プロローグ2.風速50センチメートル
五月晴れの通学路を並んで歩く、さえない兄と華のある妹。
先月から2年ぶりに、同じ制服を着て登校している。
「それにしても、今日は絶好の小春日和だね、お兄ちゃん」
「···あぁ、そうだな」
雲ひとつ無い青空を仰ぎ見る妹を横目に見ながらの空返事。
お前、小春日和の使い方間違ってるからな。
まぁ、今日の太陽みたいなお前の笑顔に免じて、野暮なことは言わないでおくけどさ。
「もぅ、ちゃんとツッコミいれてよね。小春日和は晩秋初冬の温暖な天気のことでしょ」
呆れた顔でこちらを覗き見ながら。
「あれ?もしかして知らなかった?これぐらい一般常識だよ」
そしてこの、人を小馬鹿にしたドヤ顔である。
おそらくつい先日身につけたばかりであろう、その付け焼き刃の知識をひけらかしたかっただけのようだ。
2年長く歩みを進める者の立ち振る舞いとして、ここは穏便に受け流してやろう。
「へー、そうなのかー、それは知らなかったなー、円香のおかげでまた少し賢くなれたよ」
棒読みの返事を聞いた彼女は、ニカっと笑顔を向けたあと、満足げな鼻歌交じりに少し歩調を速め、ぴょんと路肩の縁石に跳び乗った。
昔から、小学生のときから変わらない、ある種彼女の癖のようなもの。
ある時は、影の上しか歩けない、だったり。
またある時は、石蹴りをしながら歩いてみたり。
誰しもが一度は経験したであろう、そんな遊びを、妹は高校1年生になった今も続けている。
そしてどうやら今日は、地面を歩けないというルールなのだろう。
平均台の上を軽やかに渡るその背中を、これまたいつものように押してやろうかと思ったが、歩みに合わせて揺れる目の前のミニスカートの存在が、俺にそれを思い留まらせる。
「そんなとこ歩いてたら、パンツが見えちまうぞ」
ここは、男としてではなく、兄として忠告しておいた。
一応の責任は果たしたので、これで仮に見えてしまっても、それは断じて不可抗力である。
見えたのであって、覗いたのではない。
これは大変重要なポイントだ。主に裁判とかで。
「べつにいいよ〜、カワイイの履いてるし」
可愛ければ見られてもいいというその発想は、兄としては少々複雑なものである。
もちろん、男としては大歓迎だが。
「お兄ちゃん、もしかして、見たいの?」
サキュバスと例えるには幼すぎる笑顔で、挑発するようにスカートに手を掛ける。
「ほれ、ちらり」
「お前の下着なんざ見えても嬉しくねーよ」
当然、嘘だ。
見えたら嬉しいに決まっているだろう。
別に見られても気にしないなら、さっさと見せてくれ。
どうした、もっと大胆に捲らないと見えないぞ。
と、そのとき、俺の欲望が春の空に届いたのか、一陣の風が吹いた。
春一番には間に合わなかったが、この春1番のいいタイミングで吹きすさぶ神風。
お尻までの視界を遮るその布地の壁が、ふわりと重力を振り切って浮き上がった。
そして姿を現したのは、オレンジ色のデルタ地帯。
魔性のトライアングル。
ご本人の証言通り、フリル付きの可愛らしいパンツだった。
「うわっ、ちょっ、今の見たっ!?」
「見てない見てない何も見てない、オレンジ何て知らない」
兄は呼吸をするように、妹に嘘をつくことができる。
罪悪感は、とうに無い。
「なんで見てないの、ちゃんと見ててよ!」
え?なになに?どういうこと?この子痴女なの?
男に下着を見られて喜ぶ露出狂だったの?
「違う違う、私のじゃなくてあの人のパンツだよ」
人差し指の向こうには、俺たちと同じ格好をした女子が一人。
「あー、あれは俺のクラスの委員長だぞ」
中学1年からこれまでの6年間、ずっと委員長を務めているいわゆる真面目系女子。
才色兼備で人当たりが良く、我が校の男子の間でもっぱら大人気である。
そしてそれ以上に、女子からの人気が凄まじい。
要するに、非常にモテモテなのだ、その御方は。
「んで、その委員長のパンツが何だって?」
「なんとなんと、黒のTバックだったんだよ!」
なにぃ!?黒のTだと!
真面目系委員長が黒のTバック···
この世界もまだまだそう捨てたものではない、ということか。
くっそー、見たかったなー。
「くっそー見たかったなー」
「カギ括弧付けて欲望丸聞こえだよ、お兄ちゃん」
「仕方ない、タイムマシンでも造って過去に戻るか」
「発明動機が不純にも程があるよ」
「あぁぁ〜なんかすっげー損した気分だな〜もう今日はやる気でねーし帰ろっかなー」
「急に萎えすぎでしょ。とりあえず、私ので我慢してよね」
そう言って再びスカートに手を掛けたところを、俺は黙って手で制した。
別に、パンツを見たくなかったわけではない。
はっきり言って、見たかった。
見たくないわけがなかった。
ただ、後ろから聞き覚えのある野郎の声が聞こえてきたのだ。
ちっ、邪魔してんじゃねーよ、失せろ。