第18話 雪解けと黒鉄の艦隊
季節は巡り、南の海に暖かい風が吹き始めた。
監獄島・サルガッソにも、短い冬の終わりが告げられた。
だが、今のこの島に、春の穏やかな空気はない。
あるのは、地響きのような轟音と、黒い煙、そして張り詰めた殺気だけだ。
島の入り江には、50隻の船団が整列していた。
その船体は、島で産出した「黒魔炭」から抽出したタールと、薄い鋼鉄板で補強され、黒く、禍々《まがまが》しい『装甲艦』へと生まれ変わっていた。
甲板には、真新しい『後装式大砲』がずらりと並び、砲口が北の空を睨んでいる。
「……へっ、たまげたな。こんな化け物みてぇな船、海賊時代にも見たことねぇぜ」
旗艦の甲板で、舵輪を握る巨漢、船団長ゴッツォがニヤリと笑った。
彼ら元海賊たちは、この冬の間に「モルトケ海軍」として正式に雇用され、操船技術を叩き込まれていた。
彼らにとって、この黒い船は恐怖ではなく、最高の「相棒」だ。
「ゴッツォ、エンジンの調子は?」
「最高だ、お嬢! あの『黒魔炭』を焚けば、風がなくても怪物みたいに進みやがる!」
アンジェリカの問いに、ゴッツォが親指を立てる。
そして、その横には、青いローブを纏った長男マクシミリアンと、魔導師部隊が控えていた。
「魔導部隊、配置完了だよ、アンジェリカ」
マクシミリアンは、以前のような疲労困憊した顔ではない。
彼らの役割は「魔力タンク」から、風魔法による「推進補助」と、索敵魔法による「レーダー役」へと変わっていた。
「僕らの魔力を、もう『弾』としては使わせないんだね?」
「ええ、お兄様。魔法はもっと高度な『管制』に使ってください。……火力なら、彼らが担当しますから」
アンジェリカが視線を向けた先には、浜辺に整列した主力部隊がいた。
指揮を執るのは、騎士団長ガンツと、客将アランだ。
「第一歩兵大隊、整列! 銃口の点検を怠るな!」
ガンツの雷のような声が飛ぶ。
そこに並ぶのは、モルトケ領の生き残りである兵士たちと、志願して銃を手にした屈強な若者たち。
彼らの手には、統一された規格の『モルトケ式ライフル』が握られている。
「……アラン殿。彼らの仕上がりはどうだ?」
「悪くありません。冬の間、魔獣相手に実戦訓練を繰り返しましたからな。……個々の剣技では帝国騎士に劣りますが、集団戦なら負けません」
アランは冷静に分析する。
剣を捨て、銃を選んだ騎士たちの覚悟。それが静かな殺気となって満ちていた。
「資材班、積み込み急げ! 『野戦築城キット』は一番下の船倉だ! 上陸戦になったら、誰よりも早く展開するぞ!」
補給隊長のハンスが走り回り、工兵たちが鉄条網や防壁のパーツを運び込む。
これはただの移動ではない。
海を渡る「強襲上陸作戦」だ。
全ての準備が整ったのを見届け、当主ハインリヒ・フォン・モルトケが艦橋に立った。
その隣には、王都から帰還したソフィアが寄り添い、兄王から託された『密勅』の羊皮紙を渡す。
「……あなた。兄様からの許可も得ました。これで私たちは『資源泥棒』でも『反逆者』でもありません。連合王国の未来を背負った『軍隊』です」
「ああ、でかしたソフィア。……これで憂いなく暴れられる」
ハインリヒは羊皮紙を懐にしまうと、軍刀を抜き放った。
「全軍、聞けッ!!」
総大将の咆哮が、波音を消し飛ばす。
「我々はこれより、北へ還る!
だが、それは哀れな難民としてではない! 奪われた土地と、誇りを取り戻すための凱旋だ!」
「「「オオォォォッ!!」」」
出自の異なる者たちが、一つの「軍」として声を上げる。
「帝国は思っているだろう。モルトケの残党など、冬の間に海へ消えたと!
……教えてやれ! 我々は地獄の底で、奴らを殺すための牙を研いでいたのだと!」
ハインリヒが切っ先を北の水平線へ向ける。
「目標、モルトケ領沿岸! ……出航ッ!!」
ブオォォォォォッ!!
船団の汽笛が鳴り響き、50隻の黒い艦隊が一斉に動き出した。
煙突からは黒煙が上がり、マクシミリアンたちの風魔法が帆を膨らませる。
それは、中世の海に突如として現れた、時代錯誤なほどの近代艦隊だった。
***
一方、その頃。
北の大陸、旧モルトケ領。
雪解けと共に、帝国軍本隊十万を率いるバルガス将軍は、進軍を再開していた。
アンジェリカの焦土作戦により、冬の間は足止めを食らったが、それも終わりだ。
「……ふん。忌々しい冬だったが、ようやく動ける」
馬上のバルガスは、眼下に広がる荒野を見下ろした。
かつてモルトケ城があった場所は廃墟となり、人っ子一人いない。
「閣下。……王都まではあと一週間ほどかと」
「ああ。モルトケさえいなければ、王国など赤子の手を捻るようなものだ。……蹴散らせ」
バルガスは油断していた。
モルトケ家は海へ消えた。あの貧弱な船団で冬の海を渡りきれるはずがない。今頃は海の藻屑か、どこかで野垂れ死んでいるだろう。
背後の海など、警戒する必要もない――。
「……ん? なんだ、あれは」
ふと、最後尾を歩いていた兵士が、海の方角を指差した。
水平線に、黒い点が見える。
一つではない。無数の点が、異様な速度で近づいてくる。
「……船か? だが、煙が出ているぞ?」
「おい、なんだか速くないか? 風上から直進してくるぞ!」
ざわめきが広がる中、その「黒い点」は見る見るうちに大きくなり、異様な姿を現した。
黒鉄の装甲。吐き出される黒煙。
そして、そのマストには――帝国軍が最も恐れた「剣と薔薇」の紋章旗が翻っていた。
「な……ッ!?」
バルガスが振り返り、絶句する。
「モ、モルトケの旗だと!? 馬鹿な……!」
その時。
先頭を行く黒い艦の側面が開き、無数の砲門が顔を覗かせた。
ドォォォォォンッ!!
雷鳴のような発砲音が響き渡り、帝国軍の列の真ん中に、見えない鉄槌が振り下ろされた。
炸裂弾。
地面が吹き飛び、重装歩兵たちが紙切れのように舞う。
「ぎゃあぁぁぁっ!?」
「て、敵襲ゥゥッ! 背後から敵襲ゥゥッ!!」
パニックに陥る帝国軍。
海から現れた「亡霊」たちは、止まらない。
次々と接岸した船から、タラップが降ろされる。
「上陸せよッ! 陣地を構築しろ! 資材班、前へ!」
アランの指揮で、工兵たちが瞬く間に鉄の防壁を展開していく。
そして、その後ろからガンツ率いるライフル部隊が展開し、一斉に銃を構えた。
ダァン! ダァン! ダァン!
剣が届く距離より遥か遠くから、帝国兵が次々と頭を撃ち抜かれて倒れていく。
魔法の光はない。あるのは乾いた破裂音と、硝煙の匂いだけ。
「な、なんだこれは……! 魔法じゃない……何だその武器はァァッ!?」
バルガスの叫びは、轟音にかき消された。
死んだはずの敗残兵たちが、地獄の業火を纏って帰ってきたのだ。
ここに、「モルトケ領奪還戦」への火蓋が切って落とされた。




