第12話 違う景色
俺はベッド脇のショルダーバッグに素早くスマホを詰め込むと、しっかりチャックを閉めて肩から下げた。
「準備はそれだけでいいのか?」
尋ねるボスに、俺はちょっとだけ考えてから頷く。
移動や着替えに時間のかかる俺が、もたもた顔を洗ったり歯を磨いたりしてたら、ボスにはここで一時間以上待ってもらう事になるだろうしな。
「んじゃ、ちょっくら移動すんぞ。薙乃、舌噛むなよ」
ボスは、言うが早いか俺をヒョイと抱えてベランダから跳び立った。
息ができない。
顔に当たる風は、もはや痛いレベルだ。
トン。と軽い足音とともに風圧が消える。
ここは……うちのマンションの屋上か?
「ほい、メットかぶっとけ」
ボスが、マンションの屋上に置いていたらしいヘルメットを拾い上げると、俺の頭にむぎゅっと被せた。
フルフェイスだ。これなら風圧もしのげそうだとホッとする。
「大丈夫だな?」
ボスが心配そうに俺の顔をじっと覗き込む。
「はい」と答えた瞬間、またボスが跳躍した。
ああ、今度は目が開けられるし息もできる。
眼下にはいつも暮らしている町。
それが、こんな一瞬で近づいて、また離れていく。
日曜の朝の町はいつもより静かで、思ったよりも犬の散歩をしてる人が多い。
家々の屋根は朝日にキラキラと輝いていて、まるで海のようにも見えた。
やっぱりコンカーっていうのは、俺達とは見える世界が違うんだな……。
いなくなってしまった両親も、祖父も、俺とは違う景色を見ていたんだろうか。
俺や叔父さんには見えない、景色を……。
「そういや薙乃は高いとこ平気だったか?」
ボスの言葉は、こんな風の中でもハッキリ聞こえる。
「それ、今聞くの遅すぎるんじゃないですか?」
「ははっ、それもそーだな!」
そんな風に毒気なく笑われてしまうと、こちらも苦笑せざるを得ない。
俺は、飛び降りをした奴にしては珍しく、高所恐怖症ではない。
というよりも、半ば強引に克服した。
あれから、高い場所で足がすくむ事は度々あったが、そんなことを言えばマンションの七階に住む叔父さんが引っ越しを決意してしまいそうで、ひたすら平気なフリをしているうちに平気になってきた。
あの部屋は叔父さんの両親が住んでいた部屋で、叔父さんには思い出も愛着もある。
俺だって、小さい頃よく預けられていた婆ちゃんの家を手放されたくはなかった。
「あれが目的地だ」
ボスの指差す方を見れば、川沿いの広い敷地に何棟もの建物が並んでいる。
見ている間に、ぐんぐんとその建物の中の1つが近付いてきた。
ボスが「おーし、着いたぞ」と言って、トンと着地する。
これだけの速度で跳んできて、どうしてこんなにも軽く着地できるんだろうか。
「ここが森江支局ですか……?」
俺は、ボスの片腕に抱えられたまま、建物を見上げた。
10階以上はありそうな大きなビルだ。
ボスはその入り口に向かっている。
「森江支局の、3つある研究棟のうちの1つだな」
こんなのがまだ2つもあるのか……。
"支局"なんて言うけれど、俺が思うよりもずっと、それぞれの規模は大きいようだ。
「柊木さんは元気ですか?」
あの後、夜に柊木さんの意識が戻ったという連絡だけはもらっていたが、それからは連絡がなかった。
「ん? 柊木が元気になったから、俺がお前を朝から迎えに行くって連絡したろ?」
ボスに言われて、今朝スマホで一瞬目にしたメッセージ通知の内容を知った。
「それ、何時に送ったんですか」
「んー……、2時過ぎだったかなぁ」
それで7時に迎えに来るとか、この人たちは一体いつ休んでいるんだろうか。
文句を言おうとした俺だったが、それよりボス達の勤務時間の方が心配になってきた……。
ボスは俺を片手で抱えたまま、二重ドアの入り口を抜け、指紋認証らしきゲートをくぐり、巡力認証の厳重なロックを通ると、薄暗い通路に差し掛かった。
「ずいぶん広いんですね……」
「まあ、地下だとここが一番広いな」
地下……?
途中エレベーターや階段のようなものはなかったが、いつの間に地下に移動したんだろうか。
俺はここまでの経路を思い浮かべる。
「ああ、あの巡力ロックのとこですか」
そういえば、あのゲートを通った時、一瞬重力を感じた気がする。
「よく分かったな」と片眉を上げたボスが、何かを考えるように口元に拳を当てた。
「……薙乃は巡力いくつだ?」
「俺は100ですよ」
「ふぅん。100な……」
……なんかボスがやたら訝しげに俺を見てるんだが?
まあ、小学校の入学時に測って以来ずっと測っていないので、今はもっと減ってるかも知れないが。
巡力はIQと似たような表記で、平均値が100とされている。
110もあれば多いほうだし、120以上の人はモンスターに狙われやすくなる。
そして130を超えると、協会から連絡が入る。
一般的には歳を重ねるごとに減るものなので、ほとんどの人が小学校の入学時に一度測ればそれで終わりだ。
俺が今の実力より高い数値を口にしてたとしても、そんなの一般人なら皆そうだろう。
プシュッと空気の音がして、通路の端の扉が開く。
そこは体育館ほどの広い室内を全周をぐるりと金属で覆われた、不思議な部屋だった。
部屋の中央には、車椅子エレベーターロボと、たくさんの機械……計測器のようなものが多そうだ。その周りに20人ほどの人が集まっている。
背後でシュウウウと音を立てながら扉が閉まる。
なんだ……? この部屋は気圧が管理されている……?
「なあ、お前もう一度……」
ボスが何か言い始めたところに、元気な声が重なった。




