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園部陸人⑥

『七月四日 火曜日。今日一番運勢が良いのは乙女座のあなた。何をやってもうまく行く、年に一度のラッキーデイは――』


 結局、俺は月曜日を六回も繰り返した。普通ならば終末の土曜日のはずが、まだまだ憂鬱な火曜日が始まったばかりだ。


 一回目と二回目は弥太郎。三回目はメガネさん、四回目はあやちゃん、五回目はママ。六回目は姫の記憶を呼び戻した。結果は誰であろうが時間は戻る。ならばと誰にもヒントを与えずに過ごしてみたら、呆気なく次の日は訪れた。


 今日も当たり前のようにあやちゃんが朝食を作り、みんな何の疑いもなく、それを食べている。この世界にヒロは存在しない、存在してはいけない。嫌な想像をかき消すように首を横に振った。すぐにポジティブな疑問で脳内を満たす。


 俺がヒロのことを思い出した時には時間が戻らなかったのはどうしてだろう――?


 日課の素振りを終えた時、不意に過去の記憶が蘇ってきた。この街に来る前、場所は茨城県。隣の家まで百メートル以上離れているようなど田舎で、コンビニまで行くのに車で三十分以上かかる。旧すみれ荘はそんな自然豊かな所にあった。


「ごちそうさま」


 半分以上残った焼き鮭を見て弥太郎が「もったいない、もったいない」と言いながら攫っていく。姫は何も言わずに俯いていた。元気がないように見えるのは気のせいだろうか。


「どうしたのよ? 具合でも悪いの」


 心配するママに曖昧に返事をして二階の部屋に戻った。窓際のカーテンレールに掛けてある学校指定の白いワイシャツ、あやちゃんがアイロンをしてくれたのだろう、シワだらけだ。


 俺はそのワイシャツに手を伸ばしかけて動きを止めた。数秒思案して振り返り、洋服ダンスを開く。左半分は俺のスペース、右半分は弥太郎の陣地だが、二人とも服に興味がないので中はスカスカだった。


 半袖のTシャツを着てからジーンズを履く、ジャイアンツの帽子をかぶって全身鏡の前に立った。


「中坊丸出しだな……」


 愚痴を言ったところで急に大人になるわけじゃない、仕方なくスマートフォンとビリビリ財布を後ろのポケットに突っ込んで部屋を出た。


「あれ、なんで私服?」


 階段を上がってきた弥太郎に聞かれて「今日は私服デーなんだよ」と適当に嘘をついた。他のみんなに突っ込まれないように、急いで玄関に向かいスニーカーを履いて外に出た。


 自転車に乗って中学校とは逆の方向に向かう、どうしてそんな行動に出たのかは分からない。すみれ荘のみんなに聞いてもヒロの記憶がない、強引に思い出させると時間が巻き戻る。もうお手上げだった。それならばヒロの痕跡を見つけるしかない、もしかしたらそこにいるかも知れないという期待もあった。以前住んでいた初代のすみれ荘に。


 西川口駅に自転車を停めると、京浜東北線で上野に向かった。車内は通勤中のサラリーマンや制服を着た学生でごった返している。しまった、これなら制服の方が自然だったかも知れないと後悔したがもう遅い。


 上野で常磐線の切符を買おうとして手が止まる、財布を取り出して中身を確認した。千円札が四枚に小銭が少し、目的地の石岡駅までは千五百二十円だから、なんとか往復する事が出来る。


 上野始発の常磐線は始めこそ乗客がチラホラといたが、我孫子を過ぎた辺りからどんどん人が少なくなってきた。平日の午前中、中学生丸出しの自分が一人で電車に乗っているのは不自然じゃないだろうか。そんな事を考えていると車掌が隣の車両から入ってくるのが視界の端に見えた。帽子を目深に被り下を向いて寝たふりをすると、声を掛けられる事もなく通り過ぎていった。


「ふう」と一息ついてスマートフォンをポケットから取り出すと地図アプリを起動させた。実は旧すみれ荘の正確な住所を俺は知らない。ただ地名は覚えてるから近くまで行けば風景で分かるだろうと高を括っていた。


『茨城県 石岡市 嘉良寿理(からすり)


 アプリに表示された地図を見てため息が出た。山とゴルフ場しかない。スマホの画角内に最寄駅であるはずの石岡駅が見えない。こりゃ相当歩く事になりそうだ、窓の外に目をやると、雲一つない青空から夏の太陽が燦々と降り注いでいた。俺はもう一度ため息をついて目を閉じた――。


 


「本当に良いですか?」


 すみれ荘、一階。六畳ほどの狭い和室にみんなが集まっている。七月だというのにエアコンも付けずに窓を閉め切っていた。それぞれが壁にもたれながら項垂れていて、その中心には七輪があった。


「もう……いいよ、はやくいこう」

「うん」


 ぼんやりとした映像が脳内で再生されている。ああ、これは夢だなぁ、と分かるのに這い上がってくる恐怖が全身を覆っていた。まるで夢と現実の狭間にいるような感覚だった。


「神様なんていないんだ」

 あやちゃんが呟いた。

「いたとしても役立たずね」

 ママが投げやりに答える。

「眠くなってきた」

 弥太郎がまぶたを擦る。

「睡眠薬が聞いてきたのよ」

 姫が弥太郎の肩にもたれて囁いた。


 部屋の中央にある七輪の中で、黒い練炭はパチパチと音を立てて赤く燃えている。暑いはずなのに、むしろ寒気がするのは夢の中だと分かっているからだろうか。意識が朦朧としてきたのが睡眠薬の効果なのか、一酸化炭素中毒の効果なのか分からない。死の恐怖よりも生きる苦しみから解放される喜び、いや安心に近い感情がその場を支配していた。


 それからは誰も口を開かずに、ただ静かに時間が過ぎていく。意識を失う直前に部屋の扉が勢いよく開いた気がした。もちろん気のせいだろう、すみれ荘にはもう、この部屋にいる六人しかいないのだから――。

 


『石岡〜。次は石岡〜』


 いつの間にか眠ってしまっていた、車内アナウンスで目を覚ますと、ちょうど目的地に到着した所だった。エアコンが効いてるはずの車内でびっしょりと汗をかいている。あまりにも非現実的な夢で我にかえるのに数秒かかった。


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