銀の女王(Ⅱ)
悠理は西・クレスウェルの王女として生を受けた。といってもその頃の記憶はあまりない。狭い部屋と限られた使用人、ふらっと現れる母。それだけだ。三歳の時に華胥に渡り、以降は深和帝の第二公主として養育された。純血貴族の母后から生まれたように偽造するため、年齢は二歳若く公表された。それゆえに、表舞台に出る時には身長を小さく見せたり、年相応の教育を受けているように思わせなければならないので、少し骨が折れる。
内乱で亡くなった父帝の兄姉、その子らを義兄姉と仰ぎ、拳で語ることが多い母后に手解きを受け、幼いうちから父帝に帝王教育を施されて育った悠理は、家族のイイところばかりを受け継いだ。
即ち、賢く、美しく、腹黒く、強く、腹黒い少女になっていた。
『ねぇ悠理、暫く西に行かないかい?』
父帝がそう告げたのは、悠理が戸籍上で十、実年齢で十二になって一か月が経った日のことだった。いつもの如くふらっと部屋に現れた父帝に一瞥もくれず、悠理は手元の刺繍を続ける。
『お父様、譲位した方がよろしいのではなくて? 随分耄碌されたみたいよ?』
『父は娘の言葉で傷ついた! ……西からの依頼だよ』
『お母様の? 一体何を依頼されたのか存じませんけれど、頑張ってくださいませ、とお伝えなさって』
『悠理、せめて内容を聞く姿勢を見せてほしいなー』
『どうせ、格差社会を是正するのを助けてほしい、辺りでしょう? 面倒ごとは回避するに限ります』
『流石は我が娘。大方合っているよ。王妃として即位し、義妹を女王に相応しい器に育ててほしいとのことだ』
『王妃として?』
ここで悠理は刺繍の手を止めた。
『ねえ、お父様。謀りを許可していただけるかしら?』
『内容に依るねえ』
『この機会に、西を手に入れてもいいかしら?』
穏やかな口調と顔には見合わない、物騒さを以て悠理は答えた。父帝は顔色を全く変えない。この提案をされることは想定済みか、と思うと面白くない。
『手に入れる、とは具体的には?』
『属国と致します。海に隔てられているから、州として組み入れるのは非合理的ですもの』
『そうだねぇ。内政・外交に関して我が国の顧問を置く辺りが望ましい』
『......腹立たしいわ。お父様、私に提案をさせただけで、筋書は出来ていたのでしょう?』
父帝は微笑み答えない。
『私は何ら思い入れはありませんけれど、お父様は? お母様に甘いお父様が、お母様の国を属国とすることを許すなんて、驚嘆に値しますわ』
『――ジュディスのことは今も大切に思っているよ。彼女に救われたのは事実だ。悠理を授けてくれたことも、感謝している』
あぁ、と悠理は呟く。理解した。
父は、為政者としての母に価値を見出さなかったのだ。
『――成人の宴までには帰ってきなさい。あちらでは、実年齢で動けるからね』
「承知いたしました、皇帝陛下」
悠理は臣下としての礼を捧げた。
それから慌ただしく準備が進められた。替え玉として、同じリヴァノフ一族の血を引く總盈州王女を召喚し、手掛けていた事業を家族や残していく側近に割り振った。
「初めは東の方の国からじわじわとね」「宗教の弾圧は必要か?」「やめておこう、遺恨を残す」「交易の中心地に影を潜り込ませて」「クレスウェル王家の内情を可能な限り詳らかにすれば、あとで交渉の材料になります」「いっそ悠理の血筋以外を排除してしまったら?」「流石にそれは現国王たちが止めるだろうな、そこそこに警戒しているようだったし」「第一、私、あの地に長居するなんて御免でしてよ」「妹をうまく抱き込むことね」「信望者作りに励むんだな」
西を支配下に置くのは、一代又は二代後と定められた。外部からの攻撃ではなく内部からの浸蝕を狙っているから、時間がかかるのは仕方がない。
「ついでに男女観を直してくればいいのでしょう?」
西からの要求をついでと言い放ち、悠理は海を渡った。
それが、六年前のことである。




