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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢は、王都の混乱を他所に一族と領民の生存戦略を画策する~  作者: 薄氷薄明
【第3章】

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第5話 猛将の撤退と命の選別




 前後からの完璧な十字砲火(クロス・ファイア)


 数千の銃口から吐き出される鉛の暴風雨の中で、帝国軍一万は完全に陣形を崩し、ただ無為に死体を積み上げるだけの巨大な的へと成り果てていた。


「……退路を絶たれた、だと?」


 最前線で血まみれの剣を振るっていたバルガス将軍は、伝令の絶叫を聞き、顔面を蒼白にさせた。


 振り返れば、絶対の安全圏であったはずの後方の丘陵地帯から、見たこともない速度と密度で「火の雨」が降り注いでいる。無敵を誇った帝国兵たちが、見えない恐怖に怯えて悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。


 バルガスは歯を食い縛り、口の中に血の鉄の味が広がるのを感じた。


 ――完敗だ。


 戦術、火力、そして情報。そのすべてにおいて、モルトケ軍は帝国軍を完全に凌駕していた。あの奇妙な鉄の筒は、魔法使いがいなくとも、農民の子供であっても、帝国の誇る重装騎士を百歩先から一方的に殺せる「悪魔の道具」だ。


(このままでは、一万全軍がここで犬死にする……!)


 それは、将軍としての面子や誇りなどという次元の話ではない。


 もし自分が意地を張ってここで討ち死にすれば、この「未知の兵器」の脅威を、後方に控える十万の本隊(ほんたい)に伝える者がいなくなる。十万の兵が、何の対策も立てられずに同じ罠に突っ込めば、帝国軍そのものが崩壊しかねない。


「……騎兵隊、俺に続けッ!」


 バルガスは、血路を開く決断を下した。


 それは、最前線でモルトケ軍の塹壕(ざんごう)に取り付いている数千の歩兵を『囮』として見捨て、機動力のある精鋭騎兵の半数だけで、後方の包囲網の「最も薄い箇所」を強行突破するという、血を吐くような撤退命令だった。


「見捨てろと言うのですか!? 彼らは今も戦って――」


「黙れ! 俺が生き延びて、この『悪夢』を本国に伝えねばならんのだ!」


 バルガスは怒りと屈辱に唇を噛み破りながら馬首を返した。


 生き残った千ほどの騎兵が、背後の丘(アランの部隊)の一点に向けて、決死の吶喊(とっかん)を開始する。モルトケの弾幕が彼らを次々と射抜くが、騎兵たちは自らの肉体を盾にして、将軍が逃げるための道を強引に切り拓いていく。



***



「……敵将が動いた! 後退していくぞ!」


 第一塹壕で泥にまみれていたモルトケの騎士団長ガンツは、硝煙の向こうで反転するバルガスの旗を見逃さなかった。


 敵は崩壊した。このまま包囲を縮めれば全滅させられる。だが、あの旗印だけは、何としてもここでへし折らねばならない。あの男を逃がせば、十万の帝国本隊に対する「初見の優位性」が失われる。


「追撃する! バルガスを逃がすなァッ!」


 ガンツは塹壕から跳び出し、数十名の部下を引き連れて血の泥濘を駆け出した。


 逃げる騎兵の足跡を追い、死体の山を越え、旧街道へ続く森の入り口へと差し掛かったその時。


「――そこまでだ、モルトケの残党」


 森の木陰から、巨漢の帝国騎士が馬を捨てて立ち塞がった。


 身の丈ほどもある巨大な戦斧(バトルアックス)を構え、全身を分厚い重装甲(フルプレート)で覆ったその男は、バルガスの右腕として知られる副将、レオンである。


 彼は主君を逃がすための『殿(しんがり)』として、たった数十名の決死隊と共にこの狭い獣道に留まったのだ。


「そこを退けッ!」


 ガンツは走りながら歩調を合わせ、ライフルの引き金を引いた。


 乾いた破裂音と共に放たれた銃弾は、過たずレオンの胸元へ直撃する。


 だが、レオンは倒れなかった。彼が咄嗟に盾代わりに掲げた戦斧の極厚の鋼刃が、ひしゃげながらも銃弾を弾き飛ばしたのだ。


「魔法の筒に頼り切った軟弱者どもがァァッ!」


 弾きの衝撃に構うことなく、レオンは血走った目で咆哮し、重戦車のような勢いでガンツへと突進してきた。


 凄まじい風切り音と共に、丸太をも両断する戦斧が横薙ぎに振るわれる。


 次弾を装填する隙などない。ガンツは咄嗟に、手にしたライフルの銃身でその凶刃を受け止めた。

 ガァァァンッ!!


 火花が散り、強烈な衝撃がガンツの両腕を痺れさせる。


 高炭素鋼で打たれた銃身は一撃には耐えたが、強引な力に銃床(ストック)の木部がメキメキと音を立てて砕け散り、銃身そのものが「く」の字に大きくひしゃげた。


 もはや、銃としても槍(銃剣)としても使い物にならない。


「……チッ」


 ガンツは舌打ちと共に、ひしゃげたライフルを泥の中へ投げ捨てた。


 そして、腰の鞘から、長く使い込まれた長剣(ロングソード)を静かに抜き放つ。


「飛び道具がなければ何もできんのだろう!? 這いつくばって命乞いをしろ!」


「勘違いするなよ、帝国の犬。……俺はモルトケの騎士団長だ」


 ガンツの目が、獲物を狙う鷹のように細められる。


 新兵器の扱いに長けているだけではない。彼もまた、幼い頃から血の滲むような剣の修行を積んできた、生粋の武人なのだ。


「オオォォォッ!!」


 レオンの戦斧が、唐竹割りに振り下ろされる。


 ガンツはそれを紙一重で(かわ)した。戦斧が泥を抉り、地面を深く叩き割る。


 武器が重すぎるのだ。大振りになったレオンの懐へ、ガンツは泥を蹴って深く踏み込んだ。


 ガキィィッ!


 長剣の下からの一撃が、レオンの鎧の隙間を狙う。だが、レオンも歴戦の将だ。即座に斧の柄でそれを受け止め、力任せにガンツを弾き飛ばす。


 泥まみれの森の中で、剣と斧が幾度も激突し、激しい火花と金属音を散らす。


 斬撃、弾き、鍔迫(つばぜ)り合い。


 互いの荒い息遣いと、汗と血の匂いが混ざり合う、原始的で凄惨な死闘。


「俺たちが……将軍を……!」


「退けと言っているッ!」


 ガンツは焦っていた。


 レオンの力量は高い。一撃でも貰えば致命傷になる戦斧を前に、迂闊な踏み込みはできない。だが、ここで剣を交えている一秒一秒が、バルガスを彼方へと逃がしている。


「ナメるな……ッ! 俺たちは、地獄の底から這い上がってきたんだよォッ!」


 ガンツは咆哮と共に、敢えて泥の深い水溜(みずたま)りへと自ら後退した。


 「足場を失った」と見たレオンが、勝機とばかりに戦斧を大上段に振りかぶって飛び込んでくる。

 ――そこだ。


 ガンツは泥に沈み込む寸前、左手で掴み取った泥水をレオンの兜の隙間へ向けて思い切り投げつけた。


「ぐあっ、目が……!」


 視界を奪われ、レオンの斧の軌道がほんの僅かにブレる。


 その刹那、ガンツは弾かれたように低く踏み込み、レオンの脇腹――鎧の継ぎ目である鎖帷子(チェーンメイル)の隙間へと、長剣を深々と突き入れた。


「ガ、ハッ……!」


「……終わりだ、忠義の騎士よ」


 肺を貫かれたレオンの口から、大量の血の泡が零れ落ちる。


 だが、彼は倒れる直前、血に塗れた顔でニヤリと笑った。


「……遅い、ぞ。我らが将軍は……すでに、見えぬ……」


 巨体が泥の中へ崩れ落ちる。


 ガンツは荒い息を整えながら、泥に沈みゆく敵将を見下ろした。


 主君を逃がすための、生還の望みなど一切ない絶対の死地。そこで一歩も引かずに立ちはだかったこの男がいなければ、間違いなくバルガスの首は取れていた。


「……見事な殿だった。帝国の犬と呼んだこと、取り消そう」


 ガンツは血濡れの長剣を鞘に収めると、片膝をつき、事切れたレオンの開いたままの目をそっと手で撫でて閉ざしてやった。


 敵とはいえ、自らの命を投げ打って主君を救った武人への、騎士としての素直な敬意だった。


 だが、感傷はそこまでだ。ガンツはゆっくりと立ち上がり、森の奥へと視線を向けた。


 レオンの言う通りだった。彼ら決死隊が命と引き換えに稼いだ『数分間』という猶予は、バルガス将軍が森の奥深くに姿を消すには十分すぎるものだった。


「……逃がした、か。高くつくぞ、この数分は」


 ガンツは奥歯を噛み鳴らし、血の混じった唾を吐き捨てた。


 指揮官を失った残りの帝国兵は、数時間の掃討戦(そうとうせん)の末、モルトケ軍の前に武器を捨てて降伏するか、死体となるかの末路を辿った。


 ここに、モルトケ領奪還の初戦は、モルトケ軍の圧倒的勝利で幕を閉じた。


 ……しかし、その勝利は、決して『無血』ではなかった。



***



「……しっかり押さえて! 止血帯を巻きます!」

「熱湯を持ってきて! ハサミとピンセットを消毒するのよ!」


 戦闘が終結した海岸の後方。


 巨大な白い天幕が張られた『第一野戦病院』は、勝利の歓喜とは無縁の、戦場そのものよりも遥かに凄惨な地獄絵図と化していた。


 前線の第一塹壕から、泥と血と臓物にまみれたモルトケの負傷兵が、次々と担架で運び込まれてくる。


 いくら新兵器が強力でも、「数」による死に物狂いの突撃を無傷で捌き切れるはずがなかった。白兵戦に持ち込まれた塹壕では、多くの兵士が帝国兵の剣や槍で深く切り裂かれ、重傷を負っていたのだ。


 アンジェリカは、腕まくりをした白衣姿で、血溜まりの中を休むことなく走り回っていた。


 彼女の指示で、運び込まれた兵士たちには次々と色のついた紐が手首に結び付けられていく。『命の選別(トリアージ)』だ。


「この人は赤! すぐに止血縫合を! ヘルマン先生に回して!」


「アンジェリカ様、こちらの兵は……っ」


 侍女が泣きそうな声で指差した先には、腹を深く(えぐ)られ、顔面を土気色にさせた若い兵士がいた。彼の手からは、真新しいライフルの弾薬が転げ落ちている。


 アンジェリカは一瞬だけ唇を噛み締め、その兵士の腕に『黒』の紐を結んだ。


「……黒です。鎮痛草の原液を、一番強い濃度で飲ませてあげて。……せめて、痛みなく安らかに眠れるように」


「ああっ……そんな……まだ息があるのに……っ」


 残酷だが、限られた医療資源と人員の中で、全員を救うことはできない。「助からない命」に時間を割けば、「助かるはずの命」までその手から零れ落ちてしまう。


 アンジェリカは感情を心の奥底に封じ込め、高濃度の酒精(アルコール)で自らの両手と器具を洗い流すと、次の負傷兵の元へ向かった。


 天幕の奥では、軍医長ヘルマンが、兵士の壊死(えし)しかけた腕を切断している。麻酔代わりの薬草が効ききらず、獣のような絶叫が響く。だが、アンジェリカが徹底させた『煮沸消毒』と『アルコール洗浄』のおかげで、不衛生な傷口から化膿して死ぬ者の数は、従来の戦争よりも劇的に減っていた。


(……これが、戦争の代償。私が引き起こした、技術革命の対価)


 アンジェリカは、血生臭い空気の中で深呼吸をした。


 新兵器の圧倒的な火力。華々しい戦術。


 しかし、その足元には、おびただしい血と、切り落とされた四肢と、黒い紐を巻かれた若者たちの命が横たわっている。


 敵将バルガスは逃げ延びた。あの男は必ずや、十万の本隊にこの「銃」という兵器の恐ろしさを伝え、「解答(カウンター)」を持って再び襲いかかってくるだろう。


 まだ、地獄の釜の蓋が開いたばかりなのだ。


 モルトケ軍は初戦を制した。しかし、真の奪還戦は、ここから泥沼の様相を呈していくことになる。




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