襲撃事件・裏(Ⅲ)
上王夫妻が王宮に駆け付けたのは、トバイアスがユージンの居室を訪れた翌朝だ。襲撃された日の夜に鳩を飛ばしたから、受け取ったのは夜半。そこから2日半、寝ずに馬を走らせたのだろう。顔色は悪かったが、それでも威厳は失っていなかった。
隠し通路からユージンの部屋に降り立った王太后は、慌てて立ち上がったユージンの頬を打つ。
「――これで、娘と孫を守れなかった罪は、私からは不問に処す」
「「僕らの分もね」」
「王太后殿下、上王陛下」
「峠は越したのだろう。あとは信じるしかあるまい」
「……はい」
「犯人の目星はついているのだろうな」
「無論」
「では、然るべき舞台を整えよ――必要とあらば、東に繋ぎを取るが」
「既にオリヴィア姫が鳩を飛ばしました」
む、と王太后は眉を寄せる。
「……都ではないな? まだそこまで距離を飛ばせないはずだ」
「え? はい。貿易港へ」
「……あそこの領主はユウリへの愛が重い。近く先触れなく訪れるだろうな。その時に話し合いも済ませてしまえ」
「はっ、はい」
「我々の影も使ってくれ、ユージン」
「必要なら、教皇聖下にお出まし願うこともできるよ」
「舞台が整い次第、お願いしたく。今はまだ」
「「承知した」」
「それとこれ。君が生まれる前と、幼い時に彼がやらかしたことを纏めてある。使ってくれ」
「有難く!」
ユーリの協力者たる臣下が、育て上げた官吏が、育んできた縁が一丸となって事に当たった。全てを集約するユージンは3日ほど不眠で指揮を取った。だが、頭の働きは不思議なほどに普段通りだ。
「陛下、アルビノの容態が回復したとのこと。尋問開始の許可を」
「私が行こう」
「しかし」
「確認したいことがあるのだ」
「……承知しました」
隠し通路の中に存在する部屋に降りると、顔の左半分を包帯でぐるぐる巻きにされたアルビノの少年が、ベッドの上で起き上がっていた。歳の頃は13、4といったところだろうか。
「陛下」
「君が、暗殺者か」
少年は答える代わりに別のことを尋ねた。
「……あの女は、生きているか」
「峠は越した。まだ、目覚めてはいないが」
「そうか」
「そなた、名は」
「39番」
「レネ、ではないのか」
少年は—―レネは目を見開いた。
「覚えて.......」
「当たり前だ」
レネが襲撃したのは、今回が二度目。前回の襲撃は、ユーリがひとりで退けたが。
「……なんで、俺を生かした? あんたの妻を殺そうとしたのは、俺だ」
「そなたは、それを阻止しようとした側だろう。その傷は、仲間につけられたものだな」
「……」
「ありがとう。そなたのおかげで、ユウリは生き永らえた」
「感謝を受ける理由はない」
「情報を、貰えるか」
「――あの女と、手合わせがしたい」
ユージンは目を瞬く。
「――君が望むならば、喜んでユーリは承諾するだろう」
「......お前は反対しないのか?」
「しない」
そうか、とレネは呟いた。
「――ウォルポール、と聞いた。依頼書は破棄されていないはずだ」
「っ、そうか!」
語られた情報を元に、証拠を固めていく。今すぐにでもひっ捕えてしまいたかったが、他にも罪状があるし、ユーリは目覚めていないので、決定権がない。上王夫妻からも、好きにせよ、と任されている。
悶々として過ごした7日目の夜。睡眠不足の上王夫妻とオリヴィアに代わり、ユージンがユリアーナのベッドの傍らにいた。初めてのことだった。罪の意識ゆえに、ユージンはユリアーナの側にいることを避けようとしていた。
「……ユウリ」
青白い肌は、生きているか不安になる程冷たい。ユージンは、布団からはみ出した手を両手で握った。
「すまない、ユウリ。ほんとうに、本当にすまない。君を、守れなかった……すまない」
頬を滑り落ちる涙がユーリの手を濡らした。慌てて拭おうとした時だ。ユーリの指が、僅かに動いた。
「ゆ、じん」
掠れ声に、ユージンは目を見開く。反対側に控えていた医師見習いが飛び上がり、駆け付けてきた。
「ゆう、り……?」
「う、ん」
「い、痛いところは。意識は、腕は、体の違和感、あと、ほかに、あとは、」
「……子供は、流れて、しまった?」
咄嗟に返答できなかった。それで答えは知れてしまった。
「……そう」
「すまない。すまない、ユウリ。私がもっとしっかりしていれば。すまない、本当にすまない」
「謝ることじゃ、ないわ」
呟いて、ユリアーナは膨らみを失った腹を撫でる。
「……寂しい、わね」
「ユウリ」
声を掛けると、ユリアーナは微笑む。
「大丈夫よ、ユージン。すぐに、体調を取り戻して」
「ユウリ。笑わないでくれ」
「ひどい、ことをいうのね」
「そんな、泣きそうな顔で、笑わないでくれ」
笑顔が軋む。
「……ごめんなさい。そう見えてしまった? まだまだ私も未熟ー」
「泣きたい時は、泣いてくれ」
「……あなたが泣いて、どうするの」
気づけば泣いていた。泣きたいのは、ユリアーナだと、分かっているのに。
「困った人」
バタバタと扉が開かれる音がする。
「オリヴィア。お母様、父上方」
涙で滲む視界の中で、あぁやっぱり、ユウリは泣かないのだな、とぼんやり思った。
表向き、王妃襲撃は未遂に終わった。王妃の命が危機に晒されたというのに、侯爵令嬢の出産で沸き立つ王宮は、全く意に介していないかのようだった。
「ユウリ、冷えるよ」
バルコニーに出ていたユリアーナに、ユージンはブランケットを被せる。過保護だとユリアーナは笑うが、仕方ない。
「1年よ」
「え?」
「1年後に、私は女王になるわ」
ユージンは目を瞠った後、深々と腰を折った。
「――微力ながら、その日までお供をさせていただきます。我らが陛下」
ユリアーナは柔らかく微笑んだ。
彼女の従兄にして義兄が突撃する、二週間前の出来事だった。




