3節 三匹の大ライオン
「もしもーし。誰かいませーんかー?」と、バーの入り口を何回もノックしたけど返事がなかった。
営業時間はまだ終わってないはずだ。
なのになぜ、誰も出ない?
風の返事すら貰えず、通りすがる人たちからの不審な視線も増えたため、僕はノックするのをやめた。
しかし、
時間が経っても、あまりにも暇だったので、バーの周りを軽く調査してみた。
それにより得られたのは以下の情報:
ー窓が一つもない。
これが最初に気づいたことだった。
振り返ってみたら、先ほどバーに来た時も窓やカーテンを見た覚えはない。その周りにもそれらしい物がなかった。
ーバーには少なくとも4つの部屋がある。
これに気づくのには少しかかった。
前回の記憶や、周りの路地を歩いて、その形から予想すれば、客席や便所の他にも、カウンターの裏に一部屋、その部屋の隣にもう一部屋あるはずだ。
そして居酒屋である以上、カウンターの後ろは倉庫だと予想できる。
ー裏口がある。
実は、バーの両隣には2つの建物がある。確か、左は工具屋で、右は何かの事務所。とにかく、バーとその左の工具屋の間に小さな道がある。
その道を辿っていくと、バーの裏口に行き着く。
少し気になって、そのドアを開けて見たら、ある部屋に繋がった。非常に狭く、ほうきなどの掃除用具だけがたくさん置いてあった。そして、その部屋の左端に木製の扉があった。
それに耳を近づけたら、
「だから信じてください!」と、
非常にかすかだが、誰かの声が聞こえた。
要するにバーは今無人ではないのだ。誰かが中で、隣の部屋で会話をしている。
そして、その部屋の防音性は高い。
ーこれはどうしたことか....
こんなことを知った所で、結局何もできない。
今バーに入るのは、良くないだろうし、明日また来るって言う選択肢も--
「だから、それはお前の勝手な予測だろ?まだ、ロメロが関係してるって断言するには早い。」と、
確かに隣の部屋から聞こえた。
「ロメロの話...」とぶつぶつ言って、僕は無意識に扉に近づいた。
見えない何かに引っ張られているかのように、僕は耳を押し当てた。
「そもそも十分な証拠がないとこっちも動けないんだ。」と、太く、聞くからには強そうな声が言う。
「だから、ロメロの名前が出たってのも十分な証拠でしょ!!」と、聞いたことのある声が、小高く言う。
これは、あの黒髪の店員の声だとわかった。
「ラウル、お前は勝手に想像しすぎじゃないのか?」と、強いほうが言う。
「いや、間違ってない..ジュリオが何かを隠してるはずなんだ。」さっきの荒れた口調が少し落ち着いた。
「それはそうだったとしても、あの三人の邪魔がある限り、調査は厳しい。実際に、いつ帰ってきてもおかしくないからな。」
「三人...」と僕は言葉にならないくらいの小さい声でつぶやいた。
この続きの会話は聞いてもあまり理解できる内容ではなかった。
そもそもジュリオって人が誰なのかわからない時点で僕の頭の中で情報が繋がらない。
そうした考え事の途中、突然、天井から埃が鼻に落ちた。
できるだけ素早く取り除いたが、もう遅かった。
鼻が痺れる感覚が僕の身体の隅々をよぎる。
この場を最悪の事態に変えることのできる何かが起こることに早く気づき、それを対処しようと、両手で鼻を覆った。
「アチッ!!」と、僕の特殊なくしゃみがわずかだが響いた。
しかし、誰かが気づくのには十分な音量だった。
「何だ今の? 聞いたか、ラウル?」
「え...? 何を?」
僕はできるだけ早く、外につながる扉へと向かった。
ー間に合え、、!!
その一心で僕は飛び出し、建物を出た。ドアを閉める余裕がなかったため、恐らく誰かが聞き耳を立てたことはバレたと思う。
どうにかして道路に出て、人けの少ない所へ向かった。
今考えてみたら、無言でバーに入った時点で僕は犯罪に近いことをしたのかも知れない。
「痛ぇ...」と、ぼやき、僕は歩き出した。
足首を軽く捻ってしまった。
※※※
橙色に染まる空が建物の窓を照らし、美しい色合いを作る。
そして空を飛ぶ鳥のシルエットも重なっていく。
その反射が灰色の石畳に特殊な色を作り、それを踏みつぶすかのように、その上を歩く。
ー今日はどこに泊まるか…
と、答えが一つしかない質問を自分に投げる。
「またロミル橋か...」と、ため息をつくと同時に僕は下を向いた。
ーまあ、命があるだけ感謝しないとだな。
と思い、少しだけ元気がついた。
そして顔を上げた瞬間、僕は誰かとぶつかり、その反動で倒れた。
「なんだよ...」と言って、ぶつかった奴の顔を見た。
ー右目に包帯…
と、僕は驚きを隠せず、少し後ろに下がった。
僕の驚愕の目を見て、彼はただ、
「お前、店主を探してんだろ?」と、見下すような口調で聞いた。
いや、彼の身長が高すぎたせいで、僕が勝手にそう聞こえたのかもしれない。
彼は少ししゃがみ、僕に手を伸ばした。
僕は目を見開き、
「さ、触んなっ!」と、彼が差し伸べようとした手を僕は思いっきりどかし、走り出した。
彼はそれを見て冷静に、
「あぁ..いつもこうなる...」とだけ言い、追いかける体勢に入った。
ーやっぱりだ。
彼が友好的な目を僕に向けてなかったのはすぐ分かった。ただ、その手、いや、その指の動きを見て確信がついた。
それは手を掴むのではなく、胸ぐらを掴むための動きだった。
ー痛ぇ...
再び足の痺れを感じて少し減速した。
周囲をちゃんと確かめ、コンマ数秒で戦略を考えた。
僕の背後で男は追いかけてくる。でも、僕の方が速い。
その微妙な速度の差を生かし、角を曲がった瞬間、建物と建物の間にある小さな小道に入った。
バーに来た時に見ておいたものだ。
男はそれに気づかず通り過ぎて、僕は再び道路に出て、その逆方向に走り出した。
「ひとまず安心」と言える前に、遠くに男が立っていることに気づいた。
ー髪の毛がない。
今回はハゲの方に出くわした。
「おいおい。何をそんなに急いでいるんだ?」と、不気味な笑顔で聞いてきた。
僕は返事をせず、引き返した。
でも、後ろを見ると、別の男が待ち構えていた。
ー頬に傷。
これで三人全員か。
「やばいかも..」と、自分の足を見てつぶやいた。これ以上あまり無理できない。
取り敢えず、2人がいない別方向に走った。先ほどの角の戦略を繰り返そうと曲がった時、あるおばあちゃんが奥にいることに気づいた。
そこで、僕の頭は久しぶりに働いた。
※※※
「どこに行った?」と、恐らくハゲの方が言った。
「おい、そこのばあちゃん。ここらへんで変な帽子かぶってるやつ見なかったか?」
この声は、頬の傷の方だろう。
「誰がばーちゃんじゃ、ボケ!!」と、彼女は怒鳴った。
「いや、そういうことじゃなくて...」
「これ以上喋ったら警察に言いつけるわよ!!」と、中年の女性の高く、でも迫力のある声は彼らを難なく撃退してくれた。
彼らがいなくなった隙に、僕はゴミ箱から出た。
勘違いしないでくれ、ゴミ箱と言っても、建物の隣にあるデカい系のやつだ。
「もう行ったわよ」と、彼女はゴミ箱から出た僕をニッコリと見て言った。
「若者を追いかけ回って、ろくな大人じゃないわね」と、彼女は少し辛口で言った。
僕は苦笑いした。
「助かった。マジで感謝するよ、」と、僕は安堵しきった笑顔で言った。
彼女もそれに微笑んだ。
気が抜いてしまったせいか、つい、口が滑ってしまい、
「ばーちゃん」と、加えた。
その瞬間、彼女の顔は優しいおばあちゃんの笑顔から、まるでこの世の恐怖を実体化したかのような、憤怒の形相になった。
「あぁ..」
その顔を見て僕は察した。そして走り出した。
「ここにいるわ!!」と、彼女は男達の歩いていった方に叫んだ。
彼らは振り向き、再び追いかけてきた。
「クッソババア!」と、僕は叫びながらも全力で走った。
彼らと僕ではおよそ70メートルの距離がある。
そして、前方には角がある。
ーそこを回れば僕の勝ち。
走りが数少ない特技の一つである僕にはヤツらは追いつけない。
更に、
前には邪魔な物がない。
足首の痛みも(興奮のせいか)なぜか感じない。
見た感じ、石畳どうしの段差もほぼない。
世界が自分ために走るべき道を作ってくれているとさえ思った。
勝ち誇った笑みを浮かべ、僕は角を曲がった。
だが、曲がった途端、僕は自分の運の悪さを改めて思い知った。
ーマジか...
僕を待っていたのは勝利ではなく、完全なる敗北だった。
「また会ったな。」と、包帯をつけた彼は微笑んだ。
は。ハ...ハハハ..ハハハ......ハァ......。
三匹の大ライオンが僕に近づいてくる。
深呼吸をし、
「くそっ。」とだけ言い残して、僕は意識を失う。




