襲撃事件・裏(Ⅱ)
「御子か妃殿下、どちらかだとすれば」
「ユウリを」
「承知」
駆け付けた筆頭妃医のウィンザーはすぐさま処置に取り掛かる。4名の妃医とその弟子、ユージン付きの2名の王医とその弟子。総勢9名が治療にあたっていた。医局に詰めていた薬師たちも、忙しく立ち回っている。
マーガレットの側に付きっきりのトバイアスの分も貴賓への対応に追われ、ユージンも休む暇がなかった。
「陛下。これを、ウォルポール小侯爵の従者から」
「なんだ」
「丸薬です。ひとり分しかないが、下手人に飲ませるようにと」
「なっ……」
ユージンは目を見開く。それの意図するところは明らかだ。
「証拠はないのか」
「すまない、とのこと」
「……分かった、丸薬を飲ませに行け。誰でも――いや。アルビノの男に」
「畏まりました」
一礼して去っていく従者と入れ替わりに、書類を持った従者が近付いてくる。
「それと第一国王陛下の従者が、もっと医師をグリーンハルシュ嬢に、と。お断りして構いませんね?」
「当たり前だ。同様に言われても断れ。近衛を使っても構わん」
「承知いたしました」
「それと、医師でないのだからできることはないだろう、貴賓の対応くらいしろ、と」
「は」
口の上手い従者のことだ、棘を残したままオブラートに包んで言うだろう。
――医師でないのだから出来ることはない。
自分の言葉が胸に刺さった。事務処理しか出来ない自分の無力さが悔しかった。
「お義兄さま!」
「……オリヴィア姫」
人の往来が絶えない。正装に着替えたオリヴィアが、息を切らしてやってきた。
「お姉様が、お姉様が重傷だと。姫医は必要でして? あたくしに、何か出来ることは。貴賓の対応やあの女の対処なら可能ですわ」
「未だ毒の種類が見つかっていない。医師を回せるのなら、そちらへ――だが体調は?」
「この程度の熱、問題ありません。その他は」
「では、貴賓への応対を。我が国を良く知る方々への配慮が粗雑になってしまった」
「承知いたしましたわ」
「それと、配下をお貸し願えるか。汚れ仕事になるが」
「幾らでも。それでは枢機卿猊下とシェルヴィー大使、ウォルフェンデン大使にご挨拶に参ります」
「頼む」
「それと、お姉様が耐性を持っている毒は、あたくしの従者が記しておりますから、医師に渡します」
「感謝する」
オリヴィアの助けもあり、貴賓への対応も無事に終了し、毒も凡その見当がついた。ユリアーナはまだ目を覚まさないが、少なくとも死は免れたとのことで、その報告を聞いたユージンは思わず羽根ペンを取り落としてしまった。
「陛下、ミック司祭から返答が。王都の暗殺業界ではなく、西の暗殺組合に依頼した模様です」
「犯人との繋がりを見つけた後に潰せ」
「は」
「お義兄さま、毒の入手経路に関してですが、ブラッドリー大使が、近頃シェルヴィーで密輸の動きを泳がせていたとのこと、そこから入手したのかも」
「シェルヴィー王に鳩を」
「既に送りました。それと上王陛下と、お姉様のお父上にも」
「陛下、下手人4名、死亡しました。妃殿下のものとは異なる様子。1名は姫医が延命を図っております。それと丸薬の結果ですが、こちらは西から取り寄せたものかと。犯人との繋がりを調べます」
「フィーラン公爵とスペンサー公爵が中立の人員を幾らか抱き込んだと。こちら書類にまとめました」
「近頃侯爵と接触した人物についてです、懸念するは第三――」
犯人が分からないため、全ての報告や書類を居室で裁いていたユージンの元を訪れたのは、トバイアスだ。
既に、襲撃から2日経っていた。昨日マーガレットが男児を無事出産したから、執務のことを思い出す余裕が出来たのだろう。
「すまない、ユージン。色々と任せてしまって」
「問題ありません。貴賓への対応くらいしか、やることはありませんでしたし」
にこやかに微笑みながらも、書類を見る眼差しは忙しなく動いている。
「だが、書類が随分溜まっている。やはりお前ひとりでは厳しかろう。幾つか私が……」
「いえ、問題ありません。兄上は戻っていてください」
「……分かった」
出ていこうとしたトバイアスは、直前で足を止めた。
「そうだ、ユリアーナに王医と姫医を遣わせたそうだな」
「はい」
「もう妃医だけでいいだろう? マーガレットの状態が不安定だから、こちらに回してくれないか?」
ミシリ、とユージンの手元で羽根ペンが軋む。
「陛下」
酷く冷めた声に、トバイアスは知らず頬を引き攣らせる。
「私とウィンザー医師長が、要不要を判断しました。問題がありますか」
「い、いや。そこまで言うなら、仕方ない」
「ご理解くださり感謝します」
「それとだな」
「まだ何か」
さっさと出て行けという圧を感じていないのか、トバイアスはまだ口を開く。
「姫が随分勝手をしたそうだな? 貴賓の対応を女ごときがするなど……国の品位が疑われてしまうだりう。私がもう一度」
「結構です。姫の対応は素晴らしかったと各国の大使も仰っておりました。陛下はグリーンハルシュ嬢の側にいてください」
「そ、そうか。ではそうさせてもらう」
トバイアスが出て行った次の瞬間、ユージンはインクを全力で投げた。ガシャン、とインクの壺が割れて、絨毯に染みを作る。
――殺して、やろうか。
あの女と付随する奴ら諸共、膾斬りにして豚の餌にしたら、どれほどスッキリするだろう。ユリアーナの価値も知らず、失ったものの大きさにも気付かず。あの無知蒙昧な者たちを葬って、ユリアーナの本性を知る者だけを世界に残すことができたら、どれだけ。
ユージンは唇を噛み締めた。
『いいわ、あんな馬鹿な人たちの為に貴方の手を汚す必要なんて、これっぽっちもないでしょう?』
ユリアーナの言葉が耳に蘇る。
――いや。いいや。君がどれだけ反対しようとも、葬ってしまうべきだった。
君を失ってしまったら、この世界に価値はないのに。君が、君さえいてくれたら、他に何も要らないのに。
ユージンは血が滲むほど拳を握り締めた。
何も出来ない自分が惨めだった。




