込んできた。
「そこまでだ、帝国の総司令官殿」
無数の自動小銃の黒い銃口が、一斉にジークスへ向けられる。
だが、ジークスは一切の命乞いをせず、帝国軍人の誇りを胸に、堂々と魔導剣を構えてハインリヒを見据えた。
「見事だ、辺境伯。まさか我々が、手も足も出ずに蹂躙されるとはな。……我々の十万の軍勢は、貴様らの未知の兵器の前に敗れ去った。それは認めよう」
ジークスの眼には、死を前にした恐怖など微塵もなかった。
「だが、帝国の総大将として、ただ背を向けて撃たれるわけにはいかん。……辺境の狂犬よ。貴様がただ兵器の力に頼るだけの男でなければ、帝国の将として、私と一対一で剣を交える名誉を与えてはもらえないか?」
その言葉に、ハインリヒは獰猛な笑みを浮かべた。
彼は銃を構えた部下たちに向かって、鋭い声で命を下す。
「貴様ら、銃を下ろせ! 二名だけ扉の警護に残し、残る全員は直ちに東塔と王城の宝物庫の制圧に向かえ! 逃げ遅れた帝国兵を一人残らず掃討しろ!」
「は、しかし総大将! 敵の総司令官を前に……!」
「この男の首は、俺が直々に叩き斬る! さっさと行け!」
ハインリヒの怒号に、部下たちは一斉に踵を返し、玉座の間から散っていった。
二人の見届け人だけを残し、静まり返った大広間。ハインリヒは背中に負っていたライフルを床に放り捨て、腰から分厚く武骨な『軍刀』を抜き放った。
それは騎士の持つ優雅な剣ではない。魔獣の硬い骨や肉を断ち切るためだけに鍛え上げられた、純粋な『殺戮の鉄塊』であった。
「火薬の匂いに紛れて忘れたか? モルトケがなぜ、魔獣ひしめく辺境の地で生き残ってこれたのかを」
ハインリヒから立ち昇る、圧倒的なまでの『修羅の覇気』。
それは近代兵器の力などではない。数え切れないほどの死線を潜り抜けてきた、純粋にして究極の戦士としての威圧感であった。
「……感謝する、辺境伯。行くぞッ!!」
ジークスが咆哮とともに地を蹴る。
刀身に莫大な魔力を纏った一撃が、必殺の鋭さでハインリヒの首筋へと迫る。空気を焼き焦がすほどの熱を帯びた、長年帝国軍を率いてきた男の渾身の剣技。
ガァァァァンッ!!
しかし、ハインリヒは一歩も退かない。分厚い軍刀でその一撃を真っ向から受け止めると、ジークスの魔力ごと強引に弾き返した。
激突の衝撃波が玉座の間のステンドグラスを粉々に砕き散らし、火花が視界を白く染め上げる。
「ぐっ……おおおおおッ!!」
激しい鍔迫り合い。ジークスは魔力を放出して押し込もうとするが、ハインリヒの丸太のような腕から伝わる膂力は、人間のそれを遥かに超越していた。
(ば、馬鹿な……! これほどの魔力の一撃を、純粋な『腕力』だけで抑え込んでいるというのか!?)
驚愕するジークスの隙を、歴戦の狂犬が見逃すはずもなかった。
ハインリヒは地を蹴り、獣のような速度で軍刀を振り抜いた。分厚い鋼刃が、ジークスの魔導剣を根元から無残に叩き折る。
そして、そのままの勢いで踏み込み、武骨な刃を帝国総司令官の胸板へと深々と突き立てた。
一切の小細工もない、純粋な『個の力』による決着。
「……見事だ。兵器だけではなく、貴様自身の牙も……本物であったか……」
口から大量の血を零し、自身の胸を貫く軍刀を見下ろしながら、ジークスはどこか満足げに笑った。
「安らかに眠れ、帝国の将よ」
ハインリヒが刃を引き抜くと、帝国軍総司令官ジークス大将は、武人としての誇りを守り抜いたまま、玉座の前に静かに崩れ落ちた。
***
「ジークス大将を討ち取ったぞ! 残存する帝国兵はすでに烏合の衆だ! 一人残らず掃討しろ!」
ハインリヒの野太い咆哮が、通信用の魔導具を通じて王都全域に響き渡る。
総大将の死の報せは、帝国兵たちの心を完全にへし折った。完全に恐慌状態に陥った彼らは、剣や槍を放り捨て、我先にと王都の城門から外へと逃げ出そうとした。
しかし、ガンツ率いるモルトケ軍は、敗走する彼らに一切の容赦をしなかった。
「逃がすな! てめェら、あの豚どもが俺たちの領地をどう踏み荒らしたか忘れてねェだろうな!!」
「「「応ッ!!」」」
「装甲馬車で街道を封鎖しろ! 逃げる背中に十字砲火を浴びせて、一人残らず肉塊に変えてやれェッ!!」
ガンツの号令とともに、城門の外に配置されていた無数の機関銃が一斉に火を噴いた。
凄まじい銃弾の雨が、逃げ惑う帝国兵の背中を次々と抉っていく。ただ一人、兵を捨てて地下水路から脱出を図ったグスタフ将軍の精鋭部隊を除き、王都に駐留していた八万の帝国軍は、この夜、事実上の『完全壊滅』という凄惨な結末を迎えたのである。
***
夜が明け始めた頃。
制圧が完了した王城の、冷たく湿った石造りの牢獄。
「頼む、見逃してくれ! 私の領地の半分、いや、すべてをモルトケに譲ろう! だからこんな薄汚い牢獄から出してくれ!!」
「は、離せ! 私は侯爵だぞ! 少し帝国に協力しただけで、このような扱いを受ける筋合いは……!」
「うるせェな。てめェらが国王陛下を押し込んでいた場所だ。寝心地を確かめてみやがれ」
マクシミリアンが、豪華な衣装を剥ぎ取られ、下着姿にされた裏切り者の貴族たちを、次々と鉄格子の奥へと蹴り飛ばしていく。
昨晩まで帝国将校に媚へつらい、美酒を飲んでいた彼らは、今や薄汚れた藁の上に転がり、泥に塗れながら泣き喚いていた。
「俺に領地を譲るだと? 馬鹿かお前ら。てめェらが国を売った時点で、その領地も財産も、すでにすべて国に没収されてんだよ」
マクシミリアンは冷酷に言い放ち、鉄格子の鍵を乱暴に閉めた。
彼らに対する『正式な裁き』は、王都の機能が回復した後に、白日の下で行われることとなる。
***
一方、王城の最も安全で清潔な一室。
そこでは、アンジェリカ率いる衛生兵のチームが、救出された国王の治療に当たっていた。
「……酷い栄養失調と、極度のストレスです。おまけに、長期間陽の光に当たらなかったことで衰弱しきっています。ですが、幸いにも致命的な外傷や毒の兆候はありません。点滴と流動食で療養を続ければ、必ず回復なさいます」
「そうか……。よくやってくれた、アンジェリカ」
点滴を受け、ベッドで静かな寝息を立てる国王を見て、ハインリヒは深く安堵の息を吐き出した。そして、窓から見える王都の景色――黒煙を上げながらも、ようやく訪れた静寂の朝焼けを見つめた。




