元第三国王が願うこと
「......ここが流刑地?」
「はいそうですー頑張ってくださいー」
流刑地まで運んだらそのまま商品売買で別の土地に行くという商人は、困惑するジェレミーを置いてさっさと馬車を走らせた。
「......どう見ても貧民街じゃねえか」
荷物ひとつ持つこと許されず、身の着のまま着いたのは、王家直轄領ドゥルイット—―その領都の孤児院だった。
「いやあすみませんね、若い方に来ていただいて......」
「危ない!」
孤児院を仕切る司祭は、いまにもぽっくり死にそうな老体だった。早速階段から転がり落ちそうになり、慌てて受け止めてぎょっとする。なんだこの枯れ枝。手を握っただけで折りそうなんだが。
「あーっ! 司祭様いじめられてるー!」
「なんだって」
そこにやってきたのは孤児たちだ。ぎょっとして顔を上げると、わらわらと子供たちが集まってきている。
「いじめはんたーい!」「司祭様を離せ―!」
「おお、子らよ、この方はわしを助けてくださったんじゃよ」
「えっそうだったの」「誤解してごめんなさい」「あっもしかして、あなたが新しい先生?」
「は? え?」
「そうじゃよ、この方が王都からいらしたジミー先生じゃ。仲良くするんじゃぞ」
「はーい」「ジミー先生彼女いるの?」「ジミー先生遊ぼう!」
「触るな!」
語気を荒げると、子供たちはびっくりしたのかその場で止まった。沈黙を破ったのは、老司祭である。
「お前たち、いきなりだと先生も驚くじゃろ。いったん部屋にお戻り。わしは先生と話すことがあるから」
「わかったよ!」「司祭様、早く戻ってきてね!」
ばたばたと、子供たちが中に戻っていく。それを見送り、司祭は自分の部屋へジェレミーを誘った。
「わしは老司祭と呼ばれております。名前も神に捧げましたゆえ、そうお呼びください」
「......老司祭、あなたはどこまで俺の事情を知っておられる?」
「はて。実は、王都の司祭に『ちょっと知り合い行くからシクヨロ!』と言われただけで、他は全く」
「うっそだろおい」
何そのフラットさ。
「あー、俺も何も言われずここに送られたんだが、一体何をすれば」
「王都孤児院で幼少教育が始まったと聞きましてな。誰か人材送ってちょんまげ、の手紙に対する返答がそれだったので、孤児たちに読み書きや簡単な計算を教えてもらえたらと思っております」
ジェレミーは眉根を寄せた。正直、平民は嫌いだ。畑を耕すことしか能のない人間と会話するなど、虫唾が走る。しかしこれは王命である。覆すことなどできない。
「――分かった」
ジェレミーは苦虫をかみつぶしたような顔でそう言った。
「わかんない! ジミー先生きらい!」
「なんだと!?」
初日から、早々にジェレミーは躓いた。早速孤児に文字を教えることになったのだが、何が分からないのか分からないのである。文法なんて読めばわかるだろう。やっぱり平民なんてそんなものだ、と頭にきて部屋を出たのは、教え始めて一刻も経たない頃のことである。
与えられた部屋に早々に引きこもってふて寝をしていたら、ノックの音で目が覚めた。
「ジミー先生ジミー先生」
「......なんだ」
「さっきは嫌いって言ってごめんなさい。あのね、アシュリー、わかんないとこ考えてきたんだ。ここ、過去完了形と過去の違いわかんない。どっちも昔のお話だよね? なんで別なの?」
明瞭な質問を受けて、ジェレミーは体を起こした。一応教師という名目で教会に住まわせてもらっているのだから、先程仕事を放棄したのは、反省していた。
「過去完了形は、過去から見た過去で、過去はただの過去だ」
「過去から見た過去って、どういうこと?」
「たとえば......」
たとえ話を終えると、アシュリーは矢印を書く。現在から昔に伸びる線と、過去からもっと古い過去へ延びる線。それを見て、ジェレミーは頷く。
「そういうことだ」
「わかったよ! ありがとジミー先生! おやすみなさい!」
弾む足取りで帰っていくアシュリーを見送り、ジェレミーは再び眠りを手繰り寄せようとした。
―教育次第で人はどうにでもなるのよ。
「......なってたまるかよ」
ジェレミーは頭から布団をかぶった。薄っぺらい布団だった。
「ジミー先生、よければ礼儀作法も教えてもらえませんかの」
「は?」
老司祭に頼まれたのは、ジェレミーがドゥルイット領に来て一か月ほど経った日のことだった。
「礼儀作法はわしが教えていたんですが、このところ年のせいか手が震え足が震え、ちゃんとした見本が見せられなくなりましてなあ。ジミー先生にお願いできたら嬉しいのですが。老い先短いこのわし、子供らの成長だけがきがかりで......」
真っ白の伸びきった眉毛の下から涙目でそう言われたら断れない。むすっとした顔を隠そうという努力は放棄しながらも、ジェレミーは孤児に礼儀作法を教えた。まだ子供で、食事のマナーくらいしか身についていない子供に礼儀作法を教えることは、文字や計算を教えることよりも圧倒的に難しかった。子供に触れられるのを嫌うジェレミーと子供たちは、なかなか仲良くなることもなかった。
「ねーえ、ジミー先生はなんでいつもそんなに怒ってるの?」
「あ?」
「アシュリーは、あんまり怒らない。いやなこと、ないから」
「別に、怒ってない」
「じゃあ、なんで触るとぷんぷんするの」
「慣れ合うつもりはない」
「なれあう?」
「......仲良くする」
「ええっ! どうして? アシュリー、ジミー先生となかよしになりたいのに」
「断る」
それでもアシュリーはジェレミーに話しかけた。好きな食べ物はマドレーヌで、嫌いな食べ物は野菜のごった煮。星を見ること、木の洞で眠ることが好き。ジェレミーは何も聞いていなくても、生返事しかしなくても、アシュリーはめげずに話しかけた。他の子供たちがジェレミーの悪口を言っているのに怒っているのを見たことがある。
「ジミー先生なんてほっとけよ、あんないけ好かないやつ」
「やだ! ジミー先生はいろんなこと知ってるし、それに、ぼくたちのこと考えておしえてくれてるんだよ! じゃなきゃ、一気に20人もめんどうみれないもん!」
「! だけど――」
「ジミー先生、ひとりひとり、ちがう問題つくってるんだよ! ジミー先生、ほんとはやさしい人だもん! ぼくしってるもん!」
「わかったよ、わかったから泣くな」
アシュリーはよく泣くくせに、もめごとに突き進んでいく子供だった。アシュリーを見ていると、ユリアーナの言葉が耳にちらついて離れなかった。
――平民。あいつらは、平民。俺とは違う。
言い聞かせるように、日々を送っていたある日のことだ。
「祭り、ですか」
「ええ。冬越し祭りと言いましてなあ。遅い春を迎えたことを祝うものでして。毎年子供たちを連れて行っていたのですが、この通り今ぎっくり腰で動けませんで」
ジェレミーは頼みを承諾した。近頃、老司祭がぎっくり腰にも関わらず無理に動こうとして悪化する、ということを全力で食い止めていたためである。
離れないように、と口を酸っぱくして老司祭とジェレミーに言われたにも関わらず、開始早々孤児たちはあちらこちらに散り、ジェレミーは子供探しに追われた。
「ふっざけんなあいつら......」
孤児の服装は教会から支給されているものなので、人が見たらそれとわかる。屋台の人に聞きがてら、お小遣いで食べ物を買ったり、吟遊詩人の唄をうっとり聞いている子供たちを回収に走る。19名回収を終えた頃には、祭りも終わりの時間になっていた。
「くっそ......どこだ」
残りは全員大人しく回収されたというのに、ひとりだけ――アシュリーだけが見当たらない。
「お前ら日が暮れる前までに戻れ! 老司祭のとこで大人しくしてろ!」
命令して走り出す。
国の最北に位置するドゥルイットは、4月の今でも肌寒い。外で夜を越せば風邪を引くだろう。平民の子供だが、司祭にどうか無事で、と頼まれているのだ。無事に見つけなくてはならない。けれど、いくら祭りの会場を走り回っても、アシュリーの姿は見えなかった。
「あいつ、どこ行きやがった......!」
――ぼくねえ、星を見るのと、木の洞で寝るのが好きなんだ。
いつかのアシュリーの言葉を思い出し、ジェレミーは祭り会場の裏手の森を見つめる。迷ったのは一瞬だった。ジェレミーは走り出した。
「アシュリー!アシュリー!」
叫びながら森を走っていると、小さなすすり泣きが聞こえた。木の洞から、かすかに薄紅の髪が見えた。
「アシュリー!」
覗き込むと、アシュリーはびっくりした様子でジェレミーを見上げた。
「おまえ......! あれだけ俺から離れるなと言っ......」
「う、うわあああああ、ジミーぜんぜえーーーー!」
抱き着かれ、ジェレミーは硬直した。普段なら引っぺがすところなのだが、泣きじゃくるアシュリーを引きはがすのは躊躇われた。
「じみーぜんぜえ、どごにもいがないで。あじゅりーのごど、おいでがないで」
「......おいてかない。置いてかないから、泣くな」
「うえ、うええええん!」
アシュリーが泣き止むまで、ジェレミーはアシュリーの背を撫でていた。
「あー! 帰ってきた!」
孤児院の入り口で、みんなが待っていた。騒ぎ立てる子供たちをかき分け、ぎっくり腰の老司祭に、子供の監督が十分にできなかったことを詫びると、老司祭は穏やかな顔で首を横に振った。ジェレミーの服の胸の部分が、鼻水と涙にまみれていることに、老司祭は気づいていた。
「いいえ。あなたに頼んで正解でした」
「ですが、アシュリーを見つけるのにも手間取ってしまって」
「わしは、またアシュリーが誘拐されてしまったのかと思いました」
「また? 誘拐?」
「ええ。あの子は一度、この町から誘拐されたのです。父親がその命と引き換えに取り戻したのですが、程なくして身寄りを失ってしまい、うちで預かることになったのです」
「アシュリーは、まさか貴族なのですか?」
確かに、アシュリーは孤児とは思えないほどきれいな顔立ちをしていた。
「いえ、平民ですよ。ですが、女児の誘拐は古来からなかなか絶やすことができないでしょう?」
「......え?」
「どうされました、ジミー先生」
「お、んな?」
「ええ、アシュリーは女の子ですよ。言っておりませんでしたか」
「聞いて、いません。女児なら、どこかの家の養子になれるはずでしょう」
「そうなのですが、アシュリーがこの町を離れたくないと言いましてね。それと、司祭希望の女児が教会で養育されることがあるでしょう? あれにも当てはまっているので......ジミー先生? 大丈夫ですか?」
老司祭の声は耳に届かなかった。
――教育次第で。
真っ白になったジェレミーの頭の中を、ユリアーナの言葉がぐるぐるめぐっていた。
「お前、女なんだろう。なぜ、ぼくと言うんだ」
「アシュリー、むかし、変なひとにつかまっちゃったの。女の子だからって。それなら、男の子みたいにすればいいんだと思って」
「......つらかったか」
「こわかった。くらくて、こわくて、いたくて。あんまり、覚えてないけど。木の洞みたいに小さいところにいると、おちつく」
「......そうか」
つらい経験を語っているはずなのに、アシュリーはやけにニコニコしていた。
「どうして、笑える」
「だって、ジミー先生がアシュリーのこと聞いてくれたから。ぼく、うれしい」
「......っ」
その日ジェレミーは白旗をあげた。
「こらマリアまだ勉強の時間だ、アダム、小銭をこっそり数えているのバレてるからな。トム、食事中も背筋は伸ばせと言っただろう!」
更に3か月経った頃には20人ばかりの孤児の名前を覚え、びしばし指導するようになっていた。年長者向けに、将来に向けた勉強も教えている。商人を志す者には経済を、官吏を志す者には登用試験対策を。医療を志す者には、元兄のユージンに、弟子入り先を探してくれるように頼んだ。
「すっかり馴染んできましたなあ」
「そうでしょうか」
老司祭とのお茶も、変わらず毎日一度はしている。一日の出来事を、語ったり、ただ無言でお茶を飲んだり。それだけの日々が、愛おしく思えてきた頃。雪が落ち着いた春先に、女王が育った国に帰るという噂を聞いた。
ジェレミーは、手紙を認めて王都に送った。女王が帰る前に手元に届いたのか否か定かでなかったが、どちらでもいいと思った。
教えた子供が初めて孤児院を出て行ったのは、この地に居着いてから4年が経った頃だ。商人としての門出に、咽び泣いた老司祭が死にかけるという事件にも発展したが、何とか無事に収まった。
「ジミー先生、先生のおかげで俺、楽しく商人を手玉にとれそうだぜ」
「ああ。大事なのは愛想笑いと達者な口と逃げ足だからな」
「おうよ!」
それから季節が巡り、1年が経った頃。兄から手紙が届いた。望むなら別の役職を与える、という内容だった。代替わり後も教育制度の拡充が進められ、幼年学校の末端でよければ官職があると。
ジェレミーは迷ったが、結局断った。王妃暗殺を企んだ人間がいきなり官職に就くのは憚られたし、せめてアシュリーの門出までは、この孤児院にいたかった。
教え子の成長を願うジェレミーは、可愛く成長した教え子に結婚を迫られる未来をまだ知らない。




