第16話 敬語
「薙乃さん」
「ん、何?」
見上げれば、柊木さんが背筋をピンと伸ばして俺を見つめていた。
「改めてお礼を言わせてください。先日は助けてくださって、本当にありがとうございます」
ぺこりと下げられた頭に、俺は苦笑する。
「どういたしまして」
俺はただ一緒に逃げただけで、モンスターを倒したのはコンカーだったし、巡力の使いすぎで彼女を危ない目に遭わせてしまっただけのような気もするが、ここは黙って受け取ろう。
「それと、あの……」
彼女の、スカートの前で重ねられた両手にギュッと力が入る。
「あの時は、なにもできなくて、ごめんなさい……」
俺はゆっくり息を吐いてから、尋ねた。
「あの時って?」
「小学生の……私が3年生で薙乃さんが4年生の時。私、薙乃さんの、隣のクラスだったんです」
やっぱりそうか。
俺が飛び降りた4年5組の教室。その隣には3年1組があった。
彼女はあの時、廊下から俺を見ていたんだろう。
「あの時……、あの時私がすぐ先生を呼びに行ってたら、薙乃さんは、そんな体にならなかったんじゃないかって、私、ずっと……」
俯いた柊木さんの手の甲に、ぽたりと雫が落ちた。
……本当に、俺はバカだ。
こんな風に、あの時の自分を後悔し続けてる人は彼女の他にもいるんだろうな。
どうしてあの時、俺は『もういい』なんて投げやりになってしまったのか。
「いや、それは、バカな俺が勝手に飛び降りただけだから」
「そ、そんなことっ」
「あるよ。別に飛び降りなくてもよかったのに、俺が勝手に飛んだ。目の前の事しか見えてないバカだったんだよ、俺は。だから柊木さんが責任を感じるような事は何もないよ」
「……っ……」
柊木さんは、それきり黙ってしまった。
自分を傷つけて、無関係な人まで傷つけて。
俺は、人々を守るコンカーの両親にずっと憧れていたのに……。
だがそれも、小学校に上がるときには無理な願いだと知った。
あの時、100ピッタリの俺の検査結果を見て、両親はなんて言ったんだっけな。
俺は両親ともに高巡力なこともあり、自分も130とか140は出るんじゃないかと期待していたから、ずいぶん落ち込んでいたのに。
……そうだ。思い出した。
母さんは「あらいいわね」って言って、父さんは「完璧じゃないか」なんて言ってたよな。
「なんでだよ! こんな少ないんじゃコンカーになれないじゃないか!」と怒る俺に、両親は「巡力なんて高くてもいい事ないぞ?」とか「将来コンカーにしかなれないだろ」とか言っていたが、それにしても両親共に140超えの高巡力の親から100しかない子が生まれたと知ったら、もうちょっと驚くもんじゃないか?
いや、両親は検査なんかしなくても俺の巡力が見えていたんだろうから、見えていた通りの結果だったってだけか……。
ズシン、と一際大きな揺れに、俺は顔を上げる。
揺れの来た方向へ、よくよく目を凝らせば、ボスらしき巡力と斎賀さんらしい巡力が飛び跳ねているのが微かに見えた。
多分、柊木さんがくれた巡力が俺の中にまだ残ってるんだろうな。
「薙乃さん……?」
「ん? いや、ボス達大丈夫かなと思って」
「皆さん、あっちの方で戦ってるんですか?」
「ああ、まだ皆元気そうだよ」
「分かるんですか!?」
柊木さんは巡力を捉えるのが苦手なんだろうか、ふよふよと俺と同じ方向に視線を彷徨わせてから、また俺を見た。
「薙乃さんって、やっぱりすごいですね……」
そうか? ここからでも見えるのはボス達の巡力が強いからだろう。
現に、柊木さんは近くにいてもぼんやりとしか見えないしな。
「ああそうだ。その敬語はやめてもらってもいいかな」
「えっ、あっ。そ、そうですよね……」
やっぱり、無意識だったんだな。
「うん、俺たち今は同級生なんだし、気軽に喋ってくれたらいいよ」
「は、はいっ! わかりました!」
……大丈夫かな……。と思ったところで、グゥゥと俺の腹が鳴った。
「もしかして、薙乃さんお昼ご飯まだなんですか?」
「それを言うなら朝ご飯な」
「あっ、そうですねっチョーショクですっ!」
言い換える必要あったか……?
俺が首を傾げていると、白衣のうちの一人が声をかけてきた。
「お食事がまだだったんですか、すみません。すぐに連絡しますので、B棟の食堂をご利用ください」
ペコペコと頭を下げて、壁に設置されているインターホンへ駆け寄る若い局員。どうやら食堂で俺が食事を取れるように手配してくれるようだ。
「薙乃さん、食堂の場所ってわかります?」
そんなもの分かるはずがない。俺は布団の上からボスに担がれて真っ直ぐここに運び込まれたんだぞ。
俺が半眼で首を振ると、柊木さんは得意げに胸を張って「じゃあ私がご案内しますね」と笑顔で言った。
……敬語が抜けそうな気配が微塵もないな。




