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国境の盾は砕けない ~婚約破棄された辺境伯令嬢は、王都の混乱を他所に一族と領民の生存戦略を画策する~  作者: 薄氷薄明
【第3章】

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第21話 十字砲火と泥濘の白兵戦




 距離、三千(メートル)


 早春の冷たい風が吹き抜ける荒野を、帝国軍・第四機甲師団(きこうしだん)先鋒(せんぽう)一万は、海岸線に陣取るモルトケ軍に対し、じりじりと進軍を続けていた。


 最前列には、分厚い鉄板で覆われた『重装甲馬車(じゅうそうこうばしゃ)』が巨大な城壁のように並び、車輪がきしむ重い音を響かせている。その後ろには、攻城兵器である『帝国式魔導砲ていこくしきまどうほう』が、数十人の魔導師たちに護衛されながら控えていた。


 彼らの狙いは明確だった。距離一千(メートル)まで肉薄(にくはく)し、魔導砲の雨で敵陣を粉砕する。完全な安全圏からの、一方的な蹂躙(じゅうりん)――そのはずだった。


「……仰角(ぎょうかく)よし。装薬(そうやく)確認。閉鎖機(へいさき)、閉じます」


 モルトケ軍陣地の後方。


 小高い丘に等間隔で並べられた二十門の『新型榴弾砲しんがたりゅうだんほう』。その砲尾で、砲兵たちが油と硝煙にまみれながら、機械的な動作を繰り返していた。


 分厚い高炭素鋼ハイ・カーボン・スチールで作られた砲身。絹の袋に詰められた大量の黒色火薬。そして、流線型(りゅうせんけい)の重い砲弾(ほうだん)が次々と装填(そうてん)され、重厚な金属音と共に鋼鉄のふたが閉ざされる。


 魔法の詠唱など欠片もない。ただ、物理と化学の法則に従った、冷徹な殺戮さつりくの準備。


 総大将ハインリヒは、双眼鏡から目を離し、冷酷に軍刀(ぐんとう)を振り下ろした。


「――()ッ!!」


 轟ォォォォォンッ!!


 大気が震え、足元の地面が跳ね上がった。


 二十の砲口から猛烈な炎と白煙(はくえん)が噴き出し、砲身が凄まじい反動で後退する。


 撃ち出された砲弾が、音速を超えて空を裂く。ヒュルルルルッという、帝国兵が未だかつて聞いたことのない死神の笛の音が、戦場の空に響き渡った。


「な、なんだあの音は――魔法の光は見えないぞ!?」


 『猛牛(もうぎゅう)』の旗印(はたじるし)の下、バルガス将軍が馬上から天を仰いだ、その瞬間。


 帝国軍の最前列、誇り高き『重装甲馬車』の隊列に、見えない鉄槌(てっつい)が振り下ろされた。


 着弾。そして、炸裂。


「ぎぃやぁぁぁッ!?」


「馬が、馬車が吹き飛んだぞォォッ!?」


 ただの鉄の塊がぶつかったのではない。砲弾の内部に詰め込まれた『黒色火薬(こくしょくかやく)』が、時限信管(しんかん)によって着弾と同時に大爆発を起こしたのだ。


 剣を通さないはずの帝国の厚い装甲が、紙細工(ざいく)のように引き裂かれ、ひしゃげる。木端微塵(こっぱみじん)になった馬車の鉄片や木片が、それ自体が凶悪な散弾(さんだん)となって周囲の歩兵をミンチに変えていく。


「馬鹿なッ! 魔法陣の展開もなしに、これほどの威力を!?」


「距離が遠すぎます! 奴らの攻撃、我々の魔導砲の射程の遥か外から――ッ!」


 報告を叫んだ伝令の頭上に、第二射の雨が降り注いだ。


 今度は、自慢の『魔導砲陣地』が直撃を受けた。魔力を溜め始めていた砲身が飴細工のようにへし折れ、暴走した魔力が誘爆(ゆうばく)を起こし、青白い炎と爆風が帝国兵を飲み込んでいく。


「……おのれ、おのれモルトケェェッ!!」


 バルガスは血走った目で()えた。顔の右半分に、爆発で飛んできた破片による一筋の裂傷が走る。


 このままここに留まれば、一矢報いることもできずに全滅する。敵は『魔法』ではなく、まったく別の原理で動く未知の『兵器』を使っている。歴戦の猛将(もうしょう)の本能が、そう告げていた。


 退くか。進むか。


 バルガスの決断は、生粋の帝国軍人としてのそれだった。


装甲(そうこう)は捨てろ! まとになるだけだ! 全騎兵(きへい)、突撃ィィッ!! 罠だろうが構わん、奴らの陣地に雪崩れ込み、あの奇妙な(つつ)を叩き壊せェェッ!!」


 バルガスの号令(ごうれい)と共に、千切れかけた『猛牛』の旗印が前へ傾いた。


 装甲の残骸を乗り越え、三千の重装騎兵(じゅうそうきへい)が地響きを立てて突進(とっしん)を開始する。


 それは、未知の兵器に対する恐怖を、戦士としての狂気で塗り潰した、玉砕覚悟の大吶喊(だいとっかん)だった。



***



「……来ました。敵騎兵、殺傷地帯(キル・ゾーン)に侵入」


 海岸線(かいがんせん)に掘られた第一塹壕(だいいちざんごう)


 泥と海水にまみれた騎士団長ガンツは、迫り来る三千の騎兵を冷徹に見据えていた。


 ドドドドドッというひづめの音が、大気を震わせ、塹壕の土壁からバラバラと土塊つちくれを落とす。怒号(どごう)を上げながら迫る、鋼の鎧を着込んだ巨馬の群れ。その「質量」がもたらす威圧感(いあつかん)は、どれほど強力な武器を持っていようと、兵士の心臓(しんぞう)を掴み(つぶ)すほどの根源的な恐怖だ。


 ライフルを構える元農民の若い兵士の手が、カタカタと震えている。


狼狽(うろた)えるな! 引き付けろ! 命令があるまで絶対に引き金を引くな!」


 ガンツが塹壕の中を歩き回り、兵士たちを怒鳴(どな)りつける。


 距離、五百(メートル)。三百。二百五十。


 敵の先頭が、陣地の数十メートル前に張り巡らされた『鉄条網(ワイヤー)』に激突した。


「な、なんだこの鉄の(つた)は――ぐあッ!?」


 罠に気づかず全速力で突っ込んだ軍馬の脚に、鋭利な鋼の棘が深く食い込む。


 悲鳴を上げて前方のめりに転倒する馬。それに巻き込まれ、後続の騎兵が次々と落馬し、泥まみれの地面に折り重なっていく。鉄条網に絡まった兵士が、自身の鎧の重さと後続の蹄によって踏み潰される。


 突撃の(いきお)いが、泥沼に足を取られたように、完全に死んだ。


「――今だッ!! 全軍、撃ち方始めェェッ!!」


 ガンツの号令が戦場を(つんざ)いた。


 ダァァァァァァァァァァァンッ!!!


 正面、そして両翼。


 凹字型おうじがたに配置された陣地(じんち)から、数千丁の『後装式ブリーチ・ローディングライフル』が一斉に火を噴いた。


 魔法の詠唱など不要。引き金を引く、手元の遊底(ボルト)を引いて空の薬莢やっきょうを捨てる、新しい弾薬(カートリッジ)を押し込む、また引く。


 ただその機械的な|反復が、致死の弾幕(だんまく)を形成する。


 三方向からの完璧な十字砲火(クロス・ファイア)


 帝国騎兵の分厚い胸当てが、かぶとが、いとも容易く撃ち抜かれ、血飛沫ちしぶきが空を舞う。


 連続する射撃で銃身は焼け焦げるように熱くなり、立ち込める硝煙が視界を白く染めるが、兵士たちは撃ち続けることをやめない。


「ひ、退けェ! 退けェェッ!」


「無理だ、後ろからも押されている! 退路がない!」


 凄まじい殺戮(さつりく)の嵐。モルトケの兵士たちは、ただ標的を「処理」していくだけの優位な戦いだと錯覚しかけた。


 だが、帝国軍も無能ではない。圧倒的な「数」の暴力が、生存本能という狂気と結びつき、ここで牙を剥いた。


死体しかばね(たて)にしろ! 馬の死骸を踏み越えろォォッ! 鉄の蔦を乗り越えろォォッ!」


 顔を血に染めたバルガス将軍の絶叫(ぜっきょう)に応え、後続の歩兵たちが、信じられない行動に出た。


 撃ち殺された味方の馬や、動かなくなった仲間の兵士の死体を『土嚢どのう』代わりに積み上げ、鉄条網の上に投げ捨てて、強引な道を作り始めたのだ。


「奴ら、正気か……!」


 ガンツが戦慄する。


 血の泥濘(でいねい)い進み、鉛の雨を()(くぐ)り、目を血走らせた狂気に満ちた帝国兵が、何百という死体を踏み台にして、ついにモルトケの第一塹壕(だいいちざんごう)へと肉薄(にくはく)する。


「敵、塹壕に取り付きます!!」


「撃ち方待てッ! 銃剣、着けェェッ!!」


 ガンツが剣を抜き放ち、ライフル兵たちが一斉に銃口の下に鋭い短剣(バヨネット)を装着した。小気味(こきみ)よい金属音が、塹壕の中に響く。


 ここから先は、新兵器の射程や装填速度は関係ない。


 泥と血と汗にまみれた、原始的な白兵戦(はくへいせん)だ。


「帝国の意地を見せろォォッ!」


「死守せよ! 我らの故郷を抜かせるなァァッ!」


 塹壕のふちで、銃剣と長剣(ロングソード)が激突する。


 振り下ろされる剣を銃身で受け止め、そのまま腹部へ銃剣を突き刺す。火薬の硝煙(しょうえん)と、内臓の生臭い臭い、そして兵士たちの悲鳴が入り混じる地獄の釜。


 兵士の数が多すぎる。いくら突き殺しても、帝国兵は怒りに任せて無限に湧き出してくるように見えた。


「……耐えろ! 一歩も引くな! ここでバルガスを(くぎ)付けにしろ!」


 ガンツは返り血を浴びながら、塹壕へ飛び込んできた敵の騎士の首をね飛ばした。


 息が上がり、腕が鈍る。今はただ、泥にまみれて耐えるしかない。


 この『殺傷地帯(ゾーン)』に敵の全兵力を縛り付け、その間に、密かに放った客将アラン率いる|別働隊が敵の『背後』を完全にふさぐ、その時まで――。


 モルトケ領奪還の第一歩は、技術の差を「血の量」と「狂気」で埋めようとする、凄惨せいさん消耗戦(しょうもうせん)へと雪崩(なだ)れ込んでいった。




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