女教皇の我儘
会場を出ると、新たな女王は協力者に礼を述べ、夫のユージンとオリヴィアを傍らに従えて慌ただしく去って行った。華胥國皇帝一家は観光に戻るとのことで王宮を後にし、部屋に残されたのは上王夫妻と教皇であるカーラと、王都司祭だけだった。
「久しいな、ジュディス」
「あぁ。カーラ、そなたも変わらぬな」
「早々に変わらぬさ、妾は」
答えると、愉快そうにジュディスは口角を上げる。
「そなたの娘、随分と面白く育ったなぁ。こちらに初めて来たときは、やけに気の強い、綺麗ごとが好きな娘としか思わなんだ」
「......皓月の育てが良かったのだろう」
皓月とは誰だ、と言いかけて、華胥國皇帝の字であることを思い出す。
正直、ジュディスと皇帝、上王ふたりの関係は、カーラにはよくわからない。愛と呼ぶには歪な関係であると思っているけれど。
「――なぁ、ジュディ。久しぶりに聖都を出てきた旧友と、酒のひとつでも飲み交わさないか」
ジュディスは口元を綻ばせる。
「いいだろう。早々に潰れてくれるなよ」
「その言葉、そっくりそのまま主に返すわ」
ふたりは紫の瞳を見合わせ、忍びやかに笑った。
***
カーラ・ファロンはリリエンソール侯爵の娘として生を受けた。父親違いの姉はカーラより年上の息子を産んでいたし、父の爵位の跡取りとして、同父の兄が嫁を迎えていたから、カーラはどこかに嫁がなければならなかった。けれど、嫁入りに相応しい家柄の子息は年齢が釣り合わなかったり、跡取り娘がいたりで婿入り希望だったので、カーラの婚約はなかなか決まらなかった。
困った両親は、ジュディス王女の――次期王妃の話し相手として、カーラを王宮に放り込んだ。名家の子息がカーラに目をつけることも期待していたのだろう。
けれど、カーラはジュディスが大っ嫌いだった。それはもう、頭に大が10個つくくらい、大っ嫌いだった。何しろジュディスはぼんやりしていることが多くて、話しかけても、反応が鈍かったのだ。元から遊びまわることが大好きで、世界の中心はわらわ!と育てられたカーラとの相性は推して計るべし、といったところだろう。最初の半年くらいは、何とかして王女と令嬢を仲良くさせようと双方の従者が試みていたけれど、カーラは全力で逃げ回ったし、ジュディスはやっぱりぼんやりしていた。
そんなふたりの関係が変わり始めた日を、カーラは今も覚えている。
カーラはその日、午後から王宮に行く予定だった。けれど、お昼ご飯の野菜が多くて気に入らなくて、早々に家を出たのだ。曲がりなりにも王女の友人として王宮に参内しているので、毎度一瞬で終わらせている挨拶をしようと、ジュディスの部屋へ向かった。
「リリエンソール嬢、今は......」
「何よ、わらわに逆らう気!?」
「いえ、そういうつもりでは」
カーラが足を止めたのは、護衛の制止があったからではない。僅かに開いた扉の隙間から、ジュディスの他に、知らない男子が2人いたからだ。初めはお化けかと思った。それほどまでに、ふたりの顔は、よく似ていた。
「ジュディ、何度も言っているだろう? 王女である君が王宮を出るなんて許されない」
「他の令嬢と同じようで構わない。貴族街だけでも、王宮の外の森を見るだけでもいいんだ」
「ジュディ、わかってくれ。君は王女だんだ。他の令嬢とは違うんだよ」
代わる代わるジュディスは諫められた。そうしているうちに、いつものようにジュディスの瞳が温度を失っていくのを、カーラは見た。思わず後ずさったカーラは、ドレスの裾を踏んでしりもちをついた。大きくはないが無視できない音が響き、カーラは自分でも分からぬまま青ざめた。
「――おや、リリエンソール嬢。ジュディスと話しに来たのですか?」
にこやかに微笑みながら少年が差し伸べた手を、カーラは半ば反射的に振り払っていた。
「――カーラ。遅かったな」
「ジュ、ディ」
「早く部屋に行こう。一昨日の話の続きを楽しみにしていたんだ」
全く楽しみではなさそうな顔でジュディスは言って、カーラを助け起こした。
「また来週」
「「はい、王女さま」」
瓜二つの顔で、男二人は同時に頭を下げた。
「すまないな。話が長引いて」
「あの、人たち。誰」
「ビアズリー公爵の息子だ。フィリップ・アスターと、パトリック・アスター」
「あんたの婚約者?」
「そうだ」
淡々と言って、ジュディスは口を閉ざした。隙間から見えた紫は、今は明るさを失っていた。
「......ねえ、外に出たいの」
「あぁ」
いつもと変わらぬ口調で、ジュディスは答える。
「じゃあ、わらわと一緒に出掛けましょう」
「......は?」
この時初めて、ジュディスは無以外の表情をカーラに向けた。
「な、何を、言って」
「わらわはわがままなのよ。友人の王女様が誕生日会に出てくれないなんて、死んでも嫌よ」
ちょうど二週間後が、カーラの誕生日だった。
「そ、れは......だが」
「出たいの、出たくないの、どっちなの」
口をももごもごさせた後、ジュディスはぽつりと呟いた。
「......外に、出たい」
「いいわ、決まりね」
「いい、のか」
「はあ?」
「私たちは、仲がいいというわけでもないのに」
ふん、と盛大にカーラは鼻を鳴らす。
「わらわは、嫌いなやつが自分よりずっとずっと狭いところしか知らないなんて、嫌なのよ。弱い者いじめしてるみたいじゃあないの」
分かったような分からないような顔をして、ジュディスはそうか、と言った。
家に帰ったカーラは、姉と父と母の目の前で、子供のように駄々を捏ねた。地面にひっくり返って手足を振り回し、ジュディスが来ないとわらわは9歳になれない!と暴れるカーラに音を上げて、両親は国王夫妻に王女の出席を依頼した。婚約者があれほど言っていたのがウソのようにあっさりと外出許可が出て、ジュディスはリリエンソール邸に来ることになった。
「お招きいただきありがとう、カーラ」
「こちらこそ、いらしてくださってありがとう、ジュディス」
ジュディスの瞳は今まで見たことがないくらい輝いていた。嬉しそう、と瞳だけで伝わる。
「ねえ、どうだった」
「......きれいだな」
「はあ?」
「街。人が、生活している場所。庭師、使用人、侍従、貴族。その息遣いが、街にはある」
馬車の中から見える景色なんて限られたものだろうに、ジュディスは嬉しそうだった。
「ねえ、今度は街に行きましょうよ」
「いいのか?」
「うん。あんた、いつもよりずっといい顔してるもの」
そうか、とジュディスは呟いた。
それからジュディスとカーラは、我儘という武器を活用して、月に一度ほど街に繰り出した。勿論男装して、だけれど、初めて街に降りた時は、あんまりにもジュディスが興奮してあちゃこちゃの店で足を止めるので、はぐれないようにするのが大変だった。経済や政の勉強を密かにしていることを、カーラは街に降りた時の会話で知った。
「――子だけ産んで死ぬだけなんて、つまらないじゃないか」
カーラは何も言えなかった。そうあるべきと運命づけられたものに異議を唱える勇気も、疑問を抱くだけの違和感も、持っていなかったからだ。それでもジュディスがやりたければやればいいと思っていたし、負けるのは癪なので、カーラも勉強するようになった。
その矢先のことだ。
王宮に遊びに来ていたカーラは、ジュディスとの約束があったのに、王宮から追い出された。何やらきな臭い、と思いつつも、王妃様のご命令です、と言われたら、引き下がらざるを得なかった。そんなことが1回、2回、と続いた。
「――ねえ、何があったの」
1か月ぶりにようやく会えたジュディスは、変わり果てていた。光を宿すことが増えていた瞳は、出会ったころと同じようながらんどうの瞳になっていたし、表情も動かなかった。
「ジュディス。ジュディ。ねえ、ねえったら!」
首がもげるんじゃないかというくらい前後に勢いよく振って、ようやくジュディスは口を開いた。
「私が—―私がしてきたことは、無意味だった」
「は?」
「経済も政も法も、わかったって使えるところなんてないのに」
私が愚かだったんだ、と呟く声は絶望に彩られていた。
「――ばっかじゃないの!?」
「カー、」
「使えないでしょ、そうよ! 何当たり前のこと言ってんのよ、あんたが国を変えたいから始めたことでしょ!? 挫折したからって、絶望すんじゃないわよ!」
「......」
「馬鹿ジュディス! もう知らない!」
勢い任せに言って、カーラは部屋を出た。
まさか、その日のうちにカーラが聖都に行くことが決まっていたなんて、夢にも思わずに。
西へ5つ、南へ1つ国を越えた先に、聖都はあった。デビュタントを前にして、奇怪な行動をとる次女を持て余した両親が、教皇候補としてカーラを送ったことは、すぐに察せられた。抜け出すことは許されず、手紙を送ることもできない状態の中で、カーラは早急に教皇になってジュディスに会いに行くことを決めた。
――待ってなさいよ、ジュディス。
誓いを胸に拳を突き上げた聖都の空は、今日も青い。




