6節 三頭の大ライオン
橙色に染まる空が建物の窓を照らし、水色と混ざった美しい色合いを作る。
その光が反射し、灰色の石畳を上から塗る。
そして――
それを踏みつぶすかのように、僕はその上を歩いた。
《今日はどこに泊まるか…》
答えが一つしかない質問を自分に投げる。
「またロミル橋か…」
ため息をつくと同時に僕は下を向いた。
最近寝心地が死ぬほど悪いと言うのに、またあんな環境で寝ると考えるだけで背筋が凍る。
しかし、今日一日を振り返ってみると、僕は案外ラッキーなのかも知れないとも思う。
身も心も無事――そう思うと元気が湧いた。
実際、僕よりひどい状態の人はいくらでもいる。
《命があるだけ感謝しないとだな。》
そう思いながら、僕は夕日を見た。
もうこんな時間かとでも言うように、ため息をつき、前を振り向いたその時、
――僕は何かとぶつかった。
「――んだよ…」
尻もちをつきかけ、もう少しで顔まで打ってしまうところだった。
《こんなところに街灯が…?》
返事がなかったせいで、そう思ったが、やはり違った。ぶつかった相手は人間だった。
――右目に包帯。
僕は驚いて、思わず一歩下がった。
黒髪で高身長。あのバーにいた三人の男の一人だった。
僕の驚愕の目を見て、彼はただ、
「お前、店主を探してんだろ?」と、見下すような口調で聞いた。
いや、身長差が大きいあまり、僕が勝手にそう聞こえたのかもしれない。
その後彼は少ししゃがみ、僕に手を伸ばした。
僕は目を見開き、
「さ、触んなッ!」と叫んでから、彼が差し伸べようとした手を思いっきりどかし、走り出した。
彼はそれを見て冷静に、
「あぁ‥ いつもこうなる…」とだけ言い、追いかける体勢に入った。
《やっぱりだ。》
彼が友好的な目を僕に向けてなかったのはすぐ分かった。ただ、その手、いや、その指の動きを見て確信した。
それは手を掴むのではなく、胸ぐらを掴むための動きだった。
「痛ぇ…」
再び足の痺れを感じて少し減速した。
周囲をちゃんと確かめ、コンマ数秒で戦略を考えた。
――背後から男は追いかけてくる。
《でも、僕の方が速い。》
そのわずかな速度の差を生かし、角を曲がった瞬間、建物と建物の間にある小さな小道に入った。
それはバーに来た時に、もしもの時のために見ておいたものだった。
男はそれに気づかず通り過ぎて、僕は再び道路に出て、その逆方向に走り出した。
「ひとまず安心」
と言える前に、遠くに人影が見えた。
《嘘だろ…》
――髪の毛がない。
今回は禿頭の方に出くわしてしまった。
「おいおい。何をそんなに急いでいるんだ?」
彼は遠くからでもはっきり分かるほどの不気味な笑顔で聞いてきた。
僕は返事をせず、引き返した。
しかし、後ろを見ると、別の男が待ち構えていた。
――頬に傷。
《これで三人全員か。》
「ちょっとやばいかも…」
自分の足を見て、僕は小さくつぶやいた。
――これ以上あまり無理できない。
とりあえず、2人がいない別方向に走った。先ほどの角の戦略を繰り返そうと曲がった時、あるおばあちゃんが奥にいることに気づいた。
そこで、僕の頭は久しぶりに働いた。
※※※
「――どこに行った?」と、恐らく禿頭の方が言った。
「おい、そこのばあちゃん。ここらへんで変な帽子かぶってるやつ見なかったか?」
この声は、頬の傷の方だろう。
少しの間が空いてから、
「誰がばーちゃんじゃ、ボケ!!」
と、彼女は怒鳴った。
「いや、そういうことじゃなくて...」
「これ以上喋ったら警察に言いつけるわ!!」
彼女の高く、でも同時に迫力のある声は彼らを難なく撃退してくれた。
彼らがいなくなった隙に、僕はゴミ箱から出た。
勘違いしないでくれ、ゴミ箱と言っても、建物の隣にあるデカい系のやつだ。
「もう行ったわ」と、彼女はゴミ箱から出た僕をニッコリと見て言った。
「若者を追いかけ回って、ろくな大人じゃないわね」と、彼女は少し辛口で付け加えた。
僕は苦笑した。
「助かった。マジで感謝するよ、」
安堵しきった声と笑顔で僕は言った。
彼女もそれに微笑んだ。
と、ここで終われば良かったものの、
少し気が抜けてしまったせいか、つい、
「――ばーちゃん。」と、口が滑ってしまった。
その瞬間、彼女の顔は優しいおばあちゃんの笑顔から、まるでこの世の恐怖を実体化したかのような、憤怒の形相になった。
「あぁ‥」
その顔を見て僕は察し、走り出した。
「ここにいるわ!!」と、彼女は男達の歩いていった方に叫んだ。
彼らは振り向き、再び追いかけてきた。
「クッソババア!」
僕は叫びながらも全力で走った。
彼らとの距離はおよそ150コド(約70メートル)。
そして、前方には角がある。
《そこを回れば僕の勝ち。》
走りが数少ない特技の一つである僕に、ヤツらは追いつけないだろう。
さらに、
前には邪魔な物がない。
足首の痛みも(興奮のせいか)なぜか感じない。
見た感じ、石畳同士の段差もほぼない。
世界が自分のために走るべき道を整えてくれているようにさえ思った。
勝ち誇った笑みを浮かべ、僕は角を曲がった。
だが、曲がった途端、僕は自分の運の悪さを改めて思い知った。
《マジ…か…》
僕を待っていたのは勝利ではなく、完全なる敗北だった。
「――また会ったな。」と、包帯をつけた彼は微笑んだ。
は…ハ…ハハハ…ハハハ……ハァ…
後ろを振り向き、他の二人も来ていることを確かめた。
《まだ何もしてないはずだけどなあ…》
そう思ってる間、三頭の大ライオンが僕に近づいてくる。
――少しずつ歪んでいく視界。
その中で、あの三人の影が、巨大な獣のように見えた。
その絶望にただ笑い、深呼吸をしてから、
「くそっ。」とだけ言い残して、僕は意識を失った。




