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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢は、王都の混乱を他所に一族と領民の生存戦略を画策する~  作者: 薄氷薄明
【第1章】

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第2話 生存のための事業計画書




 執務室の隣にある仮眠室。


 その天蓋付きベッドの上で、アンジェリカは苦悶くもんの声を漏らしていた。


「……っ、うぅ……」


「我慢なさい、アンジェリカ。皮がめくれて酷いことになっているわ。消毒しないと化膿しますよ」


 母ソフィアと、呼び出された老年の女性侍医が、アンジェリカの内股に薬を塗っている。


 三日半の不眠不休の強行軍。ドレスの布地は擦り切れ、柔らかな肌は無惨にただれ、血とうみが固着していた。


 見るも無惨なその傷跡は、彼女がどれほどの覚悟でこの距離を駆け抜けてきたかを物語っていた。

 もちろん、このような場所を男性に見せるわけにはいかない。


 父ハインリヒ、兄マクシミリアン、そして従騎士ロベルトは、分厚いカーテンで仕切られた部屋の向こう側で、焦燥しきった様子で待機していた。


「すまない、アンジェリカ……。俺たちがもっと早く王都の異変に気づいていれば、お前にこんな真似はさせなかった」


 カーテン越しに、兄の悔しげな声が聞こえる。


 アンジェリカは痛みに脂汗を流しながらも、気丈に答えた。


「謝罪は不要です、お兄様。……必要経費コストでした。それに、泣き言を言っている時間はありません」


 処置が終わり、新しい包帯が巻かれると、アンジェリカは侍医の制止を振り切って体を起こした。


 侍女に用意させた新しい室内着をまとい、身なりを整えてから、カーテンを開ける。


「……お待たせいたしました」


 よろめきながら執務机の前に立ち、広げられた地図にインク壺を置く。


 その瞳に宿る冷徹な光に、ハインリヒたちは居住まいを正した。


「会議を……始めましょう。モルトケ辺境伯領が生き残るための、具体的な『事業計画』の説明です」

「うむ。……現状の戦力分析から頼む」


「王家は我々を切り捨てました。公式な支援は一切期待できません。お父様、現在、即座に動かせる我が軍の戦力は?」


「……本領に残っている正規騎士団と常備兵を合わせて、およそ一万五千だ」


 ハインリヒが即答する。


 モルトケ辺境伯軍の総兵力は約三万。だが、平時は領内の治安維持や、街道警備のために各地へ小隊規模で散らばっている。


 それら残りの一万五千をかき集めるには、どうしても数週間の時間がかかる。


「一万五千。……防衛戦には最低限の数字ですが、相手が悪すぎます」


 アンジェリカは地図上の国境線をペンで叩いた。


「前回の演習規模から推測するに、帝国の先遣隊だけで三万。……そして本隊が動けば、軽く十万を超えてきます」


 一万五千 対 十万以上。


 およそ七倍から十倍の兵力差。


 戦いは数だ。いくらモルトケ軍が精強でも、この差は個人の武勇で埋められるものではない。


「籠城戦で時間を稼ぎ、散らばっている味方の合流と、他国の介入を待つか……?」


「いいえ、お父様。籠城はジリ貧です。敵に包囲されれば、補給を断たれて終わります。それに、他国が動く保証はありません。……我々に必要なのは、単独で帝国軍の本隊を『採算割れ』に追い込むだけの、圧倒的な攻撃力《火力》です」


 アンジェリカは地図上の「北の森」――魔獣が巣食う危険地帯を指し示した。


「我が領地は、長年この魔獣の被害に悩まされてきました。……ですが、視点を変えれば、ここは宝の山です」


「宝、だと?」


「はい。……お兄様、以前見せてくださった『ミスリルタートル』の甲羅。あれは魔法抵抗力が極めて高く、同時に魔力を増幅させる性質がありましたよね?」


 話を振られたマクシミリアンが、ハッとして頷く。


「あ、ああ。だが、あんな硬いもの、加工できる職人がいないぞ。剣にするには重すぎるし」


「剣にする必要はありません。……あれを砕いて精製し、筒状に加工すれば、魔力を圧縮して撃ち出す『魔導砲キャノン』の砲身になります」


 アンジェリカは、手帳に描かれた設計図を提示した。


 それは、既存の騎士の常識を覆す、異形の兵器のスケッチだった。


「剣と魔法だけでは、この圧倒的な兵力差は覆せません。……我々に必要なのは、農民でも引き金を引けば敵を倒せる『魔導銃』と、城壁ごと敵を吹き飛ばす『魔導砲』による火力支援です。……数で劣る我々が勝つには、テクノロジーで圧倒するしかありません」


 彼女の計画は、徹底していた。


 危険な害獣であるワイバーンの皮を「軽量防弾ベスト」に。


 毒を持つ大サソリの尾を「生物化学兵器」に。


 領内の厄介事を全て「軍事資源」へと転換し、産業化する。


「工場を作り、領民を雇用し、兵器を量産します。……金貨はありますか、お母様」


 水を向けられたソフィアが、扇子で口元を隠して優雅に微笑んだ。


「ええ、もちろん。……私の『へそくり』と、実家の伝手つてを使えば、当面の開発費くらいはどうにでもなるわ。それに、隣国の商人も『王都より辺境の方が安全』と囁けば、喜んで投資してくれるでしょうし」


「感謝します。……お父様、お兄様。貴方たちには、現場の指揮をお願いしたいのです」


 アンジェリカは、二人の武人に真っ直ぐな視線を向けた。


「お父様は、既存の一万五千の軍を再編し、新兵器を扱うための『魔導大隊』を組織してください。プライドの高い騎士たちを説得できるのは、お父様しかいません」


「……ふん。泥臭い仕事だが、娘にここまでお膳立てされて、引くわけにはいかんな」


「お兄様は……テストパイロット兼、素材調達班の隊長です。各地に散らばる部隊への召集命令を出しつつ、一番危険な狩りをお願いします」


「ハッ! 望むところだ! その魔導砲とやら、俺が一番にぶっ放してやる!」


 マクシミリアンが嬉々として腕を鳴らす。


 悲壮感はない。


 そこにあるのは、未曾有の危機に立ち向かう、狩人たちの獰猛な闘志だった。


「決まりですね。……では、直ちに行動を開始します。開戦まで、おそらく一ヶ月もありません」


 アンジェリカは、激痛の走る足で床を踏みしめた。


「モルトケ辺境伯領は、本日より『魔導軍事産業都市』へと生まれ変わります。……帝国にも、王家にも、我々を見くびったことを後悔させて差し上げましょう」


 その凛とした立ち姿は、白く美しい花弁の中に、決して折れない鋼の芯を秘めた一輪の薔薇のようだった。


 後に、大陸全土にその名を轟かせ、数多の敵軍を退けることになる伝説の女性指揮官――『不落の白薔薇(ふらくのしろばら)』。


 その伝説が、今ここから始まろうとしていた。



 

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