法と胃袋:借金王は逃げ切れるか(後半)
絶海の孤島へと向かう護送船の船底。エリカは、魔力を吸い取る特殊な鉱石で作られた重厚な檻の中にいた。 両手には『戒律の鉄鎖』。これをはめられた魔導師は指一本動かせなくなると言われているが、エリカは鎖をチャリチャリと鳴らしながら、配膳口から差し込まれた「夕食」をじっと見つめていた。
「……これ、何? ……黒くて、固くて、石炭みたいな匂いがする」
それは、監獄島へ向かう罪人たちに与えられる、水でふやかしただけの『乾燥黒パン』と、泥水のような『薄い野菜屑のスープ』だった。
「文句を言うな、大罪人め。監獄島に着けば、それすら贅沢品に思えるようになるわ」 見張りの兵士が嘲笑いながら立ち去る。
エリカは無言で黒パンを手に取った。……そして、おもむろに立ち上がった。
「……大根さんもいない。リノもいない。……でも、美味しくないご飯を食べるのは、もっと嫌」
エリカは鉄枷で繋がれた両手を、檻の中の狭い空間で「素振り」し始めた。 魔力が封じられていようと、彼女の筋力(ステータス極振り)と『空振り』の技術は健在だ。
「……はぁぁぁぁぁっ!!」
――一回目、空振り。 狭い檻の中に、鋭い衝撃波が走る。 狙ったのは、黒パンの「分子の隙間」。 「二回目、三回目ッ!!」 空振りの振動が黒パンを空中で細かく叩き、石のように硬かったパンの繊維を一瞬で解きほぐす。さらに、その摩擦熱によって、冷え切っていた泥水スープが沸騰し始めた。
「……最後! ……美味しく、なれ!!」
五度目の一撃。 エリカは檻の鉄格子を叩き壊さない絶妙な距離(数ミリ)を空振った。 凄まじい風圧が、スープの中に浮いていた「野菜の屑」を強制的に粉砕し、旨味をすべてスープの中へと引き出した。 気づけば、ただの汚物だった食事は、エリカの『空振りマッサージ』によって、ふんわりと焼き立てのような香りを放つパンと、濃厚なポタージュのようなスープへと「再構築」されていた。
「……ん。……ちょっと足りないけど、美味しい」
檻の外で、見張りの兵士が立ち止まった。 「……おい、なんだこの匂いは。……貴様、隠し持っていた高級食材を出したな!?」
「……ううん。おじさんがくれたやつを、ちょっと振っただけだよ」
兵士が檻の中を覗き込むと、そこには幸せそうにスープを啜るエリカと、なぜか「衝撃波でピカピカに磨かれた」鉄格子の姿があった。
「……ザイル執行官! 大変です! 囚人番号80000番……食事を与えただけなのに、なぜか独房の気圧が変化して、我々の士気が胃袋から破壊されようとしています!!」
護送船が監獄島の港に滑り込む。 そこは、世界中から集められた極悪人と、それ以上に「食」に飢えた看守たちがひしめく魔窟。
「……着いた。……いい匂い。あっちの大きな塔から、熟成したお肉の匂いがする……」
エリカの鼻が、監獄の最深部に眠る「禁断の食材」を捉えた。 彼女にとって、監獄は牢獄ではなく、巨大な『冷蔵庫』でしかなかった。




