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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢、生存第一に剣から銃に持ち替える~  作者: 薄氷薄明
第3章

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第29話 偽りの陥落と魔導の業火




 第一陣地は、文字通りの地獄と化していた。


「水だ! 機関銃の冷却水を持てェッ! 銃身(バレル)が焼き切れるぞ!!」


 ガンツの悲痛な怒号が、鼓膜を破るような銃声と爆音にかき消される。


 開戦からわずか数時間。だが、散開して押し寄せる一万の帝国兵を、一発ずつ精密射撃で仕留め続ける代償は、モルトケ精鋭部隊の物理的限界を急速に削り取っていた。


 水冷式機関銃の筒からは、沸騰した水が凄まじい蒸気となって噴き出している。予備の冷却水はとうに尽き、兵士たちは自分の尿まで筒にかけて銃身を冷やそうとしていたが、それでも鋼鉄の銃身は赤熱し、目に見えて歪み始めていた。


「ガンツ殿! 右翼の第三銃座、銃身が熱で暴発しました! 射手二名が重傷!」


「予備のライフル弾も残りわずかです! ハンス隊長の輸送が追いつきません!」


 アランが血走った目で報告を叫ぶ。


 塹壕の底は、空になった真鍮の薬莢(やっきょう)が絨毯のように敷き詰められ、踏みしめるたびにジャラジャラと甲高い音を立てていた。兵士たちの肩は反動で黒く腫れ上がり、指は引き金を引く形に引きつっている。


「……クソッ、なんて数だ。いくら殺しても湧いてきやがる!」


 ガンツが軍刀を土嚢(どのう)に突き立て、ギリッと歯ぎしりをした。


 鉄条網の前には、数千の帝国兵の死体が泥に沈み、文字通り「肉の山」を築き上げている。しかし、帝国軍の歩みは止まらない。彼らは味方の死体を飛び石のように踏み台にして、塹壕までの距離を五十ヤード、三十ヤードと、じりじりと詰めてきていた。



***


「……火力が落ちたな。筒が熱で歪み、弾が尽きかけている証拠だ」


 後方の丘の上。戦局を俯瞰(ふかん)していた帝国軍総指揮官グスタフ将軍は、冷徹な目で戦場を見下ろしていた。


「将軍! 第一波の一万、すでに四千以上の損害が出ております! これ以上の突撃は──」


「構わん。行かせろ」


 副将の悲鳴のような報告を、グスタフは冷酷に切り捨てた。


「四千の命をすり潰して、未知の兵器の『限界』を引きずり出したのだ。安いものだろう。……見ろ、散開していた兵たちが、敵の陣地へ雪崩を打って集結し始めている。奴らの射撃がまばらになったからだ」


 グスタフの言う通り、弾幕が薄くなったことで、これまで横に広く散らばっていた帝国兵たちが「今なら突破できる」と本能的に密集し、第一陣地の塹壕へと殺到し始めていた。


「全軍、突撃の角笛(ホルン)を鳴らせ。……第一陣地を抜刀突撃で蹂躙し、モルトケのネズミどもを穴の中で串刺しにしてやれ」


 プォォォォォォォォッ!!


 帝国軍の陣列から、勝利を確信した高らかな角笛の音が響き渡る。


 それを合図に、生き残った六千の帝国兵たちが狂喜の声を上げ、大盾を投げ捨てて剣を振りかざし、最後の数十ヤードを駆け抜けた。


「もらったァァァッ!!」


「死ねェッ、モルトケの残党どもォォッ!!」



***



 殺気立った黒い鎧の群れが、怒涛の勢いで第一陣地へと迫る。


 だが。


「……よし。敵が散兵陣形を崩し、『密集』したな」


 後方高台の司令部天幕。


 双眼鏡から目を離した総大将ハインリヒは、獰猛な笑みを浮かべ、傍らの通信兵に短く命じた。


「上げろ」


 ヒュルルルルルッ……パァァァァンッ!!


 曇天の空に、真っ赤な信号弾が弾けた。


 『計画的撤退』の合図である。


 それを見た第一塹壕のガンツは、限界まで引き付けていた息を吐き出し、腹の底から咆哮した。


「総員、撃ち方止めェッ!! 機関銃の銃身を外せ! 弾薬箱を持て! ……第二陣地へ、走れェェェッ!!」


 その声と同時に、精鋭九千八百が、見事なまでの統制で一斉に背を向けた。


 彼らは分厚い革手袋で赤熱した機関銃の銃身を引き抜き、空になった弾薬箱を抱え、後方の第二陣地へと続く『交通壕(こうつうごう)』へと、脱兎(だっと)の如く駆け込んでいく。



 直後。


 「うおおおおッ!!」という雄叫びと共に、帝国兵たちが第一塹壕の(へり)を飛び越え、泥の中へと雪崩れ込んできた。


「陥落させたぞォッ!!」


「第一陣地は我々のものだァ――」


 勝利の歓喜。


 しかし、塹壕に飛び降りた帝国兵たちの声は、奇妙な静寂にかき消された。


「……な、なんだ?」


「誰も、いない……? 死体もないぞ!?」


 彼らが命と引き換えに奪い取った塹壕には、空の薬莢(やっきょう)の山が残されているだけで、モルトケ兵の姿は一人としてなかった。


 帝国兵たちが戸惑い、塹壕の縁から顔を上げて前方──後方のモルトケ領内──を見据えた、その時だ。


「……ようこそ、モルトケの領地()へ。帝国のお馬鹿さんたち」




 第一陣地から数百ヤード後方。


 少し高い位置に構築された『第二陣地』の土嚢から、赤銅色の髪の男──マクシミリアンが、ニヤリと野性的な笑みを浮かべて身を乗り出していた。


 彼の傍らには、分厚い布を取り払われた『巨大な兵器』が鈍い光を放っている。


 魔力を増幅させる『ミスリルタートルの甲羅』を削り出して作られた巨大な筒。その後部に、アンジェリカの開発した火薬式薬室(ブリーチ)を取り付けた、規格外のハイブリッド砲。


「さあ、お前ら! 魔力注入(チャージ)はいいな!」


「はっ! 限界まで込めました! 筒が保つか分かりませんが!」


 専属護衛のロベルトたち若手騎士が、砲身に手を当て、汗だくになりながら膨大な魔力を注ぎ込んでいる。


 マクシミリアンは、第一陣地に『密集』して群がっている六千の帝国兵たちへと砲口を向けた。散兵陣形を崩し、勝利を確信して一つの塹壕に固まった彼らは、今やただの『巨大な的』でしかなかった。


「妹の火薬と、俺たちの魔法の合わせ技だ。……まとめて、消し飛べェッ!!」


 マクシミリアンが、点火用の撃鉄(ハンマー)を思い切り叩き落とした。


 ズドゴォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!


 それは、大砲というよりも、火山の噴火に近い光景だった。


 膨大な火薬の爆発力によって撃ち出された特殊砲弾が、第一陣地の上空で炸裂する。増幅された魔力が解放され、物理的な爆風と共に、すべてを焼き尽くす『青白い魔法の業火』が、空から雨のように降り注いだのだ。


「な、なんだこれはァァッ!?」


「魔法だ! 報告にない広範囲魔法兵器だぞォォッ!!」


 第一陣地に密集していた帝国兵たちは、塹壕という逃げ場のない穴に固まっていたがゆえに、頭上から降り注ぐ魔導の業火をまともに浴びた。


 「報告にない規格外の攻撃」に、帝国軍の士気は一瞬にして崩壊する。


「……今だ。野郎ども、構えろ」


 業火の目くらましと、帝国軍のパニック。


 その絶好の隙を突き、交通壕を通って第二陣地へと後退を完了させたガンツたち精鋭が、新しい銃身を取り付け、一斉に銃口を突き出した。


 そして。


「お前たちならやれる!! 家族を守れ! 撃ちてし止まむッ!!」


 マクシミリアンの怒号に呼応し、第二陣地で震えながら待機していた五千の『義勇兵(ぎゆうへい)』たちが、悲鳴のような雄叫びを上げて一斉にライフルの引き金を引いた。



 ダァァァァァァァァァァァァンッ!!!!


 合流した精鋭九千八百。そして無傷の義勇兵五千。


 合わせて一万四千を超える銃口からの、文字通りの『十字砲火(キル・ゾーン)』。


 第一陣地を奪って勝ったと錯覚し、密集して息を切らしていた帝国兵たちは、魔法の業火と、倍に膨れ上がった無数の鉛玉の暴風に飲み込まれ、今度こそ完全にすり潰されていった。


 これが、モルトケが広大な大地に仕掛けた巨大な圧殺機――近代防衛戦術『縦深防御』の、恐るべき牙であった。




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