第9話 泥沼の解体新書と魔獣改造馬車
アンジェリカの提案から数刻後。
泥に沈む街道の空気は、一変していた。
「来るぞ! 前方より魔獣の群れ!」
「総員、戦闘配置! ……ただし、獲物を傷つけすぎるなよ! 『素材』として使うんだからな!」
斥候の叫びと共に、森の奥から地響きが轟く。
現れたのは、泥地を滑るように進む巨大な爬虫類の群れ。
全長5メートルを超える『鉄甲鰐』と、戦車のような巨体を誇る『大王陸亀』だ。
通常の難民であれば、悲鳴を上げて逃げ惑う場面だ。
だが、今のモルトケ軍にとって、彼らは恐怖の対象ではなく、待ちに待った「動く資材」だった。
「お嬢様。……解体作業は俺たちが引き受けます」
アンジェリカの前に、三つの影が躍り出た。
王都から彼女を守り抜いた、信頼する護衛たちだ。
「一番槍は頂いたッ! ……オラァッ!!」
先陣を切ったのは、巨漢の騎士ブルーノだ。
彼が振るうのは剣ではない。巨大な戦鎚だ。
鉄甲鰐が巨大な顎を開けて噛み付こうとした瞬間、ブルーノの一撃がその鼻先を打ち砕いた。
ドゴォォォンッ!!
「硬ぇな! だが、中身は脳震盪だろ!」
ワニが白目を剥いてひっくり返る。
皮を傷つけず、打撃で無力化する。アンジェリカの要望通りの「綺麗な狩り」だ。
「遅いよ、図体ばかりデカくてさ」
続いて、小柄な騎士ギルが疾風のように駆ける。
彼は大王陸亀の甲羅の上を駆け上がり、首と手足が引っ込むその一瞬の隙を突き、関節の急所に短剣を突き立てた。
正確無比な神経切断。巨獣が音もなく崩れ落ちる。
そして、最後の一体がアンジェリカの背後から迫った時――。
「……お嬢様の御髪に、泥一つ付けさせませんよ」
従騎士のロベルトが、優雅にレイピアを閃かせた。
針の穴を通すような刺突。
ワニの眉間に吸い込まれた刃は、瞬時に脳幹を破壊し、苦しむ間も与えず絶命させた。
「さあ、ガレン殿! ご要望の『資材』です!」
三人の護衛と、マクシミリアン率いる部隊の連携により、襲来した十数体の魔獣は、あっという間に沈黙した。
それを見た職人長のガレンが、泥だらけの顔を引きつらせながら駆け寄ってくる。
「す、すげぇ……。本当に狩っちまいやがった」
「ガレンさん、感心している暇はありませんよ」
アンジェリカは、懐から手書きの設計図を取り出し、ガレンに手渡した。
「木材が不足しているなら、この『鉄甲鰐の腹皮』を使いなさい。鉄より硬く、摩擦に強い。……これを車輪の代わりに履かせるのです」
「なっ、車輪の代わりに……皮を?」
「ええ。『ソリ』の原理です。泥の上では、回転する車輪よりも、面で滑るソリの方が効率的です。……それに、陸亀の甲羅は軽量で頑丈な屋根になります」
アンジェリカは、倒れた魔獣たちを指差した。
「骨は支柱に、腱はロープに、油は潤滑油に。……使えるものは全て使いなさい。」
ガレンは設計図を食い入るように見つめ、やがてその目に職人の炎が宿った。
「……へっ、面白ぇ! 魔獣の死骸で馬車を直すなんて、どこの国の教本にも載ってねぇが……やってやらぁ!」
ガレンが号令をかける。
ここから、泥沼の「野外工房」が稼働した。
「解体班、急げ! 皮を綺麗に剥げ! 肉はその場で塩漬けだ!」
「鍛冶場はないが、魔法使い様に火を借りろ! 甲羅を加工して連結バスを作るぞ!」
領民たちも総出で動いた。
ある者は肉を切り分け、ある者は骨を磨く。
ブルーノが怪力で甲羅をひっくり返し、ギルが皮を縫い合わせ、ロベルトが作業工程を監督する。
アンジェリカもまた、泥にまみれながら現場を指揮し続けた。
前世で培った現場管理能力が、この世界の素材と融合し、常識外れの化学反応を起こしていく。
***
そして、数時間後。
夕闇が迫る街道に、異様なシルエットが浮かび上がった。
車輪を捨て、ワニ皮の巨大なソリ(スキッド)を履いた馬車。
亀の甲羅で装甲され、魔獣の白い骨で補強された、荒々しくも機能的なフォルム。
…それはもはや馬車ではない。
「動かしてみろ!」
御者の掛け声と共に、馬が引く。
ズズズッ……スーッ。
今まで泥に沈んでいた重量級の荷車が、氷の上を行くように滑らかに進み出した。
「うおおおっ! 動いた! 全然沈まないぞ!」
「揺れも少ない! これなら怪我人も寝かせたまま運べる!」
歓声が上がる。
ガレンが、油と泥と魔獣の返り血にまみれた手で、誇らしげに胸を張る。
「どうだお嬢様! これぞ『モルトケ式・魔獣改造馬車』だ!」
「完璧です、ガレンさん。……これなら、この先どんな悪路でも進めます」
アンジェリカは、完成した車両を満足げに撫でた。
これで「足」は確保した。
食料となる「魔獣の肉」も大量に手に入った。
何より、領民たちの目に「絶望」ではなく、「自信」が宿ったことが最大の成果だった。
先頭を行くアラン隊長も、その異様な車列を見て呆れたように笑った。
「……信じられん。魔獣に襲われて、逆に装備が良くなるとはな」
「ハハハ! ウチのお嬢にかかれば、災害も資源なんだよ!」
ブルーノが豪快に笑い、干し肉を齧る。
こうして、モルトケ軍は「強くなりながら」南へ進む。
一歩進むごとに、彼らは「難民」から、あらゆるものを食らい尽くして進む強靭な軍団へと進化を遂げていた。
だが、その行く手には、さらなる試練――王国最大の難所『竜の顎』が待ち受けている。
そこには、腐敗した貴族の卑劣な罠が張り巡らされていた。




