第21話 十字砲火と泥濘の白兵戦
距離、三千突。
早春の冷たい風が吹き抜ける荒野を、帝国軍・第四機甲師団の先鋒一万は、海岸線に陣取るモルトケ軍に対し、じりじりと進軍を続けていた。
最前列には、分厚い鉄板で覆われた『重装甲馬車』が巨大な城壁のように並び、車輪が軋む重い音を響かせている。その後ろには、攻城兵器である『帝国式魔導砲』が、数十人の魔導師たちに護衛されながら控えていた。
彼らの狙いは明確だった。距離一千突まで肉薄し、魔導砲の雨で敵陣を粉砕する。完全な安全圏からの、一方的な蹂躙――そのはずだった。
「……仰角よし。装薬確認。閉鎖機、閉じます」
モルトケ軍陣地の後方。
小高い丘に等間隔で並べられた二十門の『新型榴弾砲』。その砲尾で、砲兵たちが油と硝煙にまみれながら、機械的な動作を繰り返していた。
分厚い高炭素鋼で作られた砲身。絹の袋に詰められた大量の黒色火薬。そして、流線型の重い砲弾が次々と装填され、重厚な金属音と共に鋼鉄の蓋が閉ざされる。
魔法の詠唱など欠片もない。ただ、物理と化学の法則に従った、冷徹な殺戮の準備。
総大将ハインリヒは、双眼鏡から目を離し、冷酷に軍刀を振り下ろした。
「――撃ッ!!」
轟ォォォォォンッ!!
大気が震え、足元の地面が跳ね上がった。
二十の砲口から猛烈な炎と白煙が噴き出し、砲身が凄まじい反動で後退する。
撃ち出された砲弾が、音速を超えて空を裂く。ヒュルルルルッという、帝国兵が未だかつて聞いたことのない死神の笛の音が、戦場の空に響き渡った。
「な、なんだあの音は――魔法の光は見えないぞ!?」
『猛牛』の旗印の下、バルガス将軍が馬上から天を仰いだ、その瞬間。
帝国軍の最前列、誇り高き『重装甲馬車』の隊列に、見えない鉄槌が振り下ろされた。
着弾。そして、炸裂。
「ぎぃやぁぁぁッ!?」
「馬が、馬車が吹き飛んだぞォォッ!?」
ただの鉄の塊がぶつかったのではない。砲弾の内部に詰め込まれた『黒色火薬』が、時限信管によって着弾と同時に大爆発を起こしたのだ。
剣を通さないはずの帝国の厚い装甲が、紙細工のように引き裂かれ、ひしゃげる。木端微塵になった馬車の鉄片や木片が、それ自体が凶悪な散弾となって周囲の歩兵をミンチに変えていく。
「馬鹿なッ! 魔法陣の展開もなしに、これほどの威力を!?」
「距離が遠すぎます! 奴らの攻撃、我々の魔導砲の射程の遥か外から――ッ!」
報告を叫んだ伝令の頭上に、第二射の雨が降り注いだ。
今度は、自慢の『魔導砲陣地』が直撃を受けた。魔力を溜め始めていた砲身が飴細工のようにへし折れ、暴走した魔力が誘爆を起こし、青白い炎と爆風が帝国兵を飲み込んでいく。
「……おのれ、おのれモルトケェェッ!!」
バルガスは血走った目で吼えた。顔の右半分に、爆発で飛んできた破片による一筋の裂傷が走る。
このままここに留まれば、一矢報いることもできずに全滅する。敵は『魔法』ではなく、まったく別の原理で動く未知の『兵器』を使っている。歴戦の猛将の本能が、そう告げていた。
退くか。進むか。
バルガスの決断は、生粋の帝国軍人としてのそれだった。
「装甲は捨てろ! 的になるだけだ! 全騎兵、突撃ィィッ!! 罠だろうが構わん、奴らの陣地に雪崩れ込み、あの奇妙な筒を叩き壊せェェッ!!」
バルガスの号令と共に、千切れかけた『猛牛』の旗印が前へ傾いた。
装甲の残骸を乗り越え、三千の重装騎兵が地響きを立てて突進を開始する。
それは、未知の兵器に対する恐怖を、戦士としての狂気で塗り潰した、玉砕覚悟の大吶喊だった。
***
「……来ました。敵騎兵、殺傷地帯に侵入」
海岸線に掘られた第一塹壕。
泥と海水にまみれた騎士団長ガンツは、迫り来る三千の騎兵を冷徹に見据えていた。
ドドドドドッという蹄の音が、大気を震わせ、塹壕の土壁からバラバラと土塊を落とす。怒号を上げながら迫る、鋼の鎧を着込んだ巨馬の群れ。その「質量」がもたらす威圧感は、どれほど強力な武器を持っていようと、兵士の心臓を掴み潰すほどの根源的な恐怖だ。
ライフルを構える元農民の若い兵士の手が、カタカタと震えている。
「狼狽えるな! 引き付けろ! 命令があるまで絶対に引き金を引くな!」
ガンツが塹壕の中を歩き回り、兵士たちを怒鳴りつける。
距離、五百突。三百。二百五十。
敵の先頭が、陣地の数十メートル前に張り巡らされた『鉄条網』に激突した。
「な、なんだこの鉄の蔦は――ぐあッ!?」
罠に気づかず全速力で突っ込んだ軍馬の脚に、鋭利な鋼の棘が深く食い込む。
悲鳴を上げて前方のめりに転倒する馬。それに巻き込まれ、後続の騎兵が次々と落馬し、泥まみれの地面に折り重なっていく。鉄条網に絡まった兵士が、自身の鎧の重さと後続の蹄によって踏み潰される。
突撃の勢いが、泥沼に足を取られたように、完全に死んだ。
「――今だッ!! 全軍、撃ち方始めェェッ!!」
ガンツの号令が戦場を劈いた。
ダァァァァァァァァァァァンッ!!!
正面、そして両翼。
凹字型に配置された陣地から、数千丁の『後装式ライフル』が一斉に火を噴いた。
魔法の詠唱など不要。引き金を引く、手元の遊底を引いて空の薬莢を捨てる、新しい弾薬を押し込む、また引く。
ただその機械的な|反復が、致死の弾幕を形成する。
三方向からの完璧な十字砲火。
帝国騎兵の分厚い胸当てが、兜が、いとも容易く撃ち抜かれ、血飛沫が空を舞う。
連続する射撃で銃身は焼け焦げるように熱くなり、立ち込める硝煙が視界を白く染めるが、兵士たちは撃ち続けることをやめない。
「ひ、退けェ! 退けェェッ!」
「無理だ、後ろからも押されている! 退路がない!」
凄まじい殺戮の嵐。モルトケの兵士たちは、ただ標的を「処理」していくだけの優位な戦いだと錯覚しかけた。
だが、帝国軍も無能ではない。圧倒的な「数」の暴力が、生存本能という狂気と結びつき、ここで牙を剥いた。
「死体を盾にしろ! 馬の死骸を踏み越えろォォッ! 鉄の蔦を乗り越えろォォッ!」
顔を血に染めたバルガス将軍の絶叫に応え、後続の歩兵たちが、信じられない行動に出た。
撃ち殺された味方の馬や、動かなくなった仲間の兵士の死体を『土嚢』代わりに積み上げ、鉄条網の上に投げ捨てて、強引な道を作り始めたのだ。
「奴ら、正気か……!」
ガンツが戦慄する。
血の泥濘を這い進み、鉛の雨を掻き潜り、目を血走らせた狂気に満ちた帝国兵が、何百という死体を踏み台にして、ついにモルトケの第一塹壕へと肉薄する。
「敵、塹壕に取り付きます!!」
「撃ち方待てッ! 銃剣、着けェェッ!!」
ガンツが剣を抜き放ち、ライフル兵たちが一斉に銃口の下に鋭い短剣を装着した。小気味よい金属音が、塹壕の中に響く。
ここから先は、新兵器の射程や装填速度は関係ない。
泥と血と汗に塗れた、原始的な白兵戦だ。
「帝国の意地を見せろォォッ!」
「死守せよ! 我らの故郷を抜かせるなァァッ!」
塹壕の縁で、銃剣と長剣が激突する。
振り下ろされる剣を銃身で受け止め、そのまま腹部へ銃剣を突き刺す。火薬の硝煙と、内臓の生臭い臭い、そして兵士たちの悲鳴が入り混じる地獄の釜。
兵士の数が多すぎる。いくら突き殺しても、帝国兵は怒りに任せて無限に湧き出してくるように見えた。
「……耐えろ! 一歩も引くな! ここでバルガスを釘付けにしろ!」
ガンツは返り血を浴びながら、塹壕へ飛び込んできた敵の騎士の首を刎ね飛ばした。
息が上がり、腕が鈍る。今はただ、泥にまみれて耐えるしかない。
この『殺傷地帯』に敵の全兵力を縛り付け、その間に、密かに放った客将アラン率いる|別働隊が敵の『背後』を完全に塞ぐ、その時まで――。
モルトケ領奪還の第一歩は、技術の差を「血の量」と「狂気」で埋めようとする、凄惨な消耗戦へと雪崩れ込んでいった。




