第10話 裏切りの関所と諸兵科連合
大陸暦1026年、2月20日。
泥と魔獣の森を抜け、装備を増強したモルトケ軍三万は、王国の南北を分かつ最大の難所、大渓谷『竜の顎』に差し掛かっていた。
切り立った断崖に挟まれた、一本の細い街道。
その先には、街道を完全に封鎖する高さ10メートルの巨大な石造りの関所がそびえ立っている。
ここを抜けなければ、南の海へは出られない。
「……止まれェェッ!!」
先頭を進むアラン率いる騎兵隊が、関所の前で停止した。
城壁の上には、無数の弓兵が矢をつがえ、こちらを狙っている。
だが、翻っているのは帝国旗ではない。王国の貴族、ギデオン侯爵家の『黄金の天秤』旗だ。
「……腐っても王国の貴族が、帝国軍より先に道を塞ぐか」
馬上でハインリヒが低く呟く。
ギデオン侯爵は、風見鶏のような男だ。王都が落ちたと見て、帝国に媚びを売るためにここを封鎖し、逃げてくる同胞を狩るつもりなのだろう。
城壁の上に、派手な衣装を着たギデオン侯爵が現れた。
「おお、これはこれは! 『逆賊』モルトケ辺境伯殿ではないか! こんな大勢でピクニックかな?」
下卑た笑い声。だが、ハインリヒは表情一つ変えず、静かに馬を進めた。
「ギデオン侯。我々は南へ向かっている。……道を空けられよ。民の避難がかかっているのだ」
「道を空けろ? ハッ、冗談ではない!」
ギデオンは顔を歪めた。
「貴様らは帝国への手土産だ! ……だが、ワシも鬼ではない。通行料を払うなら通してやらんでもないぞ?」
彼は指を三本立てた。
「一つ、全軍の武装解除! 二つ、辺境伯とその家族の身柄引き渡し! 三つ、連れている領民を労働力(奴隷)として我が領地に置いていけ!」
それは交渉ですらない。一方的な搾取の宣告だった。
ハインリヒは、ため息をつくように目を閉じた。怒りはない。ただ、相手の愚かさを憐れむような沈黙があった。
「……それが貴様の回答か」
「そうだ! 嫌ならそこで野垂れ死ぬがいい!」
ハインリヒは目を開け、背後のマクシミリアンに、目配せだけで合図を送った。
(……やれ)
「……ですが父上、あんな分厚い鉄門です。僕の魔力だと、一発撃てばすっからかんですよ?」
「構わん。あとは『歩兵』がやる」
「御意」
マクシミリアンはニヤリと笑い、馬上で杖を構えた。
詠唱と共に、周囲の大気がビリビリと震える。
「……交渉決裂だ。消えろ、守銭奴! 最大出力・雷撃破城槌ッ!!」
ドガァァァァァァァンッ!!
落雷の直撃を受けたような轟音。
関所の巨大な鉄門が、赤熱し、溶解し、そして内側から爆発したように吹き飛んだ。
城壁の一部が崩落し、上にいた兵士たちが悲鳴を上げて落下する。
「ぐぅ……ッ! きついな、おい……!」
マクシミリアンがガククリと肩を落とす。一撃で魔力を使い果たしたのだ。
魔法使いは強力だが、弾切れ(魔力切れ)が早い。これが魔法の限界だ。
「ひぃぃぃっ!? も、門が!?」
「撃て! 魔法使いはガス欠だ! 今なら隙だらけだぞ!」
パニックから立ち直ったギデオン軍の弓兵たちが、城壁の上から一斉に弓を構える。
魔法使いが沈黙した今、高所からの射撃は脅威だ。
だが、ハインリヒは動じなかった。
彼はゆっくりと軍刀を抜き、振り下ろした。
「……銃兵隊、前へ! 格の違いを教えてやれ!」
ザッ、ザッ、ザッ!
盾を持った重装歩兵の隙間から、五百人の領民兵(魔導ライフル隊)が姿を現した。
彼らは膝をつき、城壁の上を見上げるように銃を構える。
アンジェリカが教え込んだ、一糸乱れぬ射撃姿勢。
「第一列、照準! ……城壁の上を掃討せよ!」
ガンツ団長の号令。
城壁の弓兵たちが矢を放つよりも早く、五百の銃口が火を噴いた。
ドパンッ! ドパンッ! バラララララッ!!
乾いた銃声が渓谷に反響する。
放たれた五百発の鉛弾は、目に見えない死の礫となって城壁の縁を舐めた。
「ギャアアアッ!」
「見えない! 何が飛んできてるんだ!?」
弓兵たちが次々と撃ち落とされる。
矢の有効射程外からの、一方的な狙撃。
さらに、彼らが身を隠そうとしても、鉛弾は薄い木の遮蔽物を貫通し、石壁に跳弾して襲いかかる。
「第二列、交代! 弾幕を絶やすな!」
魔法のような一撃必殺の派手さはない。
だが、絶え間なく続く「鉛の雨」は、城壁の上の敵を完全に釘付けにし、顔を上げることすら許さなかった。
これが、魔法使いにはできない『面制圧射撃』だ。
「よし、敵は沈黙した! 突入ッ!!」
敵の反撃が止んだ瞬間、アラン率いる亡命騎士団が動いた。
彼らは破壊された門へと殺到する。
「モルトケ万歳! 裏切り者に死を!」
銃撃で混乱し、指揮系統が崩壊したギデオン軍に、歴戦の騎士たちの突撃を受け止める力は残っていなかった。
魔法で穴を開け、銃で敵を封じ、騎士が止めを刺す。
それは、この世界で初めて実行された『諸兵科連合』の瞬間だった。
***
制圧された関所の中庭。
腰を抜かして震えるギデオン侯爵が、ハインリヒの前に引きずり出された。
「た、頼む、助けてくれ! で、出来心だったんじゃ! 金か? 金なら払う!」
命乞いをするギデオンを、ハインリヒは冷ややかな目で見下ろした。
「……金はいらん。だが、貴様の倉庫にある食料と水、そして馬車は全て徴収する」
そこへ、アンジェリカが帳簿を持って現れた。
彼女の後ろでは、護衛のロベルトたちが、倉庫から次々と物資を運び出している。
「お父様。倉庫の在庫確認、完了しました。……小麦粉5トン、干し肉2トン、ワイン樽50個。……これなら、全軍の食料を一週間分補充できます」
「よし。……アンジェリカ、これは『略奪』ではないな?」
「はい。『正当な戦利品回収』および『不当な通行妨害に対する損害賠償』です」
アンジェリカは涼しい顔で言い放ち、ギデオンに向き直った。
彼女の脳内では、すでにこの物資を使った今後の配給計画が組み立てられていた。
「ギデオン様。貴方は私たちを帝国に売ろうとしました。……本来ならその首を刎ねるところですが、弾薬がもったいないので見逃します」
彼女は、ギデオンの指にはまった宝石の指輪を指差した。
「その指輪と、着ている服。……それも資産ですので、置いていってくださいませ。裸で王都へ帰れば、少しは同情してもらえるかもしれませんわよ?」
身包み剥がされ、下着一枚で放り出されたギデオン侯爵。
モルトケ軍は、関所の物資を根こそぎ回収し、さらに十分な休憩を取った後、堂々と南門から抜けていった。
関所を抜けると、そこにはまた違った風景が広がっていた。
潮の香りを含んだ風。
南部の平原だ。
「……見えたぞ! 海だ!」
先頭のアランが叫ぶ。
地平線の彼方に、微かに青いラインが見える。
だが、安堵したのも束の間。
後方の偵察兵から、切迫した叫び声が上がった。
『伝令! 上空、北の方角より黒い影! ……空だ! 帝国の『竜騎士団』です!』
空からの追撃。
陸路の行軍における最大の天敵が、ついにその翼を広げて襲来した。




