第32話 玉座への伝令と共に背負う十字架
エルデラント王国の王都。
帝国軍の本陣に、重苦しい足音が響いた。
「――申し上げます。旧モルトケ領へ向かった殲滅部隊・四万。一万の損害を出し、現在、王都へ向けて一時撤退中との報せです。加えて、部隊の食糧は敵の別働隊によってすべて焼き払われたとのこと」
伝令の言葉に、王城を接収していた帝国の将校たちがざわめく。
だが、玉座の傍らに立つ初老の男――帝国軍・総司令官ジークス大将は、ただ静かに目を伏せた。
「……グスタフ将軍が、無駄な玉砕を避けて兵を退いたか。有能な男だ。それで、敗因は?」
「はっ! モルトケの残党が、見たこともない『黒い筒』の一斉射撃と、爆発魔法を込めた未知の兵器を使用したとのことです。大砲を無効化する散兵陣形すらも、徹底した防衛陣地と物量によってすり潰されたと……」
伝令から手渡された、泥と血に塗れたグスタフの報告書。
そこには、帝国軍の歩兵を紙屑のように引き裂く近代兵器の恐ろしさと、大軍の突撃を無力化する『縦深防御』という異常な戦術が、事細かに記されていた。
「……なるほど。魔法を持たぬ農民ですら、引き金を引くだけで我が軍の精鋭騎士を殺せる『筒』か。それが一万も揃えられ、穴の中から撃ち下ろしてくるとなれば、確かに大軍の突撃などただの自殺行為に等しい」
ジークス大将は報告書を卓上に置き、鋭い眼光で集まった将校たちを見渡した。
「王都に駐留する残りの六万を差し向ければ、力業でモルトケを抜けるかもしれん。だが、それでは我が軍の被害が大きすぎる。……直ちに、帝国本国の皇帝陛下へ早馬と魔導通信を放て」
「ジークス閣下! いかように具申なさいますか!」
「モルトケの未知の兵器は、帝国の軍事常識を覆す『国家の脅威』である。よって本陣は、被害を抑えるためモルトケへの再攻撃を一時凍結する旨を伝えよ。同時に、あの兵器に対する明確な『対策部隊』の派遣を要請しろ」
ジークスは言葉を区切り、重々しい声で最大の懸念を口にした。
「……問題は、兵站だ。我々本陣の六万はどうにか食い繋いでいる。だがそこに、飯をすべて失ったグスタフの三万が合流するのだ。……この王都の備蓄だけで、十万近い軍をいつまで維持できる?」
将校たちが青ざめ、一斉に押し黙る。
大軍を維持するためには、何よりも『飯』が必要だ。
「本国からの物資の追加も、急ぎ要請せよ。……皇帝陛下からの返答と、補給物資が届くまで、全軍は王都の防衛を固めて待機だ。飢えに耐え、時を待て。モルトケのネズミども……」
***
帝国軍が王都への撤退を完了させ、本国へ伝令を走らせていた頃。
激戦を生き抜いた旧モルトケ領の、海岸線の司令部天幕。
血と泥にまみれた防衛戦から一夜が明け、前線から戻ってきたアンジェリカと専属護衛騎士たちが、総大将ハインリヒの前に立っていた。
彼女のバインダーには、びっしりと確認のチェックマークが記されている。
「お父様。第一陣地に放棄した機関銃の予備銃身、および破損したライフルも含め、配備したすべての武器の『個数確認』が完了しました。帝国軍の手に渡ったものは、一つもありません」
「……よくやってくれた。あの地獄の直後で、そこまで頭が回るとはな」
ハインリヒは、疲労で蒼白になった娘の顔を見て、深く息を吐き出した。
その徹底した危機管理能力のおかげで、帝国軍に銃の構造を解析される最悪の事態は免れた。
「だが、無理をしすぎだ。野戦病院での過酷な治療から、武器の検分まで……少しは休め」
「いえ……私は……」
自分の作った兵器が、昨日だけで何千もの人間の命を奪い、肉塊に変えた。
その重圧と罪悪感に俯きかけた娘に対し、ハインリヒは静かに、だが力強い親の声で告げた。
「お前が『大量の命を奪う兵器』をこの世に生み出してしまった業と、その責任を感じて苦しんでいることはわかっている。……だが、それを一人で背負う必要はない」
「お父様……」
「そうだぜ、アンジェリカ」
マクシミリアンが、泥に塗れた大きな手で優しく妹の肩を叩く。
「お前は、家族と領民が生き残るための『選択肢』を作ってくれただけだ。それを使って大量の帝国兵を殺すと決め、実際に引き金を引いたのは俺たちだ。……この血塗られた業は、モルトケ家全員で背負う十字架だ。お前一人を罪人になんてさせるかよ」
「兄様……」
お前は一人ではない。共に地獄を歩む家族がいる。父と兄の不器用で温かい言葉に、アンジェリカの瞳から、これまでずっと張り詰めていた涙がひとすじ零れ落ちた。
「……ありがとうございます」
「我々は共に業を背負い、泥の中を歩む。……だが、生き残るためには立ち止まれん」
ハインリヒは娘の肩を叩き、決意を新たに卓上の地図――旧モルトケ領の全体図を広げた。
「アランの報告によれば、王都から帝国本国へ向けて何頭もの早馬が走っていったそうだ。帝国軍は巨大すぎるがゆえに、未知の兵器への対応と、十万の大軍を養うための『兵站の追加』を、必ず本国の『皇帝』に仰がねばならん。連絡と準備の往復で、奴らはしばらく動けなくなる」
ハインリヒは、モルトケの幹部たちを見渡して獰猛に笑った。
「戦いの女神は、我々に『時間』を与えてくれた。……すぐに監獄島にいるガレンたち一万五千の領民を、この本土へと呼び戻す」
弾薬はすでに底を尽きかけている。島からの船での輸送では、次の十万規模の防衛戦には絶対に間に合わない。
「島から溶鉱炉や工作機械をすべて本土へ移転させ、旧領地の街そのものを、弾薬と大砲を24時間体制で作り続ける『巨大な軍事工場』へと再建する。機関銃と榴弾砲の数を現在の三倍に増やし、王都へと続く街道にコンクリートの特火点を建造しろ。モルトケ領全土を『鉄の要塞』へと変貌させるのだ!」
「はっ!」
ガンツやアランたちが力強く敬礼する。
「そして我々の本当の目的は、帝国の撃退だけではない」
ハインリヒの野太い声が、司令部天幕に響き渡る。
「第一段階は終わった。だが、エルデラント王国の王都を奪還し、国王が生きているのかを確認せねばならん。そして……我々を売り渡し、帝国を招き入れた『裏切り者』たる王太子や側近どもの首を撥ねさせねば、この国は救われない」
帝国本国からの通信のタイムラグ。
その数週間という絶対的な空白期間を利用し、モルトケ陣営は領民三万を総動員した、国家規模の『要塞化計画』へと着手する。
そしてその先には、彼らを裏切ったエルデラントの『王家』との、血で血を洗う決着が待ち受けているのだった。
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