第30話「妄想」
キーンコーンカーンコーン、とありきたりなチャイムが鳴る。
裸眼1.5の俺は教室の後方座席から中庭を見つめて予鈴のタイミングで正門をくぐる遅刻組の姿を眺めていた。
「おっはよーございますっ!」
元気な姉の声。いや、ちょっと元気が過ぎる。まるで家の中の姿だぞ……と学校では才色兼備の弓弦先生で通っている姉の心配をしてしまう。
「それじゃみんなっ! 予告なく小テストをするわよー!」
その声に教室中からブーイングが飛ぶ。まぁ、このノリなら成績に直接関係はしないんじゃないかな……とは思うんだけど。
「ふふっ! 驚いたでしょっ! 人生とは常に驚きの連続なのよっ」
楽しげなブーイングの中で意地悪に微笑えむ姉さん。配られた小テストは一学期のおさらいのような小テストらしい小テストだった。
夏休みの宿題をしっかりと提出できた俺だから自信満々に答案用紙を戻すことができた。隣の天使はというと……「うーんうーん」と呻っていた。
おいおい、一学期のおさらいだぞ。ほら、あっちを見てみろ。春萌さんなんか涼しい顔でボーッと黒板を見ているから解き終わった様子だぞ?
友人のいないこの教室で意識を向けられる相手がいるのって、なんとも楽しいことだったんだなと思いつつ俺は知り合いの女子二人を観察していた。
「で」
放課後の教室。補習を受ける面々。天使と……俺!?
「な、なんで!? 問題は超余裕だったぞ!?」
「わーい! 奏汰くんと一緒の補習だー!!」
何故だ? 何故俺まで補習……? 昼休みに呼び出されて「放課後補習ね」と告げられたときから俺の頭の中は疑問符でいっぱいだった。
もしかして、俺だけの呼び出しなら……姉さんのドッキリだろ! なんて思ってもいたが、天使がいる時点で本物の補習のようだ。
「それでは、補習を始めます」
姉さんの代打なのかクラス委員長が今日と同じプリントを持ってきて配る。待て待て、同じ問題を配られても回答は一緒だぞ!? と驚きつつ渋々問題を解いていく。
「委員長ーできましたー」
余裕で解いた問題だからこそ自信満々に提出。今朝の解答用紙もきっと採点を間違えたかそんなところだろう。俺からプリントを受け取った委員長は四角い眼鏡を光らせて「弓弦くん間違ってる」とトンデモナイことを言い出した。
「え? この公式でスムーズに解けるだろ、こんな問題」
「はい。数字は合ってるんですけどプラスとマイナスが逆転してます」
「へ!? だって、ここの式を掛けると……こうなるから、ここでマイナスに……」
「あ、違います。そこはプラスのままです」
え、ええ!? まさか、覚え間違えていた……? そんな、夏休みの宿題は姉さんに付きっ切りで教えてもらっていたから間違いなんて無いはず……だが、待て、数学は姉さんの担当科目じゃ無いし……え? あれ、ってことは、なんだ?
「取り敢えず天使さんも含め、弓弦くんも公式から覚え直したほうがいいです」
同級生に勉強を指摘される中身おっさんの俺。なんとも恥ずかしい気持ちを抱きつつ、まさか姉さんも間違っていたのでは……? なんて。
その後は、委員長が公式と計算の組み立てをひとつずつ教えてくれて俺たちは無事解放となった。
天使なんかは公式すら分かっていなかった様子で、教えられた問題をスポンジのように吸収して無事クリアとなった。
だけど、プラマイが全部逆だった俺はともかく……天使の勉強が心配だな。いや、他人事でいいんだけど……この先もこうやって補習が増えてしまうんじゃないかって心配してしまう。
ほら、俺は姉さんがいるから要点だけはマスターできてるからな。天使さえよければ基礎ぐらいは教えてやってもいいかもしれない……と、夕陽を浴びて帰路につく天使の横顔を見る。
なんだかんだで駅前商店街まで行くらしく、と二人で歩いている。前回とは違ってずっと無言のままだけど、天使はご機嫌なのかときどき鼻歌が聞こえていた。
「それじゃまたね奏汰くんっ!」
駅前で天使と別れて俺は自転車にまたがった。オレンジ色の夕陽を受けて歩く少女の姿が神々しくて、スマホで自撮りする女子もライトにこだわるってテレビで言ってたもんな……なんて死ぬ前のことを思い出していた。
さて、と。俺も帰るか。今日の晩ごはんはなんだろう? 久しぶりに母さんの中華料理が食べたいな、とか思いつつ緩やかな坂道を自転車でくだっていく。
「ただいまー」
たっぷりと下校まで補習していた俺が帰ってくると母さんが「おかえり」と迎えてくれた。母さん、お腹減った、今日の晩ごはん何? 自然と甘える言葉に母さんはニコリと笑って「奏汰くんの好きな酢豚」と答えてくれた。
せっかくの料理だから姉さんが帰ってくるまで待ちたいという旨を伝えると、夕飯のおみそ汁と小さなおにぎりを出してくれる母さん。
ホントに素敵な女性だな。こんな女性と結婚したらどんなに幸せなんだろう。俺はおぼろげなままの父親の存在を思い出す。父さんは、こんなに素敵な女性と結婚したんだな……羨ましい。
リビングで親子並んで録画番組を見ていると姉さんが帰ってくる。親子水入らずの日常が今日も送れる幸せを噛みしめながら充足した日々に笑みが溢れ出した。




