二代目女王が秘めること(Ⅰ)
「は? お母様に娘?」
オリヴィア・リリー・クレスウェルがそれを聞いたのは、着替えをしているときだった。伝えに来た侍従は竦みあがっている。オリヴィアは詳細を尋ね、情報が得られないとわかると侍従の頬を打った。
――お母様に会わなければ。
オリヴィアは王位継承権第一位の姫なのだ。その座を奪うなど、許さない。
「オリヴィア。どうした」
現王妃ジュディスは、オリヴィアの叔母にあたる。オリヴィアの母は、オリヴィアを産んで亡くなり、父はオリヴィアが5歳になった頃、馬車の事故で帰らぬ人となった。娘のいない叔母がオリヴィアを養子とし、以降王宮で育てられた。
「いきなり訪ねた無礼、お詫びいたします。ですが信じられない噂を耳にしましたの」
「ほう」
「お母様に実の娘がいると。あたくし、このような出鱈目を吹聴する者はその舌を引っこ抜いてしまうべきだと思うのですけれど、いかがです?」
「過激だな、オリヴィア。そして一つ訂正しようか。噂は事実だ」
オリヴィアは眉を吊り上げた。
「一体いつ姫を御生みになったというの? あたくし、お母様が妊娠していらっしゃるところ、見たことがなくってよ」
「それはそうであろうな。あの子を産んだのは、私が15の時だ」
「は?」
オリヴィアは目を見開く。ジュディスは現在28歳。オリヴィアは8歳なので、その姫はオリヴィアよりも年上ということになる。
「おかしいわ。15といったらお母様はご結婚されたばかりでしょう」
「そうだな。婚姻前に関係を持った男との間の子だからな」
「お父様の子ではないのでしょう? 王位継承権を認めず、捨て置いた娘を今更王女としようだなんて、無理でしょう」
自信満々に言い放つが、ジュディスは否、と首を振る。
「王位継承権は認めているし、戸籍にも記載している。貴族にも平民にも周知していないが」
「どういうことです、お母様! あたくしが王太女になるはずでしょう!?」
「私は王位継承についてなんら明言したことはない」
「お母様!」
「いい機会だから、あの子に会っていくといい」
「お断りしますわ! 父親も知れぬ女と会うなんて、真っ平ごめんでしてよ!」
「皇族だ」
「は?」
「あの子の父親は、他国の皇族だ。公的に身分を明かさないでほしいと言われてはいるが――こんなものを持てるのはよほど身分が高い人間だと、そなたもわかるだろう?」
引き出しから取り出されたのは、瀟洒な彫刻がされた、見慣れぬ装飾品だ。一目で高価な品とわかるそれを前にして、オリヴィアはぽかんと口を開けた。
皇族の父。王妃の実の娘。オリヴィアよりも年上。
ジュディスが何か言っていたが、オリヴィアの耳には入らなかった。
「――っ、認めません」
「オリヴィア?」
「あたくしは、絶対に認めませんっ!」
言い捨てて、荒々しく部屋を出る。
その日から、ジュディスに呼び出されようと、国王に呼び出されようと、オリヴィアは頑として部屋を出なかった。
「よっこいせ」
窓を開けて涼んでいたオリヴィアは、聞きなれない掛け声にバルコニーの方へ視線を遣った。そして目を見開く。
「あ、あなたがオリヴィア? 初めまして、私はユリアーナ。あなたのお姉様! です!」
天使の輪をなす闇色の髪と、不釣り合いな質素な茶色のドレスを葉っぱまみれにして、その女は立っていた。
状況が飲み込めず立ち尽くすオリヴィアと従者を無視して、バルコニーから部屋の中に入ってきた女は、我が物顔で従者にお茶を頼み、オリヴィアの向かいの席に座った。
「びっくりさせちゃったかしら。あなたが部屋から出てこないものだから、力尽くで入るしかなくって。あ、安心してちょうだい、あそこの木に巣を作っていた鳥は傷つけていないから」
従者が供したお茶を飲み、女はにっこり微笑む。
「改めて自己紹介を。私はユリアーナ・ウィステリア・クレスウェル。現王妃ジュディスの娘です」
「......あ、あなた! どこからはいってきたの!? 無断で侵入するなんて......!」
「そこの木に登ってから、バルコニーの手摺り目掛けて飛び降りたのよ。こちらに来てからは初めて木に登ったわ。父上には怒られてしまったけれど」
「方法を聞いてるんじゃないわよ! 何が目的!? あたくしから王太女の座を奪おうなんて、100万年早いのよ!」
「あらまあ、100万年も早いの? 待っている間に死んでしまうわね」
「たとえよ!」
ぜーぜーと肩で息をつく。なんだこの女。やけに体力を削られる。
女は静かにカップをソーサーに置いた。混じりけのない紫の瞳が、ひたとオリヴィアを見据える。
「――オリヴィア・リリー・クレスウェル。私はあなたと話をしに来たの」
「っ、あたくしは話すことなんて」
「あなたになくても私にはあるわ」
有無を言わさぬ口調に、オリヴィアはユリアーナを睨みつけながらも、その話を遮ることはしなかった。逆らえないような圧力を、この女は持っていた。
「まず、聞かせてほしいの。あなたがこの国の価値観を――男女観を、どう思っているのか」
「男女観?」
「女が貴ばれながら、実権を持たないこの状況」
オリヴィアは眉根を寄せた。当たり前のことを言われているだけなのに、なぜかこの女の言い方が気に障る。
「女が少ないんだから当たり前でしょ。男は働いて女を守るのよ」
「爵位継承の要は女なのに?」
「......だってそれは、女が家の中にいないといけないから」
「何故? 女は尊いはずでしょう? 何故外に出るのに男の許可がいるのかしら。なぜ行動のひとつひとつに男がついて回るのかしら」
「それはっ......だって、そういうものでしょう!?」
説明できず、苛立ちながらオリヴィアは叫ぶ。
「何故? 女が真実尊いなら、その行動は制限されないはずでしょう? なのにどうして女は財産を持てず、政に参加できず、教育を受けられないのかしら」
「必要ないからよ! すべて男がやってくれるわ!」
「必要ない、ね。確かにそうかもしれない。何もせずぐうたら生きられるなら、それは楽でしょうね」
「そうよ! だからあたくしたちは偉いの!」
「女は偉いと、あなたは思っているのね?」
「事実じゃない」
「では、偉いはずの女は、どうして男よりも無知なのかしら。男よりもできることが少ないのかしら」
オリヴィアは目を見開いた。
「そこのあなた。オリヴィアの侍従ではなく補佐官ね? クレスウェルの法第五章第二項を知っていて?」
「......はい」
「諳んじてごらんなさい」
「......王立学園の入学者は、貴族令息、又は一定以上の寄付金を納めた平民の男に限る者とする」
「正解。ねえオリヴィア、あなたは法を諳んじて、と言われて諳んじることが出来て? 下等とあなたが蔑む男ができることを、あなたはできて?」
「......っ、うるさい!」
「あら、私の声量はいつも通りよ?」
「うるさい、うるさいうるさいうるさい! 出ていけ! ここはあたくしの部屋だ!」
「では、今日はこれでお暇しましょう。よい午後を」
にっこり笑って立ち上がった女は、やっぱり木から帰っていった。
「......なんなのよ」
その姿が見えなくなり、オリヴィアは苛立ちのまま呟く。
――偉いはずの女は、どうして男よりも無知なのかしら。
「......うるさい」
いなくなった女に向かってオリヴィアはまた呟いた。




