第25話「回想」
「ふう……」
住宅街。建売住宅がひしめき合った一角。帰る場所へと戻ってきた俺はカーポートに自転車を停めて玄関へと回り込む。
そのまま勝手口から入ってもいいんだけどスニーカーを玄関に戻す手間を考えるとちゃんと玄関から入ろうと毎回思うんだよな。
学生カバンのポケットから鍵を取り出して家に入ると「ただいま」と声を掛けてそのまま洗面所まで手を洗いに行く。
鏡に映る学生時代の俺にも慣れてきた。手を洗ったついでに洗顔フォームで顔も洗えばきれいさっぱり、リビングのソファにスクールバッグを置いてからお土産に買ったアップルパイを冷蔵庫へ入れた代わりにペットボトルの麦茶を取り出す。
「あら、奏汰くんお帰りなさい」
リビングと続き間になった和室から母さんが顔を出した。普段は襖が閉められたこの場所は母さんの寝室兼自室だ。母さんは家事の傍らに在宅で仕事をしていて、学生の俺は姉さんと母さんの収入で食わせてもらっている。
当時は気にしたことも無かったけど食べ盛りの子どもを育てるのは大変だったろうな、と思うと感謝してもしたりない。女手ひとつで姉さんを大学に通わせた母さんはきっと俺も大学に通わせるために頑張ってくれているのだろうと思うと……多少の手伝いぐらいはすべきだな、と意識する。
「学校どうだった?」
「うん、普通……かな」
「そう。よかった」
……あ、そうか。この頃の俺は若干不登校気味だったんだ。機嫌も崩さず愚痴もこぼさず息子が帰ってきたのは良かった、のかもしれない。
「母さんこそ、どう?」
和室から顔を出した母さんは長い髪をヘアバンドでまとめて眼鏡を掛けている。こういう姿のときは仕事中なんだよな。
「ちょっと難しいけど大丈夫よ。それより奏汰くんのお夕飯はお姉ちゃんが帰ってきてからでいいかしら?」
あ、そうか。今日一日会わなかったから失念していたけど姉さんは教師なんだよな。生徒が下校しても残業なんかで遅くなることもあるけど、日が沈む前には帰ってくる。
「うん。ちょうどキッシュとアップルパイをお土産に買ってきたから夕飯までに腹が減ったら先に手を付けるよ」
「あら、お土産? ふふっ、嬉しい」
ふわりと笑う母さん。なんだか俺を見て嬉しそうにしてくれるのが息子ながら面はゆい。あの頃に比べたら内面は幾分か成長しているからか、時折感心したように喜んでくれるんだ。
「それじゃ、部屋に戻るよ。仕事頑張って」
「ええ。ありがとう」
ソファに置いたスクールバッグを担いで二階の自室へと向かう。テーブルに置きっぱなしのリモコンからエアコンをつけると、制服を脱ぐついでにシャワーでも浴びるかと着替えを手にし階下のバスルームへ。
脱衣カゴに制服置きシャワーを捻ると湯に変わる前に頭から浴びてしまう。若い身体から汗を流すとなんとも気持ちがいいものでここ最近は頻繁に湯浴みをするようになった。
今日一日の汗を流しながら、今日一日の出来事を思い返す。なんとなくの習慣だけどこれが意外と思考の整理になったりする。だから俺は髪を洗いながら今朝からの記憶を巻き戻してひとつずつ再生していった。
(……春萌初苺、か)
朝の登校中に見掛けた日傘の少女。幼少の頃から重い心臓病を患い、あの日の事故で姉からの臓器提供を受けた同級生だ。過去の俺が夏休みの後に彼女を見つけたのは卒業式だったから、今日この日に春萌初苺が登校しているなんて事実は無い。
姉がドナーだったのなら彼女は入院先の病院にいたはず。そうなると、俺の勘はほぼほぼ当たっているんだと思う。春萌初苺はドナーが見つからず、せめて新学期だけでもと登校してきたんじゃないだろうか?
(ドナーが見つからない春萌さんはどうなるんだろう)
ふと過る疑問。いや、常に脳裏にはあった疑問だ。臓器移植のドナーなんてそう簡単に見つかるようなものじゃない。それこそ天文学的な数値の確率だろう。
俺はあの日の事故から姉を助けた。だけどそれは春萌さんから生きるチャンスを奪ったことに他ならない。
「…………」
春萌さんの隣に座った俺は不思議な感覚だった。彼女はあまりにも小柄で華奢で、手首や足首も握ったら折れそうなほど細かった。長袖のシャツを持ち上げる胸の膨らみが上下してか細い呼吸を繰り返していた。俺の言葉に頷く度にさらさらのツインテールがふわふわ揺れて可愛かった。ほんのりと桃色に染められた爪の先も、コッペパンをかじる小さな唇も普通の女の子なのに……彼女は普通には生きられない。
そう思うと……自分が酷いことをしてしまったんじゃないかと気が滅入る。だからとばかりに記憶を進めてリンゴの少女を思い出した。
急勾配の坂道で転がったリンゴを追いかけるというなんともベターなコントを彷彿させる光景だ。
透き通ったショートボブの髪は太陽を吸い込んでキラキラとオレンジ色に輝いていた。セーラー服の襟をひるがえし、可愛らしいキュロットから伸びた脚は子鹿めいた脚線美。こちらを見上げる大きな瞳は輝くガラス玉みたいで、自分の事をボクと呼ぶ割りにはちゃっかり女の子らしいスタイルだった。
あの格好……どこかの制服だったのかな。小等部か中等部あたりの。何もかもが初めてで小犬みたいに懐っこい女の子だったな。名前こそ聞きそびれたが、またどこかで会うような奇跡でも無い限りあの場だけの関係だったと思う。
「……明日も良い日になるかな」
キュッと蛇口を戻してシャワーを止める。考え事の間に髪も身体も洗い上げてサッパリできた。脱衣所に戻ってきた俺はバスタオルで全身を拭き上げるとそのまま自室へと戻っていった。




