第14話「はじまり」
カーテンの隙間から白い光が射し込む。ベッドの中で昨日一日の出来事を思い返しているうちに眠ってしまったようだ。もう少し、もう少し微睡んでいたい。
土砂崩れのニュースを見た後、妙にギクシャクした夕食を終えた俺は精神的疲労も重なってか自室に戻ってからの記憶がない。
部屋の中を照らす眩い光が強くなり、蝉の声が聞こえ始める。身体に巻き付いたタオルケットを蹴飛ばして今日という一日の始まりを迎える。
そんな中……俺はまだ目を閉じていた。恐いんだ。最初に見えた天井があのボロアパートだったらどうしようかって。一人暮らしの部屋かもしれないって。
だから惰眠で抵抗する。やがて……尿意に勝てずに起きるハメになるんだけど。
「ふわぁぁ……」
起き上がり上半身を伸ばす。目はまだ閉じたまま。そして、ぎゅっとタオルケットを掴んで恐る恐る薄めを開けようとする。呼吸が乱れて酷い動悸を感じる。
今日この日の俺はどうだった? 最悪な目覚めだったよな。と自身に話し掛ける。そりゃそうだ、土砂災害で家族が生き埋めになってるかもしれないんだ。
何度も何度も電話を鳴らして力尽きた朝だった。だけど俺はふたりを救ったんだ。……母さんは……姉さんは、生きてる……よな? そう思うと酷く心配になって目を開いた。
「……俺の、部屋だ」
昨日と変わらない学生時代の俺の部屋だ。枕元の携帯電話を手繰り寄せると最悪の人生がスタートした日時だった。
ドッドッと心臓が跳ねる。急くように部屋を出て階段を駆け下りると……そこには、朝食を作る母と新聞を読む姉がこちらを見て微笑んでいた。
「おはよう奏汰。どうしたの? そんなに焦って」
「奏汰くんおはよう。取り敢えずは……寝癖、直してきたら?」
なんてことのない日常が広がっている。昨日の事故に遭遇しなかった家族が俺を見て笑っている。今度こそ、ふたりは俺の前からいなくならない! そんな確信を胸にシャワーを浴びてくると伝えて風呂場へと走って行った。
やがて俺は脱衣所の鏡で懐かしくて陰気な自分に遭遇する。身長も体格も学生時代のままだ。鏡台には姉さんが買ってくれたヘアワックスが置いてあって、家族三人分の歯ブラシも並んでいる。慣れ親しんだシャンプーも、柔らかいバスタオルも……何もかもが新鮮で何もかもが懐かしかった。
シャワーから出ると食卓には朝食が並んでいた。昨日と違ってトーストとベーコンエッグ、レタスサラダ。母さんお気に入りの北海道のバターと蜂蜜、姉さんの好む三色ベリーのジャム。そして、俺の好きなピーナツバターとチョコレートクリーム。
家族を喪ってから倦厭していた食べ物がずらりと並んだ食卓につく俺はワクワクしている。トースターでパンが焼き上がるまでの間に何を塗るのか考えて。
チンッと小気味よい焼き上がりの音でパンを取り出して、バターとベリーのジャムを塗った。
「あら珍しい……」
「奏汰ぁージャム塗りすぎっ!」
今日はこれでいいんだよ、と二人の好物を塗ったバターをかじる。サクッとした歯ごたえと小麦の香り。下に広がるジャムの甘さとバターのコク……ふたりを救い出せた俺を讃えるごちそうだ。
「……ふふっ」
母さんが笑う。姉さんはお気に入りのジャムが食い尽くされないかとハラハラしているみたいだけど、なんだかニヤニヤしているようにも見えて楽しくなってくる。
俺は過去に生きているんだという実感と、まだ見ぬ未来に胸を高鳴らせて母と姉さんと当たり前の日常を謳歌する。
「あ、そうだ。奏汰くん宿題は大丈夫? 新学期も目の前よ」
新学期……あ、そうか。この頃の俺は学生だもんな。
「宿題だけじゃなくて、ちゃんと予習もしてよね。新学期早々つまずいても姉さん知らないんだからっ」
姉さんは、まぁ……なんだ。俺の学年の担当教科をもっているから自然とこういうお小言が出てきてしまうんだよな。
「つまずかないように凛花が教えてあげなさい」
「ええー!? オフの日ぐらいは遊びたいぃぃ~」
そう言って姉さんは突っ伏す。わざとらしく手足をジタバタと動かして抵抗しているみたいだ。ホント、姉さんって俺と年齢が一緒なんじゃないかって思うぐらいには幼いよな。
でも……勉強、か。あの頃は分からない箇所があってもプライドが邪魔して聞くこともできなかったしな。このまま順調に新学期が始まるのなら、多少は昔の勘を取り戻さないと大変だ。
「じゃあ姉さんに教えてもらおうかな」
「へ……っ!? か、奏汰が私に教えてほしいとか……えええ!?」
「なんだよ、意外か? 予習もするなら先に宿題は終わらせないとだろ」
「そ、そりゃそうだけどぉ……はぁ~ビックリしたぁ~……」
姉さんとの勉強会の約束を取り付けると母さんは嬉しそうに笑う。勉強のおやつにケーキを焼くわね、なんてちょっとはしゃぎすぎているような気もする。
だけどまぁ、三十三年前に過ごせなかった楽しい学生生活とやらも……どうせならエンジョイしたいよな。
朝食を食べ終えた俺は先に部屋に帰って掃除しておくと二人に告げ、まだ見ぬ今日という日に胸を弾ませた。




