世界への第一歩:方向音痴と大食いの序曲(後半)
スライム一体との死闘(?)を終え、二人がようやく街道沿いの宿場町『風待の宿』に辿り着いた頃には、日はすっかり傾いていた。 エリカの腹の虫は、もはや魔物の咆哮にも似た地響きのような唸り声を上げている。
「エリカさん、恥ずかしいです……。そんなに鳴らさないでください。精霊である私のプライドが削れていきます」 「だ、だって……一発当てるのに、普通の人の五倍は動いたもん……」
二人は吸い込まれるように、香ばしい肉の匂いが漂う宿屋の食堂へと足を踏み入れた。 エリカが注文したのは、この店の名物「猪肉の串焼き」五皿と、大盛りの麦飯、そして野菜屑のスープ。運ばれてきた料理を、エリカは野生動物のような勢いで頬張り始めた。
「むぐっ、んぐ……おいひい! リノ、これ最高だよ!」 「あ、口の横にタレが……。もう、精霊契約者がこんなに卑しくてどうするんですか。私はこの干し肉を少し頂ければ十分ですから……って、エリカさん! 私の分まで狙わないでください!」
その時だった。 騒がしい食事風景を苦々しく思っていたのか、隣のテーブルに座っていた、見るからに質の悪い冒険者風の男たちが立ち上がった。
「おいおい、見ねえ顔だと思えば……。そんなガキと、ひょろっこい小娘が冒険者気取りか? 精霊を連れてるたぁ景気がいいが、その精霊、俺たちに売らねえか?」
男がリノの銀髪に下卑た手つきで手を伸ばそうとした瞬間——。 リノの瞳が、凍てつくような深い蒼に染まった。 「……触るな、下俗」 彼女が短く、鋭く呟くと、男の周囲の重圧が急激に増した。精霊王の娘としての権能が、無意識に漏れ出したのだ。男たちは悲鳴を上げる暇もなく、その場に尻餅をつき、腰を抜かして逃げ去っていった。
「あ、行っちゃった。……リノ、格好良かったね!」 「……っ! い、いえ、つい魔力が。それよりエリカさん、口の周りが大変なことになってます!」
リノは顔を赤くして、手拭いでエリカの顔を乱暴に、けれど慈しむように拭った。その時、食堂の入り口が景気よく開き、一人の青年が飛び込んできた。
「いやあ、悪い悪い! 足を滑らせて側溝にハマっちまってね。誰か、俺の華麗な剣技を称える前に、まず着替えを貸してくれな——ぎゃふっ!?」
青年は派手に床で滑り、そのままエリカのテーブルの脚に頭を強打した。 輝くような金髪、整った顔立ち。だが、その鼻からは情けなく血が流れている。彼こそが、後に「希望の光」の切り込み隊長となる剣士、マーカス・ヴァンダルであった。
「大丈夫ですか? 凄い勢いで転びましたね」 エリカが心配そうに覗き込むと、マーカスは鼻血を拭いながら、不敵な笑みを浮かべてウィンクした。 「……フッ、計算通りさ。可愛いレディの目の前に着地する、これが俺の流儀……痛っ、やっぱり痛いなこれ!」
こうして、一人の剛力娘、一人の落ちこぼれ王女、そして一人の三枚目剣士が、運命の交差点を無理やり曲がることとなったのである。




