第22話「ジャム」
屋上に吹く風はほんの少しの湿気を含み、柔らかく頬を撫でる。
日陰に敷かれたレジャーシートに腰掛けた俺は紙袋から惣菜パンを取りだして無言でかぶりついた。
その横で春萌もコッペパンをかじる。金色のティースプーンでジャムを掬って。
「あなたが話し掛けるなんて……初めて」
不思議そうにこちらを見上げる春萌さん。小さくて真っ白な肌に大きな瞳、ちょこんとした鼻と唇に、太陽の光を吸収して淡く輝くさらさらのツインテール。
確かに、春萌さんに話し掛けるのは初めてかもしれない。病弱な女の子っていうのが触れてはいけないような存在の気がして、遠巻きに見ていたのは確かだ。だから俺はいつも窓辺で物思いに耽る彼女の横顔を見ていただけだった。
「夏休み前は話し掛けてくるような雰囲気じゃなかったのに……私に用事……?」
ときどき投稿してくるスーパーレア的な彼女の横顔は知的に整っていてとても可愛いけど、こうして正面から見下ろすと可愛らしい童顔なんだなって見つめてしまう。
「……ひとりで食べるつもりだったけど君がいたから」
「そう……なんだ」
有り体にいえば君に興味があったんだけど……なんて言ったら不審に思われるだろう。それに、どうしても春萌さんの悪印象は払拭しきれない。姉さんの心臓で生かされた存在だと思うと……俺は、形容しがたい気持ちになる。
「ごめん、驚かせたかな?」
「少し……驚いた。意外と、不思議な人……なんだ」
過去に存在した春萌初苺は姉さんの心臓で生きながらえた。姉さんの命を再利用して生きていくんだ。
灰色の日々、色のない卒業式。車椅子で参列した春萌は真っ直ぐに壇上を見つめていた。ゆっくりと立ち上がり読み上げる答辞には姉への感謝のようなものが混じっていた。俺は、それがとても悔しかった……。
「……雰囲気が変わった」
ぽつりとつぶやいてコッペパンをかじる春萌。指先はほんのり桃色に染まっていて、キラキラと輝いていた。彼女の雰囲気は同じままだけど、あの日の惨劇から抜け出した俺は孤独な未来を終わらせて今ここにいる……だから、変わって見えるのかもしれない。
「夏休みで老けたかもだね」
「……そうなんだ」
「誕生日で、ね」
「……そうなの?」
口数少ないイメージの春萌の質問っていうのが新鮮な気がする。会話した記憶すら無いからな……想像以上に喋る子なのかもしれない。
小さなコッペパンを食べ終わった彼女はお弁当のバッグからピルケースを取り出す。手のひらにそれらを出して、多すぎる錠剤の数に俺は思わず声を出す。
「薬、大変だね」
「必要だから摂取する……特別大変でもない……」
そう、なのか? 小柄な女の子だからコッペパンひとつと錠剤だけで満腹になってしまいそうだな。この薬は病気を治すものじゃないだろうに……。
水筒から水を含んで三回に分けて錠剤を飲み込む春萌。姉さんというドナーを失った彼女はいまどんな気持ちなんだろうか?
「病気のこと聞いてもいい?」
正直、興味本位だ。心臓移植でなければ助からない不治の病というものを聞き出して、過去に起こった事故で姉さんが負った苦しみを癒やそうとしているのか・
「聞いても、何ひとつ……面白くない」
「興味半分……ってわけじゃないんだけど……」
「私が面白くないの……先の無い話は……気が滅入るから……」
睫毛を伏せた彼女の表情は分からない。ただ、自分の生死に関わる話はセンシティブなのかもしれないな……現状の春萌だとドナーも見つからずに八方塞がりだ。
姉さんの心臓で生きながらえた彼女は、姉さんが生きているこの世界ではどうなるのだろう……? こうして投稿出来るのだから今日明日の命ではないだろうけど、病状が分からないと調べることもできないな……。
「……そんな顔、しないで。邪険にしたわけじゃない……」
「あ、うん……ごめん」
「興味本位で聞いてくる人、多いの……どうしても暗い話になるし……苦手、なの……」
たぶん……病状は芳しくないのだろう。過去の彼女は夏休み中に心臓移植を受けていたのだから。事故の現場から運び出された姉さんはいわゆる脳死状態になっていて、臓器移植提供の意思があったから心臓を提供することになったと聞かされた。
そのタイミングが春萌さんと一致していて、俺は彼女を目の敵にしていた……。
(だけど、いまの春萌さんにはドナーがいない)
もしも、もし、春萌初苺の心臓が姉さんのものだったら、この子の未来は潰えてしまうのだろう。なんとなく、ふと、腑に落ちてしまった。
春萌初苺は次のドナーが現れないかぎり……。
胸の奥に相反する感情が生まれる。怒りと悲しみ、嘲りと絶望……様々な感情を沸騰させた灰色のマグマがグツグツと煮えたぎっている。
正直……言葉につまる。俺は彼女に何を伝えればいい?
「……考え事。物思いに耽ってるようだし、そろそろ行く……。図書室に本を返したいから……」
お弁当のバスケットと水筒をギンガムチェックの巾着袋に押し込んで、春萌さんは立ち上がった。スカートのプリーツを直して「またね」と挨拶してくれる。
「あ……ああ。また、な……」
次が、あるのかな……。俺は惣菜パンをかじりながら物思いに耽っていく。家族を助けたい気持ちから未来を変えた俺の行動は、ひとりの少女の命を奪うことになってしまうのかと……。




