後日談:世界で一番静かな朝食
帝都グラン・アウルの中心部にそびえ立つ、巨大な『黄金の大根像』。 それは宇宙を救った「名もなき料理人」を称えるためのものだが、その足元にある小さな八百屋に、その「英雄」がいることを知る者は少ない。
「……ん。……今日の浅漬け、よく浸かってる。……お塩、少し足りなかったかな」
エリカは、裏庭の木陰で静かに箸を動かしていた。 彼女の横には、宇宙を旅したあのボロボロのリヤカーが、今は色とりどりの花を飾られた「プランター」として余生を過ごしている。
「エリカさーん! また勝手に隠居モードに入らないでください! 今日は魔界から魔王様が『キャベツの結球が上手くいかない』って半べそで会見に来てるんですよ!」 リノが山のような手紙と書類を抱えて走り込んでくる。
「……魔王おじさん、……水のあげすぎ。……あと、ちょっと空振りが足りない」
「アドバイスが武力行使前提なのは相変わらずですね……。あ、それから勇者のシグルド様からは『聖剣でジャガイモの芽を綺麗に取る方法』の動画添削依頼が届いてます」
世界は変わった。 かつてのように飢えや借金に怯える日々は去り、最強の者たちが「いかに美味しい野菜を作るか」を競い合う、奇妙で平和な時代。
「……あ。……あのおじさんも、来た」
店の表に、立派な馬車が止まった。降りてきたのは、かつてエリカを追い回していたザイルだ。彼は今や帝都の重鎮だが、エリカの前では相変わらず一人の「厳しい検品係」に戻る。
「エリカ、今日の大根の出来はどうだ? もし質が落ちていたら、未だに保管してある『初回の借金用帳簿』を復活させるからな」 「……おじさん、……口の端に、お醤油ついてる。……さっき、つまみ食いしたでしょ」
「……ぐっ。……法の番人に隠し事はできんな」
ザイルは照れ隠しに大笑いし、エリカの隣に腰を下ろした。 リノも、ミラも、そしていつの間にか月面から降りてきていたルナも集まり、庭先は小さな宴会場のようになる。
「……みんなで食べると、……大根さん、もっと甘くなる気がする」
エリカは、空になったお椀を見つめ、ふと空を見上げた。 青い空の向こうには、今も彼女が煮込んだ「星のスープ」の残り香が、銀河の風に乗って流れているはずだ。
彼女はゆっくりと立ち上がり、庭に転がっていた古い木の棒を拾い上げた。
「……食後の、運動。……一回目、空振り」
――ヒュンッ。
音もなく、しかし確実に、帝都の空を覆っていたわずかな雨雲が、彼女の一振りで綺麗に四散し、黄金の陽光が食卓を照らした。
「……よし。……明日も、美味しいもの、作ろう」
少女の空振りは、もう誰も傷つけない。 それはただ、世界を少しだけ明るくし、お腹を空かせた誰かの元へ、幸せの香りを届けるための風。
美食の旅路は、今日もこの小さな庭から始まっていく。
(完)




