第40話 滑車
……ずっと遠くで、誰かが話している声が聞こえる。
何人かの男性の声と、ホワホワした女の子の声だ。
「ちょっと竜くん、落ち着きなよ。誰が見てるかわかんないよ?」
「この辺にゃ誰もいねぇだろ」
「いやいや報道ヘリとか来るからさぁ、とにかくちょっと座んなよ」
ああ、そうか、俺は着地の恐怖で気を失ってしまったのか。
……全く、つくづく自分が情けないな。
「おい東条、どうなんだ。薙乃は大丈夫か?」
「大丈夫かどうかで言うなら大丈夫ですよ」
「顔色が真っ青じゃねぇか」
「一時的な貧血ですよ。緊張しすぎてたとか、怖い目に遭ったとかじゃないですか?」
「「怖い目……」」
同時に呟いたのは、柊木さんと箕輪さんのようだった。
「なんだお前ら。なんか心当たりあんのか?」
「あ……、ありますけど……個人情報だから言えませんっ」
「はぁ!?」
「うん、ボクも二人の会話記録チェックしたからあれかなーってのはあるけど、かなりセンシティブな内容だったし、ボクの口からはちょっと言えないかな……」
「はぁあ!?」
「竜くんは管理ログ見る権限あるんだから、後で見ればいいでしょ」
「っ、そんなん言われた後にこっそり見るとかできるかよ!」
俺は、ボスと道角さんのことをぼんやり思い浮かべる。
支局長っていうのは、どの人も、何だか生きづらそうな生き方をしてるよな。
中央には逆らえないけど、一般人にも大きく出られないし、その上局員の面倒から責任まで負わないといけないんだもんなぁ。
ああ、こういうのを中間管理職っていうのか。
父さんがテレビを見ながら「中間管理職だけはやりたくねぇな」なんて呟いていたのはこういう人たちが身近にいたからかもしれないな。
遠く聞こえていた皆の会話が少しずつ近づいてくる。
冷え切って動かなかった指先にも、じわりと熱が戻ってきた。
「気になるなら本人に聞いてみたらいいんじゃないですか? もうすぐ貧血治りますよ」
「東条……、お前貧血治してたのか」
「ええ? 貧血とか治せるものなの?」
「いや、俺も初めてやってみましたが、リンパマッサージの応用みたいな感じで巡力使ったら治せました」
「お前天才だろ」
「東条くんすごいねぇ」
「これで血がダメじゃなきゃ即一軍なのになぁ」
「え、東条さんって血が苦手なんですか? 医療班なのに?」
「ちょっ、言わないでくださいよ!」
「あれ、そういえば東条さんって今日お休みなんじゃなかったですか? 昨日『明日は久々の休みだー』って言ってませんでしたっけ」
「……たまたま近くを通りかかっただけです」
「えっ、この辺って避難指示出てませんでしたっけ?」
「たまたま近くを通りかかっただけですっ」
「柊木ちゃんその辺にしといてあげてよぅ」
「いや柊木はこれ全然悪気ねぇんだよ。ここが怖いんだよな、こいつ」
そこへ、もう一つ女性の声が混じる。
こちらは凛として溌剌とした中に女性らしい美しさを感じる声だ。
話す内容は、いつも少しだけポンコツだったが。
「あれぇー? なんかこのへんピカピカしてると思ったら、何でみんなこんなとこに集まってんの? ゲートはもっと向こうだろ?」
「あらら、斎ちゃんも来たよ。みんなボスが好きだねぇ」
「べっ、別にぃ? 僕はたまたま近くを通りかかっただけだし?」
「それはもう東条くんがやったから」
「なにそれ」
「二番煎じってやつだ」
「なにそれ!?」
「わかんねーのかよ。お前は暇ならさっさと大学行って卒業してこい」
「休学中だから授業ないもーん。僕を正式に雇ってくれたらすぐ辞めてくるよ?」
「辞めるんじゃねぇ! 大卒になってから来いっつってんだよ!」
ああ、何だか安心するな、この感じ。
やっぱり、ボスの側は居心地がいいんだろうな。
だから皆、自然と集まるんだ。
「薙乃くん、聞こえるー? 貧血治したよー」
東条さんの柔らかな声が近くで聞こえた。
俺は、そっと目を開いた。
「あっ、薙乃さんっ、目が覚めてよかったですぅぅぅ、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。心配かけてごめん。それと、危ない目に遭わせてごめん……」
「大丈夫ですよ、こんなのいつものことです」
え、そうか……?
俺ってそんなにいつも柊木さんのこと危ない目に遭わせてるっけ……?
今までのあれこれを振り返ってみる。確かに毎回柊木さんはピンチだった。
「そうか、いつもか……」
思わず凹んだ俺を置いて、柊木さんは周囲を見渡す。
「それより、早く滑車とロープを設置して戻らないとですよっ」
「そうだ! 今何時?」
「えっと、14時半です」
俺は30分も寝ていたのか!?
「ボス、森江支局の皆さん、助けてくださってありがとうございます!」
「なんだ、もう行くのかよ」
ボスはどこか寂しそうに呟くと、俺を抱えてコックピットに戻してくれた。
「滑車とロープって、何するの?」
尋ねる箕輪さんに、俺は収納ボックスから図面を取り出す。
「あ、箕輪さん、ちょっとこれ見ていただけますか」
箕輪さんがほいほいと返事をしながらコックピットに上ってくる。
ボスは何も言わずに俺のシートベルトをしっかり締めると「怪我すんなよ。早く帰ってこいよ」と言って頭をグシャグシャと撫でて去った。
ボスのこういうやり方、何だか父さんに似てるんだよな。
俺は箕輪さんに計画の説明をして、滑車の保持をお願いする。
「わかった、こっちは任せといて」
「お願いします」
「ねーねー、なんで薙乃くんそんなキラッキラになってんの?」
斎賀さんが不思議そうに尋ねてくる。巡力のことだろうか。
「また戻ったら説明しますね」
「ちぇー。じゃあここで待ってるから、早く帰っておいでよぉ?」
斎賀さんと入れ替わるように、東条さんが駆け寄ってくる。
「俺の私物なんだけど、巡力ポーションいる?」
なんだ、本当に皆結構持ってるもんなんだな。
いやでも貴重なことに変わりはないか。
「大丈夫です、持ってます」
俺が苦笑すると東条さんは「そっか、頑張ってね」と笑った。
柊木さんは後部座席につく前に、俺にヘルメットをかぶせて行ってくれた。この二つのヘルメットは繋がってるから、近くでかぶるしかないんだよな。
柊木さんがヘルメットをかぶるのを確認して、俺はロボを起動させる。
各部のチェックをすると、ありがたいことに破損箇所はほとんどなかった。
「柊木さん、まずはロボを戻そう」
「はいっ、いつでもどうぞ」
何だか柊木さんの返事も頼もしくなってきたな。
ロボを元の形状に戻した俺たちは、当初の予定通りに、ロープを滑車に通して滑車を地上に固定した。
ゲートを出たところに、降り場としての足場も作る。
次はこのロープを下まで引いて、カゴと滑車に通して繋ぐ作業だな。
「じゃあ、行ってきます」
ゲートの淵に立つロボの背に4つの声がかかる。
「おう、しっかり気ぃつけろよ!」
「こっちの滑車は見とくからね。頑張ってねー」
「怪我しないようにね」
「早く帰っておいでよぉー」
「柊木さん、行くよ」「はいっ」
俺は、跳びすぎないように気をつけて、小さく跳んだ。
こうして、俺たちはダンジョンへのゲートをもう一度くぐった。




