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高遠 誠一郎⑦

 上田絵梨華のような姉を持った妹はどんな幼少時代を過ごしてきたのだろうか。嫉妬、妬み、何をやっても勝てない目の上のタンコブ。穿った見方だがその反動でクラスメイトを気晴らしに虐めると言うのはある種の王道パターンである。虐めに発展しない場合でも同じ学校に姉や兄がいる子はクラスでも中心的な人物になる場合は多い。何かあった時に頼れる上級生が同じ校舎内に存在するのはかなりのアドバンテージだろう。


 決めつけるのは良くないが園部先生の読みが当たっていた場合、対処の方法は一層困難を極める。慎重に対処しなければならないのだ。


「はあ……」


「どうしたんですか? ため息なんてついて」


 いきなり声をかけられて椅子から転げ落ちそうになったが間一髪耐える事が出来た。声の方に振り向くと上田絵梨華がクスクスと笑いながら立っている。


「おっ、おお、上田か。どうした?」


「どうしたって、授業で使う教材を運ぶから手伝ってくれって昨日言ってたじゃないですか」


「あれは佐藤に行ったんだけどな」


 学級委員は男女いて、女子は上田絵梨華、男子は佐藤太郎が勤めている。


「あたしも学級委員ですよ」


「でもほら、力仕事は男の……」


 言い切る前に後に口を押さえたがもう遅い。上田絵梨華は軽く眉間に皺を寄せた。


「先生、男とか女とかで決めつけるのは古いですよ」


「あ、ああ。そうだったな、すまんすまん」


「それに、佐藤くんよりあたしの方が腕力あるし」


 上田絵梨華は言いながら右手を折り曲げて力こぶを作る真似をした。満面の笑みだ。老若男女に好かれるのも無理はない。


「そうか、悪いな。じゃあこれを頼む」


「はーい」


 両手にプリントの束を抱えて彼女が背を向けた。艶のある黒髪が、差し込んだ朝陽に反射してキラキラと光っていた。


「上田」


 その背中に声を掛けると「ん?」と言って振り向いた。



「最近……どうだ?」

 上田絵梨華は一瞬顔を曇らせた後、すぐに元の笑顔に戻った。


「大丈夫、かなりショック受けてるけど……。桃華すごく仲が良かったみたいで……。でも軽い骨折で済んだみたいだし、お見舞いに行くってさ」


 私の曖昧な質問を、妹を慮った言葉と解釈してくれたようだ。自殺未遂の件はすでに全校生徒の知る所となっている。


「そ、そうか」

「違う学年まで気にしなきゃで大変だね」

「ああ、まあ」

「じゃ、あたし行くね」

「おお、気を付けてな」


 上田絵梨華はクスクス笑いながら教室を出て行った。私は深いため息を吐いて天を仰いだ。

 朝の職員会議では丸野愛子の担任である九条から、昨日見舞いに行った事の報告がなされた。


「えー、丸野は足の骨折意外にはかすり傷程度の損傷で済みました、本人は至って元気です。以上」


 自殺未遂をした人間が至って元気とは俄かに信じられないが、監督責任を少しでも和らげようとする九条の意図は伝わってきた。


「生徒とは話せましたか?」


 言葉足らずの九条に教頭が質問すると彼は足を組んだまま答えた。どこか憮然とした態度は、なぜ俺がこんな目に遭わねばならんのだと訴えているようにも見える。


「事故のショックでしょうな、話しかけても反応がありませんでしたよ、ただ」


 それこそが重要なのだと言い張るように立ち上がった。


「母親の話では、どうやら飼っていたインコが数日前に死んだそうです。おそらくそのショックじゃないかとの話でした」


 いい終わり、再びドッかと椅子に腰掛けた。なぜかその顔は勝ち誇っている。


「インコ、ですか?」


「ええ、あの年頃の女の子にとっちゃペットは家族みたいなもんですからね」


 教頭の問いにも九条は滑らかに応える。それを聞いた職員室内の雰囲気はいくらか緩和した。自殺=イジメ=学校の責任と言う負の連鎖が断ち切られたからだろう。少なからず私も少し安堵した。園部先生の推察は杞憂だったのだと。


「そうですか、では生徒やマスコミにはそのように伝えてください。イジメなどの実態はないと、分かりましたね」


 皆が返事をした所で短い職員会議は終了した。


「あのっ!」


 園部先生が手を上げたので皆、浮かせた腰を椅子に戻した。


「丸野さんのお見舞いに伺いたいのですけど」


「あ、ああ。そうですか、是非」


 学校側としては少しでも親身に生徒の事を考えていると思われるに越した事はない。教頭は二つ返事で了承したが九条は顔をしかめた。余計な事をするなと園部先生に視線を飛ばしている。そして今度こそ職員会議は終了した。


「私もご一緒しても宜しいですか?」


 放課後、いそいそと外出の準備を進める園部先生に声を掛けると彼女は破顔した。


「ありがとうございます! 一人は心細かったので」


 妻に離婚されては敵わない、真犯人とやらはいなかったが、最後までちゃんと彼女に協力しなければ。


「ちょっと高遠先生」


 棘のある声が背中に突き刺さった。うっかり九条の存在を忘れていた。彼のいない所で頼むべきだったか、いや、後々バレた方が面倒に違いない。


「なんでしょう?」


「先生は丸野と関係ないでしょう、あまり他のクラスの先生に出しゃばられると困るんですがねえ」


 自分がサボっていると周りから思われるのが業腹なのだろう。九条という五十がらみの男の本性がみえる。


「いえ、丸野さんと仲の良い生徒で上田桃華と言う女の子がいるでしょう? 彼女の姉が私の受け持ちでしてね」


「ああ、あの優秀な生徒。高遠先生の所でしたか」


「ええ、彼女もかなり気にしているようなので、私としては直接会って様子を伺いたいなと」


 かなり強引だが九条はそれ以上何も言わなかった、が。


「出来のいい生徒がいるだけで評価が上がって羨ましいですな、こちらはとんだ貧乏くじだ」


 と、しっかりと嫌味を付け加えて職員室を去って行った。有事の際こそ人間性が出ると言うが、これ程分かりやすい人間も珍しい。


 丸野愛子が搬送された病院は小学校からタクシーで十分ほどの総合病院だった。『上田総合病院』と書かれた看板の目立つ比較的新しい建物は近代的で、病院特有の鬱屈とした雰囲気がない。しかし、それはただのイメージに過ぎず、実際にはこの巨大な建造物の中には風邪を拗らせただけの人間から末期患者まで、ありとあらゆる病人が入院しているはずである。


 足の骨折と言う病名だけ聞けば軽傷の丸野愛子だが、その怪我に至る背景を考えると決して重症患者に劣る精神状態ではないだろう。私自身、自殺未遂の生徒と会話するのは初めてだが、果たして上手く励ます事が出来るだろうか不安だった。

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