銀の女王(Ⅰ)
雲ひとつない晴天である。
「陛下、準備はよろしいですか」
声をかけられて、オリヴィアは頷く。王笏を杖として椅子から立ち上がると、二人の侍従がマントを持ち上げた。背丈よりも長いマントは宝石をちりばめていて重く、頭に被った王冠も相まって潰れそうだった。これでも姉のものより軽いというのだから、やはり姉には頭が上がらない。
「オリヴィア女王陛下のおなーりー!」
高らかな声と音楽が鳴り響く。オリヴィアは唾を飲み込み、バルコニーに足を踏み出した。まず視界に入るのは、空の青。しずしずと手摺まで歩み寄ると、民の姿が見えた。音楽が止み、沈黙があたりを包んだ直後、鼓膜を割らんばかりの歓声が押し寄せる。
「女王陛下ばんざーい! オリヴィア陛下ばんざーい!」
1年半前に参列した姉の即位式よりも歓声が大きい。オリヴィアは聊かむっとした。あの時は姉の功績がまだ民に知れ渡っていなくて、喜びよりも戸惑いをもって姉は玉座に座ったのだ。様々な改革を経て、歴代最高の王と称された姉は惜しまれつつも退位し、代わりにオリヴィアが位に就いた。オリヴィアの功績は少ないのにこんなに歓声が上がるのは、姉の政策を続ける、と公言したからだろう。自分に向けた賛辞の内、大半が姉に向けられたものであるとオリヴィアは知っている。
オリヴィアはひとつ溜息を吐いた。これから、姉のように頑張らなくてはいけないということが恐ろしい重圧として圧し掛かってきた。勿論、潰れるつもりはない。姉が示した新たな道を繋いでいくのが、オリヴィアの仕事だ。
オリヴィアは笑みを浮かべ、民に向かって手を振った。
ーお姉様、安心してください。
オリヴィアは心の中で呟く。
ーまだまだ問題は多いですけれど、お姉様が作ったこの国は、必ずやあたくしたちが守り抜いてみせます。
もう、姉は華胥に着いただろうか。
***
華胥國皇都、初華。
初夏の風を感じる皇宮に、悠理は裏門からこっそりと侵入した。数年ぶりであっても足取りに躊躇いはない。迷路のような道を抜けると、記憶の通り、藤が咲き乱れる庭園に出た。
そこには先客がいた。猫を膝に抱き、揺り椅子で狸寝入りする様は、一幅の絵のようである。1年前に見た時にも感じたが、やはり不老ではないだろうか。三十路だというのに皺がない。
「――挨拶の前に凝視なんて、父の美貌に見惚れてしまったのかい?」
「馬鹿は休み休み言ってくださいませ――只今帰りました、お父様」
「あぁ、お帰り、悠理」
悠理は父帝の向かいの椅子に腰かける。父帝の揃いの銀の髪がさらりと揺れ、眼帯に覆われた左目が露わになった。
「長いこと髪を染めていたから、随分傷んでしまいましたわ。嗚呼悲しい」
「父も一年前に髪を染めてから随分傷むようになったよ。全く誰のせいやら」
「年のせいでは?」
「娘が辛口すぎる!」
わーん、と父帝は嘘泣きする。それを無視して、悠理は鞄から書類を取り出した。指の隙間からザッと目を通し、父帝は気怠げに腕を下ろした。
「不足はないようだね。とはいえ、去年の騒動の尻拭いはこちらでも手間取ったから、その分の働きはしてもらうよ」
「心得ております」
「既に六花から話は聞いているね」
「ええ。十分に影武者の役割を果たしてくれたようですね」
「あぁ。そなたの月に一度の指示だけで、よくこなしてくれた。父も悠理に割り振られた仕事をして疲労困憊だよ。褒めてくれてもいいんだよ?」
「それで、戻る日の調整と六花への報奨ですが」
「完全無視! 父はとても悲しい」
「手筈通りに行います。問題ありません」
「よかったよかった。父は安心したよ」
さて、と父帝は悠理と視線を合わせた。
「悠理。六年に及ぶ遊戯は、楽しかったかい?」
悠理の唇が弧を描いた。三日月のように細められた瞳からは、隠し切れない愉悦が滲み出ている。
「――ええ、お父様」




