第20話 猛牛の警戒と射程外の死神
上陸から一夜が明けた。
海岸線に構築されたモルトケ軍の橋頭堡。その司令部天幕では、張り詰めた空気の中で軍議が行われていた。
「……報告します。敵先鋒、約一万。旗印は『猛牛』。バルガス将軍の麾下です」
客将アランが、血と泥に塗れた地図を広げる。
「バルガスは、前回の撤退戦で我々が用いた『袋のネズミ(殺傷地帯への誘き込み)』の戦術を完全に警戒しています。……奴の布陣を見てください」
アランは地図上に、帝国軍の戦闘序列を示す駒を並べた。
「敵は突撃してきません。最前列に鉄板を張った『重装甲馬車(移動防盾)』を並べ、後方には攻城用の『帝国式魔導砲』を配備。……罠があると分かっている地点に、遠距離から砲撃の雨を降らせ、陣地ごとすり潰す構えです」
その報告に、騎士団長ガンツが重い溜息を吐いた。
「厄介だな。我々の『待ち伏せ』を物理的に破壊しに来たか。……だが、どれほど新兵器のライフルが優れていようと、防盾越しでは効果が薄い。陣地を壊され、そこに三千の重装騎兵が雪崩れ込んでくれば、『数と質量』の暴力で押し切られるぞ」
ガンツの言う通りだった。
一万の軍勢が防衛線を突破し、白兵戦になれば、こちらの死傷者は免れない。野戦病院には入りきらないほどの負傷者が溢れるだろう。
「……ええ。だからこそ、第一野戦病院の設営を急がせました」
アンジェリカが、静かに口を開いた。
彼女の顔に、新兵器を手にしたことによる慢心はない。あるのは、冷酷なまでの計算と、拭いきれない危機感だ。
「皆様。この一戦の真の目的は、敵を追い払うことではありません。……『完全なる殲滅』です」
アンジェリカの言葉に、ハインリヒの目が細められた。
「……情報漏洩を防ぐためか」
「はい。現在、帝国の本隊『十万』は、まだ後方に控えています。
もしバルガス将軍を逃がし、我々の『後装式ライフル』や『榴弾砲』、『塹壕と鉄条網』の存在が本隊に知られれば……帝国は必ず、十万の規模で『対策』を講じてきます」
兵数で一対十の格差がある以上、新兵器のアドバンテージは『初見』である今しかない。
バルガスの一万を、一人たりとも逃がしてはならない。それが、このモルトケ領奪還戦における最大の使命だった。
「作戦を提案します」
アンジェリカは、地図上の海岸線に直線を引いた。
「バルガス将軍は『魔導砲で陣地を崩せる』と信じています。……ならば、その前提を崩します。
敵が魔導砲の射程(約一キロ)に入る前、距離三キロの地点で、こちらから新型榴弾砲による砲撃戦を仕掛けます」
「射程外からの先制攻撃か」
「はい。高炭素鋼の砲弾であれば、敵の防盾など紙くず同然に貫通・炸裂します。
装甲と大砲を失い、一方的に削られる状況になれば……猛牛の異名を持つバルガスは、撤退するか、『被害覚悟で全軍突撃』するかの二択を迫られます」
ガンツが獰猛な笑みを浮かべた。
バルガスは誇り高い帝国の将軍だ。一矢も報いずに背を見せるなどあり得ない。必ず、血路を開くために突撃してくる。
「……罠だと分かっていても、突っ込んでこざるを得ない状況を作るわけか。えげつないな」
「それでも、三千の重装騎兵による死に物狂いの突撃です。最前線の塹壕には確実に肉薄されます」
アンジェリカは、指揮官たちを見回した。
「正面の歩兵大隊がその猛攻を耐え凌ぐと同時に、両翼から別働隊を回り込ませて『退路を断つ』必要があります。……陣地防衛と、包囲殲滅。我々一万で、それを同時にやらねばなりません」
前線では確実に血が流れるだろう。
それでも、ここでバルガスの首を獲らねば、明日の十万に飲み込まれる。
「……覚悟は決まったな」
ハインリヒが、低く凄みのある声で場を締めた。
彼は作戦卓に軍刀を突き立てる。
「我々は挑戦者だ。小細工は通じない。泥を啜り、血を流してでも、バルガスの首をこの海岸に繋ぎ止める!
全軍、第一種戦闘配置! 砲兵隊は仰角を合わせろ! 工兵隊と歩兵は鉄条網の裏に伏せろ!」
「「「了解!!」」」
幹部たちの悲壮な、しかし力強い返答が天幕に響く。
日没が近づいていた。
遠くの平原から、一万の軍勢が地鳴りを立てて進軍してくるのが見える。
鋼の軍馬、巨大な装甲馬車、そして帝国兵たちの怒号。
その「数の暴力」を前に、モルトケの兵士たちは塹壕の中で銃を握りしめ、荒い息を吐いていた。
まもなく、新旧の戦術が激突する防衛戦が幕を開ける。




